脳性麻痺という障害を抱え、ヴァイオリニストとしてメジャーデビューしたスゴい人

母のひらめきで始めたヴァイオリン

辛い気持ちが救われた瞬間

ヴァイオリンは武器でした

本日のスゴい人は、生まれつき脳性麻痺の障害がありながらもヴァイオリニストになる夢を諦めず、地道な練習の継続と、筋力トレーニングとで体をコントロールしながら麻痺に立ち向かい、2018年4月にキングレコードからメジャーデビューした奇跡のポップ・ヴァイオリニスト。
指を動かすのもリズムをとるのもままならない彼がどのようにしてヴァイオリニストとしてメジャーデビューできたのだろうか?

さあ…
ヴァイオリニスト
式町水晶様の登場です!

生まれつき脳性麻痺でした

僕は、生まれつき脳性麻痺なんですね。小脳が人の半分以下なので筋肉を調整する機能が極端に少ないのです。
力を入れるのは簡単ですが力を抜くのは大変です。筋肉のこわばりやバランス感覚も苦手で片足で立つことが難しいです。
生まれた時は1800gの未熟児で3日間生きればいいと言われたくらいでした。母は生死をさまよっている僕に、あらゆるものから護られる様に水晶(みずき)という名前をつけたそうです。

母のひらめきで始めたヴァイオリン

3歳の時に、よく転ぶ子だねということで病院に行き、脳性麻痺と診断されました。長時間は歩けなかったので4歳から足に装具をつけて車椅子で生活をしました。
ヴァイオリンを始めたきっかけは、当時リトミックが流行っていたので母がリハビリにピアノを習わせようとしたのですが、同じ姿勢のまま椅子に座ることや左右均等に力を入れるのが難しくて「ピアノは向いていないのではないでしょうか」とリトミックの先生に言われたんですね。
そうしたら母が、帰り道にお店に飾ってあったヴァイオリンを見て
「ヴァイオリンはリハビリになるかも!」と
母のひらめきで4歳からヴァイオリンを習うことになりました。

障害があってもヴァイオリニストになると決めた

5歳の時に葉加瀬太郎さんのコンサートに行った時に、ヴァイオリンを弾いている葉加瀬さんがかっこよくて、自分もヴァイオリニストなりたいと思いました。同じ5歳の時、緑内障などの目の病気が新たに見つかりました。将来的には失明する可能性がある」と言われたそうです。ただ目が悪かった分、耳が良かったみたいで絶対音感を持っていたようです。

障害に対する偏見を感じませんでした

小学校は特別支援学校に通ったのですが、将来失明するかもしれないということで3年生で盲学校へ行きました。
そして5年生の時に通常学級に移ったのですが、みんなのスピードの速さに驚きました。勉強も追いつかなくて大変でした。少しは歩けたので歩きたかったのですが、転んだら危ないという学校の指示で、ずっと車椅子に乗っていました。

ヴァイオリニストになりたい

麻痺がある僕がヴァイオリニストになりたいと言うと、ヴァイオリンの先生はどの人も難色を示し、なかなか先生が決まらなかったのですが、障害があることを理解くださった中澤きみ子先生に指導をうけることができました。8歳の時です。
最初は、指が弦に降りていかない状態でした。練習は短くて1時間、長くて3時間くらい毎日やりました。体がこわばるので小分けして練習しました。
10歳の時にクラシックだけでなく幅広い音楽を弾いてみたいと思い、ポップス・ヴァイオリンの第一人者である中西俊博先生に「指導して下さい」と手紙を書いてお願いし、師事していただけることになりました。僕は、最初リズムを刻むこともできなかったので、その練習を毎日3時間1年くらいかけて訓練しました。
またビブラートを1本鳴らすだけで5時間の練習をしたこともあります。
練習は常に情熱と根性でやり遂げました。

家族の団結力こそが支えでした

母はレッスンの時には常に付いてきてくれてどこに行くにも車椅子を押してくれました。
何がすごいかって僕の家族の団結力は最強です。おじいちゃんは経済的にも本当に支えてくれたし、経済難の中、僕がヴァイオリニストになることを家族みんなが信じてくれていました。家族には本当に感謝しています。

ヴァイオリンは武器でした

「孤独の戦士」という曲は、小学校6年生の時、医療刑務所に慰問演奏に行った際に受刑者の人たちに何かできることはないかと思って作ったのですが、同時に障害を持っている自分への励ましの曲でもありました。罪と向き合っている受刑者と、障害に立ち向かっている僕は、「孤独」という言葉がぴったりだなと思ったのです。
その頃の僕はヴァイオリンを武器だと思っていました。 
障害の現実と闘わなければいけないことで、闘争本能の塊になっていたのです。
当時は学校でもいじめにあっていて、同時に失明宣告も受け、
人生で最大に辛くてヴァイオリンへの向き合い方も変わっていったような気がします。
そんな時、中西先生に「みっくんの音、きつくなったね」と言われたのです。
僕は自分の抱えている想いを先生に全てぶつけました。そうしたら中西先生が、
「辛かったね。僕は障害を持っていないので 、みっくんの気持ちをわかってあげれなくてごめんね」と言われ、わーと泣いてしまいました。今まで辛かったことが救われた気持ちになりました。
さらに自分が変わったのは、東日本大震災がきっかけかもしれません。被災地を訪れて一本松を見たり、被災されている方々とお会いしたりしながら、自分の悩みがちっぽけなことのように思えてきました。そして震災から2年たった2013年4月26日に、東日本大震災のチャリティーコンサートを僕自身の初めてのコンサートとして開催し、300人のお客さまの前で演奏しました。今までの人生で一番思い入れのある1日でした。そこからは、もうヴァイオリンは武器ではありません。

ゆっくりゆっくりで大丈夫

13、14歳の頃には脳性麻痺の状態が重くなり、今まで麻痺がなかったところにも麻痺がでてきました。
当時とても落ち込みましたが、僕は強がりなので人にそんな姿を見せたくなくて、15歳の時から筋力トレーニングを始め、体力的にも車椅子を使わなくてもよくなりました。
高校3年生の時に、病気の関係で普通高校から通信制の高校に転校し、ヴァイオリンの練習と体を鍛える時間ができたこともよかったと思います。
もちろん今も麻痺はありますが、薬によっての副作用をださない為にリハビリして筋肉をつけたりしています。
ランニングも始めて、最初は1キロを走るのに20分も掛かったのですが、1週間練習したら19分になりました。今では5キロ10キロは普通に走れます。
体を鍛えたり動かすことで、ほんの少しずつですが成長する自分を見るのが好きです。
これからは、耳が聞こえない方にも喜んでもらえる、視覚的にも嗜好をこらしたコンサートをしてみたいです。また、3年後には海外で演奏をしてみたいです。もっと元気になって、いつか両国国技館でリングを組んでシャドーボクシングしてからヴァイオリンを演奏するのが僕の夢です。
以前は「限界という壁は壊すことができる」と言っていたのですが、
障害はあっても、少しずつゆっくりとですが、いろんなことをしてきたからこそ、今の自分があると思います。
自分の体にもっとゆっくりさせてあげもよかったかなと思うこともあります。
だから、ゆっくり、ゆっくりで大丈夫ですよ、とみなさんにお伝えしたいです。

取材を終えて

取材前に式町水晶さんの音楽を部屋に流して聴いていましたら、「え!」と感じた曲がありました。
パソコンの画像を拝見したらすごく楽しそうに演奏されている姿でした。
私が、リベルタンゴを演奏されている時に楽しそうでしたね。と取材の時にお話ししましたら、
「ビブラートができなく毎日5時間も練習したからリベルタンゴが弾けるようになったんです。 僕はあの曲を演奏している時楽しくてしょうがないんです」ということでした。
演奏者が楽しくなると曲も聴く本人も本当に楽しくなる!と実感しました。
車椅子生活も自身の努力で克服された水晶さんのように少しでも成長できるように何かを始めたいと痛感した取材でした。

プロフィール

式町水晶公式HP
https://www.mizuki-shikimachi.com

式町水晶メジャー・デビューアルバム『孤独の戦士』
http://www.kingrecords.co.jp/cs/g/gKICC-1417/

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事