【舘 信秀】スーパーフォーミュラ日本チャンピオンを輩出するレーシングチームを立ち上げたスゴい人!

舘 信秀

本日登場のスゴい人は、自動車レースにおいて、レーサーとしても指導者としても輝かしい成績を残しているスゴい人。
1974、75年、マカオグランプリ ギアレース 2年連続優勝。
チーム監督として指導したトムスでは、全日本選手権スーパーフォーミュラにおいて2011年にアンドレ・ロッテラ、2012年に中嶋一貴がそれぞれチャンピオンを獲得。
これまでに出たレース数は約500、監督としての参加もあわせると1000レースを超えるという。
彼がレーサーとして、指導者として、成功を収められた理由とは?
さあ・・・株式会社トムス代表取締役会長 舘信秀様の登場です!

「レースの魅力」

子供の頃は車に全く興味がありませんでした。
乗り物酔いをするので、むしろ嫌いなほうでしたね。
私は三重県鈴鹿市の出身で、高校生の頃に鈴鹿サーキットが出来ました。
その頃既に私は東京に出てきていたのですが、車好きな友人が
「鈴鹿サーキットにレースを見に行くから実家に泊めてほしい」
と言うので、私も一緒に行く事にしました。
車の走る姿、鳴り響く爆音、オイルやガソリンの匂いなど五感でかっこよさを感じて、すぐに自分もやりたいと感じました。
それからすぐに自動車の免許を取り、中古車を買って、親には内緒でレースに参加するようになりました。
レース用に車を改造するなど、お金がかかるので、いくつものアルバイトをしましたね。
この頃は、とにかくレースに出ているのが楽しくて、プロになる事は考えていませんでした。
カーメーカーの専属でレースに出ようと必死で練習場に通いつめ、ようやくトヨタで乗らせてもらえると決まった頃のことですが、練習中にタイヤが外れて転倒し、右腕に大怪我を負いました。
病院で、治る見込みが無いから切断するしかないと言われ、何とかできないかと別の病院に行くと、外科の権威の先生がいて、2ヶ月間かけておなかの皮膚を腕に移植し、更にアキレス腱を移植して、何とか右手を動かせるまでに回復する事ができました。
しかし、入院中に道半ばで怪我をしたことが悔しくて悔しくてたまりませんでした。
レースに出場するまでは何をやっても中途半端でしたが、この時は違いました。
両親に頼み込んで1年間生活の面倒を見てもらい、1年後、トヨタと契約をしてレースに復帰することができたのです。
ところが、1973年に第一次石油危機が起き、自動車メーカーは規模を縮小したり撤退したりしました。
トヨタもチームを解散する事となり、目の前が真っ暗になりました。
どうしても続けたかった私は自分でチームを作ろうと考えました。
車業界には資金が無いので他の業界の会社にスポンサーを求め、レースのほかに自動車パーツの販売を事業に組み込み、トムスを立ち上げました。
今まで大変な事もありましたが、来年で40年になります。
日本は自動車産業国でありながら、若者の自動車への興味が薄く、レースはマイナーなので、レース産業、車産業をメジャーにしたいと思っています。
そのために、是非お台場で市街地レースを開催したいです。
皆が見て、楽しさが伝わって、レース場に足を運んでくれることを願っています。

◆株式会社トムス
http://www.tomsracing.co.jp/
※一部携帯では見られない可能性があります。

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