【香坂 優】『アルゼンチンで認められた唯一の日本人タンゴ歌手!』

香坂 優

1998年の日亜修好100年記念イベントでは亡き小渕首相よりアルゼンチンの国賓の方々へこの方のCDがプレゼントされた。2011年1月には東京都からの助成事業としてタンゴと能で源氏物語を表現する舞台「情炎」のブエノスアイレス公演が大成功!

アルゼンチンタンゴ歌手兼プロデューサーとして活躍し、日本とアルゼンチンの文化を結ぶ。甘く哀愁を帯びた歌声で本場ブエノスアイレスのタンゴの魂をつかんだ歌の女王!

さあ、アルゼンチンタンゴ歌手香坂優様の登場です!

 

「抱きしめてタンゴ」

小さい頃から歌を歌うのが好きでした。

3歳の時に、たまたま飛び入りしたのど自慢大会で優勝!

東海地方のテレビ局で週8本のレギュラーをもつタレント・アナウンサーになりましたが、結婚して引退。

そして離婚。娘を抱えて女手一つで育てる為に歌手として再スタートしました。アルゼンチンタンゴとの出会いは亡き淡谷のり子先生か ら頂きました。

シャンソン歌手としてこのままで良いかをお聞きしたら、今のままでは、50歳代で声が出せない歌手になるとの助言。本当に厳しいボイストレーナーを紹介されました。2年間子供を抱えて生活も支えながら通ったボイストレーニングで淡谷先生に本気さを認められ、淡谷先生直伝のレッスンをご自宅で受けました。

そんな時に、「アルゼンチンタンゴを歌いなさい!やらないなら歌手を辞めて再婚しなさい」とアドバスを受けでシャンソン歌手からアルゼンチンタンゴ歌手になりました。

その3ヶ月後、淡谷先生の名代でアルゼンチンで行われたコルドバ市州政府主催の音楽祭に日本人代表で出演することになりました。たった3ヶ月で歌詞を覚え、タンゴを歌うことができるのか?

ありえないハプニングだらけでしたが無事終えることができました。しかし、自分の歌の不甲斐なさに悲しくなりました。アルゼンチンへの留学を決めて、1年半ごとに4回お金を貯め家賃を前払いして、小さな娘にはお金だけを渡して3ヶ月間ずつアルゼンチンへ渡りました。

誰も知らない土地でのレッスンは、行く度に挫折して帰ってきましたが、自分を信じることだけは諦めませんでした。思い通りにならない人生に苦しみを感じ絶望から希望を見出すアルゼンチンタンゴこそが

私の人生そのものでした。元気がない時も、歌うと次第に元気を頂いています。

 

これからは、日本文化の幽玄さを表現した能と苦しみの中から生まれたアルゼンチンタンゴを

融合させた公演「情炎」を全国の方に観劇していただき、文化の素晴らしさを再発見して頂きたいと思います。

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