プラスチック成型のパイオニア企業を受け継ぐスゴい人!

エリートに囲まれた環境

「世界初」を生み続ける不二プラスチックへ

突然訪れた倒産の危機

本日登場するのは、プラスチック成型のパイオニアとして80年以上の歴史を持つ企業を受け継ぐスゴい人。
世界で最初のCDケースである「ジュエルケース」をはじめ、あのプレイステーションも手掛け、国内特許21件、海外特許6件、実用新案21件を持つ。
チャレンジ精神を持ち続け、世界に先駆けたモノづくりを次々と展開していった。
そんな中、突如訪れた大手取引先の倒産。
莫大な費用の支払い猶予は6ヶ月、支払わなければ倒産の危機。
絶体絶命の状況の行方はいかに。

さあ…
不二プラスチック株式会社
代表取締役 池下 龍一郎様の登場です!

周りを笑わせていた幼少期

幼少期は常にふざけていて、周りを笑わせていました。
また、元気があり余っていたので、よくやんちゃをしていました。
喧嘩をしたり、バイクを乗り回したり。
中学、高校と呼び出しは当たり前。その際、おふくろはいつも泣いて、親父にはこっぴどく叱られて。
母は、いつもはこんな子じゃない!とかばってくれ、父は、人に迷惑をかけるとどうなるかを体感で教えてくれていました。
親には、大変心配や迷惑をかけましたが、本当に感謝しています。

起業家になるという気持ちを抱いて

高校を退学して、大検で大学へ進学。
卒業後は起業をしたいと思っていました。
うちの親父は「いつも起業したいと言っているな。できる限り応援してあげるから、好きなことをやりなさい。まずは普通なら入れないところに頼んで入れてやるから行ってこい。うちを継ぐかはやってから考えればいいから」と言ってくれ、親父のおかげで出向というかたちで三井物産に入りました。

エリートに囲まれた環境

入社後はそれなりに苦労をしました。
周りはなるべくしてなった商社マン。
名門大学を出た体育会出身の文武両道。
本来出向は特別扱いでしたが、父からの意向で私も社員と同じカリキュラムで取り組みました。
講習会で試験を何十科目と受けると、最高点、最低点、平均点と結果が出るのですが、見事に全部最低点。
名前こそ出ないんだけど「俺だ」って(笑)
「俺ごときがストレスを感じるなんてあり得ない」と思っていましたが、十円ハゲができたり、倒れて
気絶しちゃったり。
こればっかりは、どうにもならないなと痛感しました。
ただ、仕事を始めると学歴なんか関係ないと腹を括りました。
「100円ライター」の元祖である東海の専属チームに配属され、当時は全盛期で、御殿場の最新鋭の機器が揃う工場でライターのヤスリや圧電素子を輸入したり、国内で生産・納品をしました。
取引先が大手さんでも、僕らが会う購買担当の方々は高卒で地元採用の方が多く、彼らは世界の商社マンなんか大っ嫌いで、特に若い商社マンに対して態度が悪い。
「実は僕、高校中退で出向の身なんですよ」と、相手の立場になって話すことによって、心を開いてくれるようになりました。
その結果、担当の人がうちの部長宛てに「池下くんが頑張っているから、取引の量を増やします」と言ってくれたのは嬉しかったですね。
本当にいい勉強をさせてもらいました。

「世界初」を生み続ける不二プラスチックへ

3年ほど経ち、部長に「海外に行きたい」という話をしたら、「香港に買収した会社があるけど行くか?」と言われました。
しかし、その頃親父が病気を患っており、少しでもいいから手伝って欲しいと言われて家業に戻ることになりました。
祖父がソニーの創業者である井深さんと仲が良かったというつながりで、ソニーさんとは長くビジネスでの付き合いが続いています。
当時の一番大きな窓口はソニーさんでした。
もともとオーディオ&ヴィジュアルを基本にしています。
8ミリテープなどのテープを巻き取っているボビンみたいなものをリールと言いますが、世界で初めてアルミから樹脂化したのがうちの会社なんです。
それから次は、カセットテープ。
その次は、プロユースの報道機関、放送機関で使うビデオテープ・ユーマチックをソニーから受託して、うちの基準で世界に出しました。
さらに1982年、それまでLPレコードが主流だったのがCDに移り、ケースを作ることになりました。
世界プレゼンテーションに出したのが「ジュエルケース」。
CDのピックアップ面の美しさを宝石に見たてて「ジュエルケース」という名前を命名しました。
世界で最初のいまのCDケース、「ジュエルケース」を作ったのもうちの会社なんです。
そんな時代があってグワーッと伸びていきました。
ゲームでは、プレイステーション1、2、3の多くを作らせていただいていました。
しかし、時代の流れでCDケースもプレイステーションも価格競争になり、厳しい時代になってきました。
我が社のプラスチックの技術はどんなところにも負けませんが、価格の波は大きな課題になって来ています。
近年は任天堂さんのゲームソフトケースを作らせて頂いております。

突然訪れた倒産の危機

2009年、リーマンショックの時に事件が起きました。
重要高額取引先の会社が潰れました。
その会社とは、長年の付き合いでしたが気が付かず、突然のことでした。僕らも調査不足でした。
その結果、急遽数千万の資金補填をしなくてはならなくなり、年末年始でしたのでその猶予は3日ぐらいしかありませんでした。
何とかその場はしのげましたが、つなぎつなぎの自転車操業でも7ヶ月後には会社が完全に潰れるという計算になりました。
そんな矢先、驚くことが起こりました。
別の取引先からの3ヶ月の手形支払いが、その取引先の都合で、現金払いに変更になりました。
通常そんなことはありえないのですが、現金払いになり、窮地を脱することができました。
これは今でも「神風伝説」と呼んでいます。
本当に運が良かったとしか言えません。

私生活は仕事にも影響する

日々の習慣が仕事にもつながると思っています。
1つは時間。
例えば、待ち合わせは10分前に行くし、早め早めに行動するということの表しとして「準備十分前行動」を意識しています。
なるべくうちの社員にも「9時始業だったら俺は8時半にいるけどな」と言っています。
もう1つは整理整頓。
自宅や会社の部屋も整理整頓は当然。
整理整頓ができない人は仕事もガサツになるのではないか。
僕は、そこは大きな要素として捉えています。

新規事業で新たな世界へ

現在は主にCD・DVD・Blu-rayの映像と音楽、ゲーム関連事業に取り組んでいます。
新規事業に向けて、医療分野や食品分野など、他の分野と積極的に交流をしています。
いまの時代、プラスチックだけではやはり限界がある。
異業種交流会などで仲良くしている人たちと、あれやろう、これやろうとアイディアを出し合っています。
他の業界とコラボレートして、プラスチックを活かしていきます。

取材を終えて

一言でいうと豪快な社長でいらっしゃるという印象でした。
やんちゃをした時に池下社長のお父様は、優しくかつ厳しいことばかり。
警察から銀座金田中へ連れて行かれ、そのエピソードはうーん!!ここでは話せないことばかりですが、男としての覚悟を教えられたとのこと。
昭和の豪快な社長のお父様に負けず劣らず、最近あまりみない豪快な池下社長でした。

プロフィール

池下龍一郎(いけのした・りゅういちろう)
不二プラスチック 株式会社 代表取締役
1966年生まれ。
明海大学経済学部卒業。
大学卒業後、三井物産に就職。
その後、不二プラスチック入社。
代表取締役就任後の初仕事として東京本社を中心に霞ヶ浦、仙台へと広がっていた3事業所を統合。
1982年世界で最初のCDケースである「ジュエルケース」を開発、プレイステーションのケースも発売当初から開発。国境を越えた競合環境激化の中で、スリム化を伴う方向転換。
メーカーとしての存在意義をより明確なものにするために、研究開発やオリジナル商品の開発に情熱を傾ける。
東日本プラスチック健康保健組合 理事
トープラ企業年金基金 理事
学校法人 明海大学 評議員

◆不二プラスチック 株式会社
http://www.fujiplas.co.jp/index.html

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