明治以前から代々続く老舗桐箱屋を営むスゴい人!

既製品の生まれ方

私の原点となる考え方

私の目指す「第2の創業」

今回登場するスゴい人は、明治以前に創業した箱義桐箱店を営む6代目社長、そして、桐箱の職人技術を活用し第2創業を目指すスゴい人!
幼少期から職人の祖父・父を近くで見てきて会社を継ぐことを決めていた。
他社で学んだノウハウを活かし会社に戻るも、経営の厳しい日々が続いた。
どのようにして苦難を乗り越えてきたのであろうか?
そして見事立て直し、今は第2の創業を開始したという彼の考えとは…?

さあ…
有限会社箱義桐箱店
株式会社箱義(桐アート)
代表取締役 六代 戸張 茂義様の登場です!

長く続く桐箱の歴史

箱義の創業は明治時代より前で、私は6代目です。
桐箱は大昔から保存・保管の為に使われてきました。
珍重された理由は3つあると思います。
1つ目の機能の面では、桐箱は堅木にはない調湿効果があること。
水分を吸ったり出したりするので、日本の四季に沿うことができます。
そして昔は木造の家が主流だったから、火災になると財産がなくなってしまう時代。
その為、水をかけると一気に膨張し、開かなくなるという桐箪笥の特徴は着物などの財産を守りました。
2つ目は文化的に高貴であることです。
皇居に桐紋が掲げられている事や中国皇帝、豊臣秀吉など時の為政者にも桐に関わる逸話があります。
農家では女の子が生まれると成長の早い桐を植えて、花嫁道具の箪笥や下駄を作っていて、へその緒を桐箱に入れるのはこの名残です。
3つ目は日本人の職人の技術ですね。
海外の大量生産とは違う丁寧さが職人の作る桐箱には表れています。
創業以来「お客様の喜ぶ品物を一つずつ丁寧に作る」事を信条として参りました。

既製品の誕生

職人の街にお店があったので希望する箱のサイズや形は職人それぞれで、1つずつ丁寧に作っていました。
例えばブローチやネックレスなど、お客様は箱に入れたいものを直接持ってきます。
何度も注文を受け同じものを作るうち、お客さんにすぐ渡せるよう箱を予め作り置きするようになり、それがやがて既製品となりました。
既製品の名前が「ブローチ」「燭台」「手入れ具」など、変わった名前なのはこの為です。
大量生産という考え方ではなく、毎度来た時にあった方がお客様にとって便利だからという考え方からスタートしています。

私の原点となる考え方

幼少期はやんちゃでワンパクでした。
小学校6年生の時、作文で友達が将来の夢を野球選手、お菓子屋さんと書く中で僕は日本一の桐箱屋と書いていたそうです。
職人の祖父に可愛がられていて、小さい頃から頭領になるためになんとなく頑張らないといけないと思っていましたね。
学校から帰ってくると作業場を遊び場にして、職人さん達を身近に感じながら育ちました。
大学卒業後はちょうどバブル期、営業や経営を学びたくて、すぐに実家には就職せず、一代で上場した宝石メーカーに勤めました。
実家にすぐに就職すると、社長の息子だからと皆遠慮するから、一度「他人の釜の飯」を食わないとだめだという考えがありました。
その後実家に戻り、前職で学んだ経験を活かし事業を拡大したいという思いがありました。

とにかくやるしかない

宝石メーカーでは、1年目は月曜から金曜までルート営業、週末はホテルで催事と毎日仕事をしていました。
叱られることも多かったです。
集金に行ったら「午前中に集金にくるやつがあるか!商売屋の息子がそんなこともわからないのか!」と言われたことも。
昔の習慣や常識、その理由をわかって接しないといけないと学びました。
5年間働いた後は、実家の箱義桐箱店に戻り、7年後に社長に就任しました。
準備のないまま急に会社を継ぐことになり、当時は給料明細の書き方もわからない状態でした。
最初の2年間はプレッシャーばかりでほとんど覚えていないですね。とにかく僕がやらないとだめだ、やらざるを得ないという気持ちでした。
私は30代半ばで社長になりましたが、周りは代替わりしていない会社が多く50代の社長ばかり。様々な集まりでは居場所がなくてつらかったです。
でも彼らからしたら私は子どものような年齢で、色々教えてもらって勉強になりました。
今は同い年くらいの人が代替わりして50代で社長1年目の人がたくさんいます。
でも私は社長になって15年、教えてもらったことを今度は私が教える番だと思っています。
世の中は理不尽なことが多いので知らないと損をします。
だから経験が大事なのです。

経営難の苦悩と手に入れたもの

社長になってすぐは銀行を変える作業など、毎日大変で寝られない日々が続きました。
会社があまりよくない状態で会社を継いだ上に、一人で保証人になり、私の給料を下げ、時には2か月くらい自分の給与が遅れたこともありました。
そんな状況でも、職人や祖父の代から続く協力会社には遅れることなく払い続けました。
辛い時期は、年を越せると安心するのか、毎年熱を出していました。
苦悩から学んだこともあります。
関係先に行くと、先代には良くしてもらったと言われ、助けてくれるんですよ。
それはお金にかえられない財産だと思います。
老舗と呼ばれるところは、前の代が良くしてくれたおかげで、次の代が救われることがあるのです。
次に繋がるからこそ、私もそう言われるように続けていきたいです。

兄弟の絆と海外進出

難局を乗り越えて成功することは決して一人ではできなかったです。
小さい頃から祖父に頭領は兄弟を全部見ろと言われていました。
そして今、兄弟三人で経営をしています。
僕が代表、次男は営業、三男は経理を担当し、お金や経営を透明化していますね。
やりたい事業は、相談してからやるようにしています。
海外進出も兄弟に相談しました。
そして今、箱義は経済産業省のバックアップでクールジャパン推進の10社と組んでいます。
海外のデザイナーに、桐にデザインしてもらい製作した新しい商品を、今後はアジアのハブであるシンガポールの市場で展開していきます。

私の目指す「第2の創業」

私は第2の創業がしたいです。
10年ほどかけて会社を立て直したので、今度は新しいことをしたいと感じるようになりました。
桐の3つの特徴である調湿効果、職人技術、高貴さに加え、僕の代ではデザインという新しい項目を付け足したいですね。
桐箱に和紙を貼ってデザインを付ける新しい試みです。
谷中のアンテナショップも第2の創業の一環です。
日本の伝統文化を多くの方に知ってもらい、興味を持ってもらうために、自分でお店を出してしまえば色々な商品を多く置けると考えました。
ここでは桐箱だけではなく、箱に入れたいものを集めることをテーマとして、北海道から九州までの民芸品や器など様々な商品を扱っています。
そして販売に特化するのではなく、展示やワークショップのスペースも作って伝統を守ることにも力を入れています。

取材を終えて

印象に残っている社長の言葉で「新しいことを始めるのに、成功率が6割あるとすれば、創業者はチャレンジする。しかし、会社を継いだ社長は、失敗が4割あると会社を潰してしまう可能性があるので、チャレンジできないんです」と。
代々続いているからこそのジレンマが、そこにはあるんだと思いました。
事業が続いて当たり前、先代と比較される苦悩が伝わってきました。
そんな中で、新しいことに挑戦する姿は、力強く輝いて見え、改めて戸張社長の凄さを感じる事ができました。

プロフィール

戸張 茂義(とばり・しげよし)
明治元年から続く箱義桐箱店6代目社長

「お客様の喜ぶ品物を一つずつ丁寧につくる」という信条のもと、代々桐箱を届けてきた。
上野の本店を中心に数多くの会社と数十年に渡り取引している。「第2の創業」を自身のテーマのとして谷中にてアンテナショップの展開、桐箱だけでなく器の展示販売もしている。
また経済産業省のバックアップでシンガポールのデザイナーとコラボする海外進出等活躍の場を広げている。

◆箱義桐箱店 http://hakoyoshi.com/
◆Instagram https://www.instagram.com/explore/locations/236059805/
◆Facebookページ https://www.facebook.com/8544yanaka/?rc=p

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