強さを追い求めてプロボクサーと弁護士になったスゴい人▶坪井僚哉様 DAY1

今日ご紹介するのは元プロボクサーにして弁護士でもある坪井僚哉(つぼい りょうすけ)様。15歳でプロボクサーと弁護士の両方になると決め、プロボクサーとして新人王トーナメントの優勝候補となるも、医療ミスにより選手生命を絶たれ、弁護士の道へ。自らの情熱の赴くまま、ストイックに夢を現実にしていくそのエネルギーの源は何なのか。今回もスゴい人の凄い話を伺いました。

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強くなりたいと願った原体験

坪井家は代々商売人の家系です。僕の祖父は早くに父を亡くしたために戦時中から丁稚奉公として建設業で働いて、そこから苦労して自分の会社を興した苦労人でした。

そんな祖父は、僕がまだ幼稚園の頃に詐欺まがいの手法に騙されて億単位の負債を抱えました。会社は倒産してしまい、連帯保証人だった僕の父も大きな負債を背負うこととなりました。3階建ての大きな一軒家は借金のカタに取られ、僕が小学2年生の頃、一家5人で資材置き場の片隅に設置された5畳程度のプレハブ小屋に移り住みました。布団が2枚しか敷けないほどの狭さで、断熱も無いので冬になると寒くて。水道無し、ガス無し、風呂無しで、生活水は井戸水、トイレは建設工事現場に置かれるような簡易な設置型のものでした。室内にあったのは、事務机、ガスコンロ、小さなテレビ、そして布団だけ。2枚並べた薄くて狭い布団に家族5人で川の字で寝ていました。見上げた天井に裸電球が一つぶら下がっている光景を、今でも時々思い出します。それでも、狭かったおかげか家族の距離が近く、子供心に不安はありませんでした。不便ではあるけれど不幸だと思ったことは一度もありませんでした。

でも、子どもながらに両親や祖父母が大変そうだというのは薄々わかっていました。それなのに自分は何もできずただ守られているだけ、という無力感を幼いながらに抱えていました。ただ漠然と「強くならなければ」と考えるようになりました。この頃、生まれて初めて七夕の短冊に書いた願いごとは今でも覚えています。拙いひらがなで「つよくなりたい」でした。幼心に抱いた強烈な無力感とそれに基づく強くなりたいという思いが後の人生を決定づけたように思います。今は顧問弁護士という立場で中小企業を支えることを中心分野の一つにしていますが、これは会社が倒産して僕たち家族のような思いをする人を減らしたいからです。

仕事風景

校庭の木を殴り倒すほどのエネルギーと集中力

そんな境遇ではありましたが、小学校の頃の僕はとにかくエネルギーにあふれていた子どもでした。当時「るろうに剣心」という漫画にハマって、それに出てくる必殺技「二重の極み(ふたえのきわみ)」を会得したいと思って猛練習したんです。二重の極みとは特殊な殴り方をすることにより物体を破壊できる技なのですが、毎日学校で校庭の木を拳で殴っていました(笑)。もちろん怪我をするんですが、拳にタオルを巻いて2か月間殴り続けたらなんとついにその木が倒れたんですよ。しかし校長先生が激怒して、全校集会で世にも珍しい「二重の極み禁止令」が出ました(笑)。

無力感と、強くなりたいという思いと、エネルギーを常に持て余していて、でもそれらをどこに向けたらいいかわからず、悶々としていました。

頭がいいだけでは目の前に迫った暴力に対処できない。でも腕力だけでは組織や権力とは戦えない。本当に強くなるためには腕力も頭脳も手に入れないといけない。と漠然と考えていました。腕力だけではダメだと思っていたのでよく本を読んでいました。毎日図書室に通って卒業する頃には蔵書の大半を読み切っていました。本好きになったのは幼い頃毎晩のように寝る前に本の読み聞かせをしてくれた母のおかげだと思います。

 

強くなるための手段に気が付いた中学時代

中学生になっても相変わらずエネルギーを持て余しており、体育祭の応援団長をやったり、同級生と殴り合いの喧嘩をしたりしていました。学校ではトラブルメイカーでもありムードメイカーでもある、いい意味でも悪い意味でも目立った存在でした。

中3の時に読んだ「はじめの一歩」というボクシング漫画の影響でプロボクサーになることを決めました。こんなに苦しくて眩しい世界があるのかと衝撃を受けました。そして高校入学と同時に地元のボクシングジムに通い始めたんです。

 この頃好きだったTV番組が「行列のできる法律相談所」。そこに出演した弁護士はふざけて笑いを取りつつも法律の話となるや真面目になり、締めるところは締めるという、痺れるような二面性を持っていました。そして何より、弱い人を助ける力があった。「これだ、これになりたい!」と思いました。中1の時の成績が5段階中オール3と平凡な成績だったように勉強はもともとあまり得意ではなかったので弁護士になると言い出したときは周りに驚かれましたが、周囲の評価はどうでもよく、とにかく弁護士になって強くなる!と心に決めました。

 

学年最下位の落ちこぼれだった高校時代

そんなこんなでプロボクサーと弁護士になるという夢を持った訳ですが、確固たる目標を持ったがゆえに、学校へ行く意味が分からなくなりました。

「プロボクサーになるのならトレーニングをすればいいし、弁護士になるのなら法律の勉強をすればいい。それなのになぜこんな狭い場所に毎日朝から夕方まで閉じ込められなくちゃいけないんだ」という強い窮屈感とやるせなさを感じるようになったんですね。

そこからの転落は早かったです。夜遊びしたり朝までインターネットやアニメに没頭する生活に陥り学校から遠ざかっていきました。朝方まで起きているので目覚めるのは夕方くらいです。どんどん学校に寄り付かなくなり、どんどん教室から居場所がなくなり、どんどん成績も落ち、そして更に学校に寄り付かなくなる……という負のスパイラル。気づけば出席日数の足らない、成績学年最下位の落ちこぼれとなっていました。

ボクシングでも結果は出していない、勉強は学年最下位という状況にあってもなお周囲に「俺はプロボクサーと弁護士になる。」と宣言し続けていたので、同級生からは当然ですが「痛い奴」という目で見られました。「お前じゃ無理」と馬鹿にされましたし、陰口も少なからず叩かれました。確実に教室で浮いた存在でしたし、いつも周囲から嘲笑されているような気がしていました。小中学校では9年間無欠席の皆勤賞だったんですけどね。

遂に高校3年の夏休みには親を呼び出され、自主退学を勧告されました。担任から通信制の学校のパンフレットをいくつか渡されて、転校してくださいと。夏の蒸し暑い教室でじっと俯く母親の姿は未だに忘れられません。別の機会には父親が呼び出され、僕の代わりに頭を下げてくれたこともあります。こちらは雪が残る寒い日でした。両親には本当に申し訳ないことをしました。

愛情を注ぎ続けてくれた校長先生とボクシング部顧問

ただ、そんな中でも校長だった榧場(かやば)博先生は気にかけてくださいました。

学校に来たけどだるいからサボりたい、でもこそこそサボるのは嫌だ、じゃあ学校で一番堂々とサボれる場所はどこだろう?と考えた末に、校長室だなと。そこで授業中にもかかわらず「サボらせてください!」と校長室に直談判しに行きました。校長先生はそんな生意気な僕を驚きつつも受け入れてくれました。またある朝、知らない番号からの着信で起こされて、出たら「校長です。坪井、学校に来い」とモーニングコールを頂いたこともありました。一発で目が覚めましたね()後から聞いたのですが、学年会議で担任も含めほとんどの教師が僕を留年させようとする中で校長先生が反対して結論をひっくり返してくれたとのことです。

また、部員が僕一人だけのボクシング部顧問になってくださった町田博先生にも可愛がっていただきました。

町田先生は僕以外のクラスメイトがみんな体育で校庭に行っているなか薄暗い教室でただ一人眠りこけている僕をたまたま見つけたことがあったようです。夜型の生活を送っていた僕は徹夜明けで朝学校に行っても昼までずっと寝ていることも珍しくなくて、クラスメイトはそんな僕を起こしてくれなかったんですよ。町田先生はそれを見て「こいつの味方になってやろう」と思ってくださったようです。

僕の味方をしてくれた先生はこの2人だけでした高校卒業から15年近く経ちますが、未だに榧場先生と町田先生とは連絡を取り合っています。お二人ともボクシングの試合も観に来てくださいましたし、司法試験に合格した時もすごく喜んでくださいました。司法試験合格の報告のため榧場先生と二人で飲みに行ったときに榧場先生がこぼした「俺の目は間違ってなかった」という言葉にはこみ上げるものがありました。

榧場校長先生に司法試験合格を報告したとき

 

それと、教室に居場所がなくて「痛い奴」だった僕と一緒にバカやって騒いでくれた同級生とは未だによく遊びます。一生の友達です。偏差値34、学年最下位、と記載された通知表を受け取った高3の夏、一念発起して猛勉強を始め、法政大学法学部国際政治学科へ現役で合格しました。

破天荒な落ちこぼれエピソード

当時学年の生徒数が241人いたのですが、ある時テストの成績が236位で。あれ?俺より5人もできない人いるんだ!とちょっと喜んだら、なんとその5人はテストの欠席者で、僕が正真正銘の最下位でした(笑)。

また、出席日数が足らずこのままだと留年だということで、夏休みに登校することとなりました。家庭科の単位が足らなかったのですが、家庭科室を使えない日だったので、たまたま開いていた保健室でホットケーキを焼くというソロ調理実習に取り組んでいた時。練習中に骨折してしまったサッカー部の選手が保健室に運ばれてきて。引退前の最後の試合に出場できないといって彼はベッドで悔し泣きをしていました。保健室の先生もそれを必死に慰めるんです。保健室には青春ど真ん中の涙を流す彼の嗚咽と、ホットケーキをひっくり返す僕の「ほっ!」という掛け声と、ひっくり返されたホットケーキのぺたんっという間の抜けた音だけが響いていました。シリアスな雰囲気と甘い匂いが保健室中に充満していました。めちゃくちゃシュールだったと思います。

別の日には、体育の単位が足らなかったせいで1時間目から5時間目までずっと持久走を走ったことがあります。メロスでもあんなに走らないと思います。

改めて振り返るとまるでめちゃくちゃな奴ですね。
(DAY2へつづく)

 

坪井僚哉(つぼい りょうすけ)氏 プロフィール

19912月生まれ 神奈川県出身

20125月 プロボクサーライセンス取得、後楽園ホールにてプロデビュー戦3ラウンドTKO勝利

2015年3月 明治大学法学部 卒業

2017年3月 神戸大学法科大学院 卒業

20179月 司法試験合格(受験1回目、労働法選択)

20182月~ バックパッカーとしてリュックサック一つで世界一周、象使い免許取得、バイクで日本一周、北海道厚真町にて胆振地方地震震災復興ボランティアに従事

201912月 最高裁判所司法研修所 修了

20201月 法律事務所アルシエン 入所

20221月 法律事務所アルシエン パートナー(共同経営者)弁護士就任 中小企業顧問と不動産問題解決に注力

 

 

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