アジア人で初めてバリスタの世界チャンピオンになったスゴい人!

何もない自分の存在に初めて気が付いた高校時代

0.5点は自分らしさを見失っていたから

知識・技術・努力が実を結んだ

本日登場するスゴい人は、バリスタの世界大会でアジア人初のチャンピオンになった、井崎英典さん。
バリスタとは「約100年前にイタリアで生まれた言葉。町の大衆食堂のような“バール”で働く人(イスタ)という意味。そこから本来の意味は「サービスマン」。日本では「コーヒーのプロ」の意味合いが強いが、コーヒーの可能性・魅力を伝え、世間に浸透させていく行動全てがバリスタの仕事」と井崎さんは語る。
実家のコーヒーの店で働き始めた頃、お客さんの「ありがとう」の言葉からコーヒーが楽しくなった。
そのうち、ある理由から世界チャンピオンを目指すことになる。
今、世界チャンピオンだからこそ、広くコーヒーを普及させるために活動されている、そんな現在の井崎さんを作り上げている過去とは…?

さあ…
SAMURAI COFFEE EXPERIENCE
代表 井崎 英典様の登場です!


コーヒーなんか絶対やるかと思っていた

実家は珈琲屋さんで、昔は本当に金がなかった。
お年玉は、全部回収されていました(笑)
お前が成人したらお年玉全部返すって言っていたのに、借金返済に使ったって聞いて、どうしようもねえなって思いました(笑)
でも、家庭はすごく明るかった。
子どものころは、コーヒーなんか絶対やるかって思っていました。
両親を見ていると全然休みがなくて、きつい仕事だと思っていたから。
高校は、中学のときに始めたバドミントンで推薦入学し寮生活で親元を離れて生活し始めてから、派手なことばかりするようになっていって。
その後、ここにいなくてもビックになれるという軽い気持ちで、高校中退をしてしまいました。

コーヒーしか、それしかなかった

高校をやめた当初、俺には何でもできるっていう根拠のない自信がありました。
振り返ってみると、何もやってきていないことに気づいて、そこで初めて「人生どうしよう」って怖くなって。
親父に「うち手伝うか」と言われて、小さい頃から大変さを知っていたから、コーヒーだけはやらないと思っていたけど、しょうがなかった。それしか選択肢がなかったんです。
でも、やり始めてすぐ、楽しいと思うようになりました。
お客さんが物珍しさで声かけてくれたり、コーヒーを作って渡すと、「ありがとう」って言われたりして。
今考えるとひどいものを作っていたと思うけど、よっぽど嬉しかったんだと思います。
振り返ると、自分のやっていたことを認めてほしかったんだなとは思うんですけどね。

大変だった、より、楽しかった

バリスタの大会に初出場したとき、直感的にここが俺の生きる道だって思いました。
そのとき、気づいたのが「勉強しないとな」ということ。
初めて東京に連れてきてもらったときも、自分の無知さに衝撃を受けて。
今だとコーヒーって石油に次ぐ貿易規模のあるものですけど、為替のことも全く分からなかったし、英語が必要だっていうのをすごく感じました。
もう一回勉強し直したいなと心から思うようになって、通信制の高校で大検をとって。
英語を話せるようになりたかったのと、教養を身に着ける時間がほしかったのと、同世代の人たちと触れ合いたかったから大学にも行きたくなりました。
その当時は朝の5時から勉強して、予備校が開く8時くらいから閉まる21時くらいまで勉強して、そのあと店に行って、チャンピオンシップの練習を夜中の12時までして、次の日また、5時に起きてっていう繰り返し。
働きながらだったから大変だったけど、楽しかったです。
こう考えてみると、僕の人生ってコーヒーで成り立っていました。
全部、バリスタとして必要だと思ってやってきたことでした。

0.5点、指紋が明暗の分かれ目だった

バリスタマガジンっていう業界誌があって、これは世界中で読まれている雑誌で、その雑誌のカバーに載りたい、モテたいと思って、世界チャンピオンを目指すようになりました。
人生なんてそんなもんでいいと思っていて、そこから花開くかどうかは、その人の一生懸命さ次第だから。
ワールド・バリスタ・チャンピオンシップは現在62カ国が参加していて、各国の代表1人ずつが出場できます。
味・技術・プレゼンテーションの3つをエスプレッソ4杯、ミルクビバレッジ(カフェラテやカプチーノなど)を4杯、シグニチャードリンクというオリジナルのドリンク4杯を15分という制限時間で審査されます。
会場のオーストラリアに着いてからも、ポッサム(小動物)を相手にプレゼンの練習をして臨みましたが結果は13位で、あと1歩のところでセミファイナル進出を逃しました。
12位との得点差は、わずか0.5点。その0.5点って、マシンに指紋がついているかついていないかくらいの差。すごく落ち込みました。
大会が終わって、ポッサムに独り言を言っていた時ふと、こんな負け方する人、他にいないなと思って、これはきっとコーヒーの神様からの試練なんだと思うことにしました。
だからポッサムには感謝しているんです(笑)
今までの人生の中で、ダントツの挫折。
周りから、逸材だと言われてきたから、本当の自分のボロが出たのかな。
色々な人からのアドバイスを取り入れて、みんなを幸せにしようとしすぎて、自分らしさがなかった。
他人に幸せになってもらうとかの前に、自分が幸せにならないといけなかったんです。

やりきった。今まで経験したことのない、達成感。

それから恩師の丸山社長に「好きなようにやらせてくれませんか」と頭を下げました。
社長は10代のときから目をかけてくれて、ずっと投資してくれていたのに、最後の最後でそんなこと言われて、すごく腹が立ったと思うんですよ。
それでも、もう後悔したくないっていう気持ちの方が強かった。
技術を磨くだけではなくメンタルトレーニングもしました。
それは、人がやらないことまでやらないと勝てないと思ったから。
そうして迎えた次の大会で決勝の6人に残ったとき、急に欲が出てきました。
「もし、勝っちゃったらどうしよう」って。
でも、他の人たちもきっとそう思っているなって気づいたから、冷静になれました。
今俺は何をやらなきゃいけないのかって考えて、終わったときに何も思い残すことがない気持ちで競技を終われたらいいなと心から思いました。
丸山社長に「どうだった?」って聞かれて、「やり残したことがないですよ、これでだめだったら僕もう才能ないですよ」って言ったのを覚えています。
優勝のとき、それはもう最高の瞬間でした。
僕は、大事なときに人に助けてもらってきて、本当に恵まれていると思いました。

チャンピオンになったからって

チャンピオンになったことはもう昔のことだと思っています。
称号は何も助けてくれないけれど、一つステージは上がり、世界のトップの人たちと仕事をできるようになりました。
この肩書に恥じないように一生勉強していかないといけません。
人生の一番の教訓は、目の前のことに一生懸命になること。
食事の時、親父から「その飯は、一杯のコーヒーからできている」ってよく言われていました。
コーヒー一杯でこの生活をさせてもらっていることを有難いと今でも思っています。
成功するためには、その人が何を積み上げてきたかっていうのが大切です。
今後は、海外では教育関係だったら、「Hide Izaki」だと言ってもらえるようになりたいし、よりたくさんの日本人がコーヒーに興味を持ってもらえるようにしたいです。
僕のフィルターを通して、コーヒーって面白いなって思ってもらえるように。

取材を終えて・・・

「バリスタはサービスマンである」と井崎さんは言っていました。
一般的に知られているバリスタは、珈琲を淹れる人と思いがちであるが、お客さんが来て帰る時に、気持ちよかったと言って帰ってもらえるのが僕の仕事だと思うと語っていたのが印象的でした。
常に全力で取り組む姿勢が、周りを気持ちよくさせ、人が集まってくる。
人に恵まれている理由は、ここにあるのだと感じました。
さらに「珈琲を飲んでいる時間って平和な時間が多い。たくさんの人が珈琲を飲むことで、たくさんの人が繋がることが出来る。その先には、笑顔。そして、世界平和。珈琲は世界を変える力がある」と語る。
今回の取材で、争いのない世界に役立つ珈琲の存在、珈琲に対する想いを深く知ることができました。


プロフィール

井崎英典(いざき・ひでのり)
株式会社丸山珈琲に勤め、トップバリスタとして活躍。丸山珈琲在籍中、ジャパンバリスタチャンピオンシップにおいて2連覇を果たし、2014年ワールド・バリスタ・チャンピオンシップにおいてアジア人初のワールドバリスタチャンピオンに輝いた。丸山珈琲退社後に、グローバルコーヒーコンサルティングカンパニーであるSAMURAI COFFEE EXPERIENCEを設立。年間約200日を海外で過ごし、コーヒー関連機器の製品開発、人材教育、商品開発などのコンサルティングを行っている。世界中を飛び回り活動する日本人唯一のバリスタ世界チャンピオンである。

◆SAMURAI COFFEE EXPERIENCEホームページ
http://samuraicoffeeexperience.com/

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