児童養護施設をご存じだろうか。理由があって保護者と暮らせない子供たちが大人になるまで安心して暮らせる、行政機関である。児童虐待は彼らがたとえ大人になっても終わらない。児童虐待を乗り越え成人し、「虐待を経験した若者たち」と過去形になってもである。本日紹介するのは映画監督 山本昌子さん。自分自身も養護施設で育ち、そこで育つ人の「その後」を当事者として深く理解している。彼らの大人になっても拭えない傷と心の叫びを元にメガホンを取り、ドキュメンタリー映画『REALVOICE』を制作されました。「支えられる側」から「支える側」へとなった山本さんは、居場所づくりや情報発信の活動を続けている。今回はそんな彼女の生い立ちと、同じような仲間達への想いを伺った。

愛は伝わらなければ無いものと同じ

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孤独に追い詰められて死を意識し、踏みとどまった理由

児童養護施設を卒業し、自立援助ホームに移った私は、やがて精神的に落ち込むようになりました。大好きな施設を離れることは、頭ではわかっていても心が追いついていませんでした。

自分が16年間施設で築いてきた関係がこんな一瞬で崩れるなら、これから人と新しく関係を作っていく意味なんてない。私はそんなことを考えるようになりました。

家に帰っても誰もいない。相談できる家族がいる18歳の子たちとは違う環境で、自分のためにひとりで頑張らなければいけないんだと、施設を出てから初めて実感したのです。

今まで周りから言われることもあった「親がいない辛さ」が「ああ、世の中が言っていたことってこういうことか」と腑に落ちた瞬間でもありました。

それでも私は人には恵まれていました。当時アルバイトをしていた居酒屋さんでは「夢があるんだから」とシフトを増やしてくれたり、手助けをしてくれた店長がいました。お前は今一番辛いときかもしれないが、こんな凄い18歳はいないからと励ましてくれる人もいました。必死で生きているうちにこんな私を「応援しよう」という人が周りに集まってくれたのです。

山本さん(左)と専門学校の友人

専門学校に通い始めましたが、精神的な落ち込みは続きます。淋しくて仕方がなくて毎日オールナイトで友人と一緒に過ごしていました。

夜は眠れずに朝起きられなくてずっと寝ていたり、電車に乗っている時に涙がこぼれたりしたときもありました。そんな精神的に落ちこんでいるときにも、私のそばには理解してくれる仲間がいつもいました。

「死にたい」という私に、「生きていて欲しい」と熱弁する友人もたくさんいました。私を踏みとどまらせたのは紛れもなく人の繋がりでした。

今、私が死んでしまったら、今まで育ててくれた人が自分の育て方が悪かったんじゃないかと思うだろうなと考えたからでした。それは絶対に違うのに、死んでしまったら否定することもできない。だからそれはやってはいけないことだと私自身が考えていたことでした。

多くの人から支えられて育ち、その方々が私にとって大切な存在になったことで踏みとどまれたのです。

虐待経験が残す心の傷と向き合っていく

私は被虐待児とはいえ、生後間もないころでしたので、記憶がありません。ですから私が最初に「虐待の後遺症」というものを意識したのは高校2年のときです。施設で一緒に育った妹のような存在の子が統合失調症を発症した時でした。部屋を掃除してもカッターで布団を全部切り裂いたり、私が作る食事以外を受け付けなくなったりといった症状がありました。

元気なときを知っている私はいずれ戻るだろうと考えていましたが、1ヶ月経っても3ヶ月経ってもその子の症状は戻りませんでした。その時、初めて私は虐待の後遺症の存在を意識しました。

今、私は同じような立場の人たちへのサポートもしています。

その中で出会った子が教えてくれたことがあります。その子がリストカットをやめた理由は、ずっと関わってくれた人がいて「またその人が悲しむだろうな」「悲しませてまでリストカットをする意味があるのかな」と思った時とのことでした。

私は自分自身が死にたかったあの頃、「私が死んでも誰も悲しまない」と思っていました。

誰にも必要とされない感覚が自分の心への揺らぎに繋がっていたのです。これは人が生きていく上でとても重要な要素なのです。人は一人で生きているのではなく、人と共に生きていくのです。

大人たちにも事情がある。再会した母や憎めない父への想い

私が施設に入ることになったのは家庭の事情でした。家は貧困家庭というわけでもなく、どちらかといえば裕福な部類に入ります。それでも何かのボタンの掛け違いのように、うまくいかなくなることは誰にでも起こり得ることだと私のケースは伝えてくれます。

私は、両親に憎しみを抱いたことはありません。

父に対しても「憎めない人」とさえ考えています。

実は施設を卒業するとき、私の父親は一緒に住み、専門学校の学費も出すという話をしていました。ですが正式に児童相談所との話し合いを行ったときにそんな約束はしていないと反故にしました。それでも私はしょうがないと思いました。

「いつものことだし、父親にもしてあげたい想いはあるけれど、大人の事情もあるのだろうな」と察していました。

実は数年前にTVの企画のおかげで母親と再会することが叶いました。少ししか話せなかったけれど、素敵な人でした。そのとき受け取った指輪を、私は今も大切に指にはめています。

先輩が着せてくれた振り袖が、孤独から救ってくれた

現在、多くの活動をしている私ですが、活動のひとつに「ACHAプロジェクト」の振袖事業があります。児童養護施設出身の子達へ振袖や袴を提供し、撮影する活動です。

専門学校時代、私には同じように児童養護施設の職員を目指していたあちゃさんという先輩がいました。私のことを気にかけてくれていたあちゃさんは「成人式に着物は着たの?」と声をかけました。そして私が着ていないと知ると、貸衣装があるフォトスタジオに連れていってくれました。

それまで振袖を着て成人を祝うということをあまり意識していなかった私でしたが、その経験はとても勇気を貰える体験になりました。大切にされている実感を噛みしめる私にあちゃさんは「自分は大事にされる存在で、価値があるってことを知って欲しくて振袖を着てもらった」と告げました。それが私にはとても嬉しく、これから生きていく力として受け取ることができました。

当時の私は自分の希死念慮やネガティブな感情に悩まされながらもポジティブに生きたいと考えていた頃でした。そのために生い立ちの整理をして、友人や施設の職員の方とどうやって生きてきたかを振り返ったとき、必要な選択が見えたのです。

児童養護施設の職員にはなりたかったけれど、あまりに当事者感覚が強過ぎるのが当時の私の課題でした。当事者が職員になることは子どもよりの考えになりすぎて、職員や組織の考えに寄り添えなくてチームワークが悪くなり、結果として子どものためにはならない。それならいっそ第三者的なボランティアをしよう。その答えに辿り着き、今の活動に繋がっていきます。

同じような誰かのために「居場所」を。そして伝えたい。

「18歳になったから、さあひとりで頑張って。」それが当時の私が突然直面した現実でした。そしてそれが一番辛い時期だということを私は身を以て知ったのです。当時はアフターケアが提供される環境はなく、その現実に多くの児童養護施設出身者が直面していました。

『ACHAプロジェクト』の他に、居場所を作るシェアハウス事業、寄り添い事業など、児童養護施設や里親の元で育った人たちがSOSを発信する場や機会を設け、何かできることはないか模索しています。

施設の職員さんや先輩、友人。同じ経験をした仲間。人に恵まれて、私が今度は支える側となる道が開けました。

寄り添って支える活動と同時に伝えることも大切だと思います。

例えば施設の子が里親の元で暮らすようになったとき驚くのは「おかずの残り物」を食べること。施設では集団食中毒に発展する恐れがあるため、残ったものを翌日へ取っておきません。

そのため、そのことを知らない里親の目には「残り物を食べない贅沢な子」と思われ、預かった里子への印象に影響することもあります。

虐待経験者ひとりひとりにインタビューする山本さん

知らないことで生まれる人間関係のひずみがあります。そして私は自分たちのような存在を知ってもらうプロジェクトを立ち上げました。ドキュメンタリー映画『REALVOICE』の製作です。

振袖事業『ACHAプロジェクト』では、初めて振袖を着るすべての瞬間を大切にしたいという想いから、一度の撮影でじっくりとその人を撮ることにこだわっていました。

REALVOICE』では 70人の虐待経験者のひとりひとりに私自身が耳を傾け、インタビューしました。あまり知られて来なかった虐待当事者の等身大の本心を見てほしいと思いました。

虐待は特別なことじゃなく、実は身近なものだと、映画の最後のインタビューに答えた女性は口にします。誰もが虐待に手を出してしまう可能性はあるのです。彼らは虐待の当事者ですが、それを見る観客もまたいつでも当事者になりえるのです。

「産まれてきてくれてありがとう」「あなたも大切な存在」というメッセージは、家族には恵まれなかった私が、他の誰かから受け取り、その結果救われた言葉です。このメッセージをいつかどこかで誰かから受け取り、すべての虐待を経験した若者達がその人生を自分の足で歩きだしてほしいと願っています。

特別ではない、大切な愛情の形を知って貰おうとする私のこのような活動は、これからの子ども達をとりまく愛の形を変える力がある。そう信じる人たちを通じて広がっています。

振袖事業『ACHAプロジェクト』

 

(了)

インタビュー:NORIKO  ライター:久世薫

 

山本 昌子(やまもと まさこ) プロフィール:

社会活動家。映画監督。振袖ボランティア団体ACHAプロジェクト代表。生後4ヶ月で育児放棄され、保護される。児童養護施設で育った経験から、同じような経験者のための居場所つくりや情報発信活動を行っている。虐待された人たちのリアルな声を届けるドキュメンタリー映画『REALVOICE』監督。

ドキュメンタリー映画『REALVOICE』★書籍化プロジェクトも進行中!

https://www.youtube.com/watch?v=R8LhlmtvBMs
『REALVOICE』公式サイト
https://real-voice.studio.site/

 

 

山本昌子公式サイト:https://achaproject.wixsite.com/website-1

X:https://twitter.com/7974lovesmile

Instagram:https://www.instagram.com/7974lovesmile/

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