1972年から1986年まで15年間、毎週日曜日夜8時から放送されていたフジテレビの大人気番組「オールスター家族対抗歌合戦」を制作した名プロデューサーのスゴい人!
今年(2016年7月)、30年ぶりに同番組をBSフジで復活させて話題となった。
1968年にフジテレビジョンに入社し、芸能で20年、スポーツで15年、「スター千一夜」「プロ野球ニュース」「F1グランプリ」など数々の人気番組を担当してきた。
さらに、2003年からは社団法人地上デジタル放送推進協会の常務理事として、2013年までテレビ放送の完全デジタル化を推進した。
現在はフジテレビジョン顧問、ジェイコム東京顧問を務める傍ら、自ら制作会社「にっぽん市(にっぽんいち)」を興して、現役テレビ制作マンにこだわっている。
さあ…
株式会社にっぽん市(にっぽんいち)
代表取締役社長
浜口哲夫様の登場です!
「にっぽん」
入社後、最初に配属されたのはバラエティー番組を制作する部署でした。
報道志望だった私は上司に文句を言いましたが、「テレビは様々なニーズに応えて色々な番組を作らなくてはいけない。やりたいことは先でやれるよ」と言われ、納得しました。
しかし、3か月で辞めたくなってしまいました。
就業時間もはっきりしない環境で、やることは掃除や先輩たちの肩もみ、弁当や車両伝票の手配くらい。何も教えてくれない。
だんだん頭にきて「こんな事をするために入社したんじゃない」と、ある先輩に文句を言いました。
すると先輩は「悪かったな。明日からPD卓(演出のトップが座る席)に座っていいぞ」「キャスティングを任せるよ」「美術デザインはどうだ」…「それはまだ無理です」「できません」と答えているうちに、「お前何ができるんだ!できないなら文句言うな!」と張り倒されました。
「お前が用意する弁当は評判がいい、車両伝票の事故もない、そういうことがすべて貢献しているんだ」…ふたたび大納得。
先輩の叱咤激励のおかげで、それからは汚れ仕事も使い走りも気にならなくなりました。
早く一人前のディレクターになってやろうと必死で頑張りました。
「一人前まで10年」と言われた時代でしたが、色々な企画を考えて採用され、運にも恵まれて、3年半で番組を任されるようになりました。
順調に進む一方で、頑張りすぎてノイローゼになって、2年あまり苦しみました。
この危機も、職場の先輩と仲間、家族、信頼できる医師のおかげで切り抜けて、「オールスター家族対抗歌合戦」を15年、699回、1回も休まずに続けることができたのです。
その後のスポーツ局でもデジタル放送推進協会でもそうでしたが、自分だけでは何もできない。
「人様のおかげ」が私の信条です。
先日、BSフジで「オールスター家族対抗歌合戦」を30年ぶりに作らせてもらいました。
この番組は家族の絆や幸せをテーマにしたドキュメンタリーバラエティーです。
家族は社会の基本単位です。家族がうまくいかなければ社会も国もうまくいくはずがありません。
私は介護問題も待機児童問題も社会の問題であるまえに家族の問題だと考えています。
これからの日本はどんな国を目指すのでしょうか。
モノ・カネばかりでなく、日本人の心の活性化を大切にしたいものです。
日本が日本らしい日本を取り戻すために、私は元気の続く限り、現役テレビマンとして日本に働きかけたいと願っています。