経済的理由で大学進学できない優秀な学生を経済支援する“松尾育英会”を受け継ぐスゴい人!

故松尾國三氏の意志によって1957年に設立された「公益財団法人松尾育英会」
この財団の理事長を務めるスゴい人が、本日登場する。
同財団は、経済的理由により大学に進学できない優秀な学生に学費や修学上必要な一切の費用を給付し、更に学生相互が切磋琢磨して人格を形成する場として学生寮を提供している。
平成25年3月に第53期生が卒寮し、これまでに269名の卒寮者を輩出。
国家・地方公務員や金融機関、商社、メーカーなど、社会の各分野において卒寮生が活躍している。
更に、日本の伝統ある劇場芸能を助成・振興し、文化・芸術の保存と向上を目的に設立された「公益財団法人松尾芸能振興財団」
日本の未来を担う子ども達に歌舞伎を通して「日本人の心」を伝えるため、子ども達が一流講師陣の指導を受け毎年大阪と東京で公演に挑む「松尾塾子供歌舞伎」を、彼女は両親から受け継いだ。
彼女は、どのような思いで両親の意志を引き継いでいるのだろうか?
さあ・・・公益財団法人松尾育英会・公益財団法人松尾芸能振興財団 理事長 松尾日出子様の登場です!

「両親の想いを継いで」

父が興行師、母が舞台女優という環境から4歳の時に初めて舞台に立ち、舞台に出るとお菓子を貰えるのが嬉しくて出ていました。
でも、小学校1年生の時に算数で0点をとると父が烈火のごとく怒り、「勉強を優先するように。舞台には立つことを許さない」と言われ、それからは、夏休みや春休みに限って舞台に出ることになりました。
それから戦争が始まって佐賀に疎開し、東京に帰ってきた時には歌舞伎座は焼けていました。
戦後に父が全国で興行を行ない、ホテルや遊園地、新歌舞伎座などの事業を展開するようになりました。
父は新しいことをするのが大好きでしたし、何でも1番でなければ気がすまない人でした。
当時列車にあった“展望車”という特別な車両に乗り、一流の方がなさっていることを見たり聞いたりして真似していました。
当時は新聞を逆さまに持ち、格好だけつけていたこともあったそうです。
10歳から旅芸人だった父は読み書きができなかったのですが、新聞は経済新聞など4紙を1時間半くらいかけて毎日見ていました。
読めていないと思うのですが、何か独自の理解法があったようです。ある時、大阪の経団連からお仲間にとお誘いを受けたのですが、
会議の書類を読むこと、皆様が話されていることを理解することが難しく、辞退したそうです。
その時に学問は大切だと痛感し、お金が無くて教育を受けることができない人がいることは日本にとっても大きな損失だと思い、父は育英会を設立しました。
事業で得たお金を育英会へつぎ込んでいました。
父にとって育英会の寮生は家族なので、「どこの親が子供からお金を取る!」と言ったことから奨学金や生活費などは返金無用としています。
「思いついたら動け」が口癖で、亡くなるまで疾走し続けた人生でした。
私が一番辛いのは、父の事業を継げなかったことです。
せめて父が大切にしていた「松尾育英会」と「松尾芸能財団」を守っていこうと思い、今に至っております。
多くの皆様のお陰で育英会からも素晴らしい人材が多く育っていることは、本当に喜ばしいことでございます。
感謝申し上げます。
来年、育英会は60周年を迎えます。
不甲斐な私を両親がどう思っているかはわかりませんが、日本の為に役に立つ人材が一人でも多く育つことをいつも願っております。

◆公益財団法人松尾育英会
http://matsuo-s.net/

◆公益財団法人松尾芸能振興財団
http://www.matsuo.or.jp/

◆松尾塾子供歌舞伎
http://www.kodomokabuki.jp/

※上記サイトは、一部携帯では見られない可能性があります。

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