パリ・ダカールラリーで日本人初の総合優勝を果たしたスゴい人!

今週のスゴい人は、伝説のクルマ、三菱自動車のパジェロがバカ売れした原動力となった篠塚建次郎氏。「モノづくり大国・日本」の代表ともいえる自動車業界の隆盛をソフト面で支えたラリードライバーだ。その類まれなドライビングセンスで激動の時代を走り抜けたスゴい!軌跡を追う。

 

令和リニューアル記念4日連続インタビュー

DAY1

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ラリーを全く知らなかった子ども時代

日刊スゴい人編集部(以下 編集部) 「本日はありがとうございます。日刊スゴい人リニューアル™創刊にあたり、篠塚様に取材をさせていただけますこと心より御礼申し上げます。どうぞよろしくお願いいたします。

篠塚さん(以下 敬称略) 「よろしくお願いします。」

 

編集部 早速ですが、篠塚さんはどのようにしてこの日本のラリー史をトップランナーとして牽引され続けられたのか、その秘密を教えていただけたらと思います。子供時代はやはりほかのお子さんとは違い活発でいらしたのではないですか?。

篠塚  いえいえ。ところがね10歳までは病弱でしたよ。もうしょっちゅう風邪ひいて熱を出し、今にして思えば喘息だったんじゃないかなあ。入院するほどではなかったから、学校には普通に通ってたけど、おとなしくて、勉強もあんまりできない、目立たない子どもでしたよ。

 

編集部 それはすごく意外です!

篠塚 親がね、病弱さがこれ以上進んじゃいけない、って、当然思ってましてね。たまたま家族で多摩川の土手をドライブしていたら、乗馬クラブがあって。そしたら親父が、「乗馬でもやってみるか。」って言うんで、乗馬を始めました。それが小学校2年生の時。そしたら乗馬と共に体が強くなってきたね。

 

編集部 車ではありませんが、やはり「乗る」モノがお好きだったんですね(笑)乗馬はどのくらい続けられたんですか?

篠塚  3年やったかな。まだ体が小さくて障害までできなかったから、馬場馬術っていう競技に参加してたね。東京都でも1等賞は1度もなかった気がするけれど、2位とか3位は何度かあったよ。

 

編集部 さすが!その時から、既に結果を出していたわけですね。体を強くする為に、いわゆる格闘技などではなく「乗馬」というのは珍しい選択ではないでしょうか。結構お金もかかるでしょうし、なかなか普通の家庭では選べないですよ。

篠塚  その時には、まあまあお金があったのでしょうね(笑)

 

編集部 お父様は、やはり車に関係のあるお仕事をなさっていたのですか?

篠塚  会社の役員でしたが、車とは全然関係ない仕事でした。3年くらい乗馬はやったんですが、そのあとは自転車を好きになってね。

 

編集部 やはりまた「乗る」んですね!(笑)

篠塚  乗るモノはやっぱりずっと好きだったよね。(笑) 自転車はね、競技に参加するのではなくて、サイクリングだけど。それが中学生の時までやったね。高校に入ったら、我々の頃は今と違って18歳じゃなくて16歳で360CCの軽自動車と自動二輪の免許が取れたから、バイクや軽自動車に乗ってました。これもラリーではなくツーリングで。

 

編集部 「乗り」まくってますね(笑)後のラリー生活につながるような、いわゆるゾクゾクっとする瞬間などもありましたか?

篠塚  その時はまだなかったなあ。(笑)

 

編集部 まさか将来、ハードな運転を志すことになろうとは、夢にも思わなかったのでしょうね。ご家族も一緒に乗馬や自転車などに乗られましたか?

篠塚  いや、3つ上の兄貴は病弱ではなかったから、特に何もやっていなくて。僕は病弱だったからこそ乗馬の習い事させられたんだよね。

 

編集部 そうなんですね。篠塚さんは体力的にちょっと弱かったからこそ逆に、体力を鍛える目的とはいえ、後につながる運命的な好機を得たのかもしれませんね。お兄様もなさっていたら兄弟でラリードライバーだったかもしれませんね!

篠塚 兄は今は普通にサラリーマンしてますよ。

 

編集部 弟さんがすごく有名になって、職場でお兄様の周りもさぞかし賑やかになっていったのではないですか?

篠塚 どうかなあ。僕個人がどうというよりは、僕の家族のことがあるから、色々言われたりしてるかもしれませんね。(笑)

 

編集部 ああ、それは間違いなくそうでしょうね!(篠塚さんの奥様は元女優で、三浦友和さんの実姉、三浦ひろ子さん。つまり、山口百恵さんの義姉にあたります。そして篠塚さんと三浦ひろ子さんのご長男は、俳優の絲木建汰さんという有名一家なのです。)ところで、篠塚さんご家族が清里で営んでいらっしゃるペンションLa VERDURA(ら・べるでゅーら)では、篠塚さんも、おもてなしのためにお手伝いなさっていると伺いましたが本当ですか?

篠塚  そうですね。手伝ってますよ。

 

編集部 なんて贅沢なペンションでしょうか!(笑) 奥様の三浦ひろ子さんはお料理の著書「簡単につくれるおもてなし料理」もおありになりますし、本当に素敵なご家族ですね!

篠塚  La VERDURAは、イタリア語で「野菜たち」という意味です。各お部屋の名前も全部、野菜の名前がついています。だからここの料理は、地元の新鮮な野菜をたくさん使ってます。サラダは、最低でも10種類は使っていますよ。みなさんも機会あればいつでもどうぞ。

 

編集部 ありがとうございます!ぜひ伺いたいです!さて、高校時代にバイクに乗られるようになった篠塚さんですがその後は車に乗られるように。その時に今後を意識づけるような体験をされたとか。

篠塚 そう学生時代、普通にクルマは好きで乗っていたけれど、ラリーやレースに参加しようなんて思ってなかったんだよね。初めて参加したラリーで富士五湖周辺を走っていた時に、車が横にスライドして。態勢を立て直すときに、ゾクゾクっと初めて来たんだよ。その感覚にはまってしまって、繰り返したい欲求が生まれた瞬間だった。

 

編集部 まさに運命的な体験をされたんですね。

篠塚 うん。だから、人間誰でもゾクゾクっと来るようなことが一度はあると思うんだよね。それと出会うかどうか、それに気が付くかどうかは、その人によると思うけれども。年齢的なものも、タイミングもあるかもしれない。僕は10代で出会ったから良かったけど、もしも40代でこの体験に出会っていたなら、何も起きなかったかもしれないよね。

 

編集部 篠塚さんはそういう意味では幸運だったのではないでしょうか。

篠塚 そういう意味で、幸せなんだろうね。異性と出会うのに似てない?(笑) 会ってすぐにゾクゾクっていう人もいるし、そんなことない人もいるでしょう。やっぱり色んなことをやってみる、っていうことだよね。良い人に出逢うのだって、それだけ数多く会ってみないと。

 

編集部 なるほど、説得力がある恋愛カウンセリングですね。(笑)

篠塚 そういう意味では、僕は大学4年の時から三菱のラリーで走っていたから、そのまま自然な流れで三菱に就職になったんだけど。もしホンダの車に乗っていたら、ホンダに就職していたかもしれないね。

 

編集部 タイミングというか、ご縁というか、それが運命なのでしょうか。 

篠塚 まあね、だけど、ラリーやってたって言って就職したけど特別待遇とかじゃないからね。一人の新入社員として、オフィス仕事ももちろんしたからね。

 

編集部 新入社員としてラリーに出るというのはなかなか普通のことではないですよね。 

篠津   三菱としてももちろん、篠塚建次郎を入れるからには、ラリーもやらせよう、って最初から思っていたわけです。だから、入社してすぐにラリーにも参加してね。今で言う所の実業団の選手みたいな感じだね。実業団の選手って、午前中だけ会社に行って午後は練習でしょ。ほとんど仕事しない人もいるしね。でも、自分の場合は、三菱の正社員としてラリーをポピュラーにする、っていうことがミッションだったので、ちゃんと仕事しないと、ラリーもできないな、っていう状況だったから。

 

編集部 両立させるのは大変ですね。

 篠塚  でも、結論としては良かったかな。仕事もきちんとしてるあいつが言ってるんだから間違いないや、って皆が何となく思ってくれただろうし。

 

編集部 実務的なことがわかっている方の発言力の重みは、大きいですよね。一方で、中には、会社に入らずフリーでやっているレーサーさんもいますよね。

 篠塚  後の方からだいぶ出てきたけれども。それってね、会社の予算がある時はいいけど、景気が悪くなると会社の都合で、「もういいです」って切られちゃって飯食えなくなっちゃう。それから会社に何か提案するのも難しくて、言われたことをやればいい、っていうふうになる。社員として会社に意見できるというのはなかなか良い立場なんだよ。

 

編集部 実業団でも、やはり予算の問題で実際にバスケットボールやバレーボールのリーグ内でも選手が、またはチーム自体がコストカットされたりもしていますものね。

 篠塚 うん、だから、僕がやっていたラリーは、商業的な意味あいというよりも、技術の向上や広告マーケティングという意味で会社の利益に直結していたので、存在意義が大きいんだよ。僕自身も、そこに使命感を持って臨めていたから。

 

編集部 そんな明るい空気感が一変したのが、オイルショックだったんですよね(2日目へ続く)

 

2日目の明日は、篠塚建次郎さんが社会人となり、順風満帆とも思えるラリー生活を謳歌し始めた矢先に起きたオイルショックから始まる衝撃的な時代を、またそこからパリ・ダカールラリーに出場するまでのドラマティックな出来事について伺います。お楽しみに!

取材:アレス  ライター:MAYA 翻訳:Tim Wendland

◆篠塚建次郎氏 プロフィール

大田区出身 1948年生 東海大学卒

1971年 三菱自動車入社

1997年 ダカール・ラリー総合優勝 他多数

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