神主から企業経営者へ!異色の経歴で日本の神道精神を守るスゴい人!DAY1

今日ご紹介するのはPPBコミュニケーションズ株式会社代表の清原正光様。神主として神社に奉仕した経験から貿易会社へ転職。経営者として様々な経験を重ねながら現在は、神田神社(神田明神)において文化交流館の運営会社の代表と神社の専門委員を務める。

 

  天地人  

 見どころ

ー家業が神社!大分でのびのびと育った幼少期

ー教師になりますと地元へUターンの挨拶へ。

ーその1年後、神主として地元へUターン!

DAY2を読む

両親ともに教師。やんちゃだった幼少期

大分県の中津で生まれ佐伯で育ちました。とにかくやんちゃ小僧でした。田舎ですからね。子供時代はひたすら朝から晩まで遊んでね。山を登って、川で泳いで。中学生の頃になると川で鮎を釣って河原で焼いて食べてましたね。良い時代でした。

昭和43年生まれですから、そんなにゲームもまだない時代だったからね。近所の子供たちを集めてその日何をして遊ぶかでわくわくしている日々でしたよ。交番の庭の柿の木に登って柿を取ってしまってね、おまわりさんに叱られたり。まさに古き良き昭和時代の典型のような子供時代を過ごしました。

15歳も年の離れた兄と、3人の姉がいましたのである意味一人っ子みたいでした。自由に育てられましたね。年齢の近い姉とはよく買い物に行ったり、姉が免許を取ってからはドライブに連れて行ってもらったりね。

両親ともに教師でしたから、中学校までは生活上のしつけ、例えば挨拶をすることや早起きすることなどについては厳しかったですね。勉強しろと言われることはむしろ少なかったです。中学校を卒業すると、父親にとって、昔でいえば元服だという認識で、自分自身で思考し、解決するように教えられました。

 

野球少年だった中学時代

中学校までは地元の学校に通っていました。小学校から野球をやっていて、ポジションはサード。田舎ですからテレビに映る巨人軍が好きでした。V9時代の長嶋さん、王さんに憧れていましたね。将来の夢は甲子園っというところまでは行きませんでしたね。やはり甲子園を目指す人っていうのは地域に高校のスポーツ課などに進むのですが、もうレベルが違います。朝から晩まで野球漬けでね。そこまではできないというのはありましたね。ですから高校では野球はやらず、神社の手伝いをしていました。中学時代に一度だけものすごく怒られた爆竹事件というのがありましてね。当時仲間内で爆竹を投げ合うという、今だったらまあまあ通報されるレベルの遊びなんですけど(笑)。ある日爆竹を10箱くらい買ってきてばらして、火薬を集めて丸めて川に投げ込むんですよ。魚とか全部死んじゃうの。さすがにそれは警察来ましたよね。すごく怒られました(笑)。

 

家業としての神社のお手伝い、歴史を学びに伊勢へ

中学校に入ると、家業の手伝いをするようになりました。父方の祖母の実家が大分県佐伯市にある尺間神社でして、休みになるとお札所に座ってお手伝いをしていました。お正月は忙しい時期ですから毎年お手伝いに行っておりました。父親も國學院大学の神職課程を修めておりますから宮司としての資格は保有しております。しかしながら宮司にはならず教師の道を選んだんです。資格保有しておりますから、神社の多忙の時期には父もしっかりと役割を家族の一員として果たしております。代々続く宮司家系です。祖母の父は大分県の護国神社の宮司を務めていた人でしたから。私もですから神職としての資格保有をするに際しては全く抵抗が無く、進学をしたんです。ただし、どちらかというと父の影響で教職を目指そうと、歴史の勉強をしたいなと思って、伊勢の皇学館大學を目指しました。たまたまOBの先生がいらしてね、好きな歴史を学んで、神道との親和性もあるのでいいなと思ったんです。伊勢の皇学館大學というのは、戦前は国立の神道を学ぶ専門の大学だったのですが、戦後GHQが定めた神道指令により、一度は解散されたものの、後に私立大学として再興しました。ですから大学としては歴史があり、まさにその場所で歴史を学ぶというのがいいなと考えました。

 物腰が柔らかく、優しい口調で取材にお答えくださいました。

教育実習を終え、神職を目指すと大転換

中学校、高校の国語と社会の教職はもっています。地元に教育実習も行きました。ありがたいことに地元の方からは両親のこともあり、ぜひ戻って教師にと強くお話いただきました。ところが教育実習の中で色々と教師の実態を見るにつけ、なかなかに教師も大変だなと思ったんです。そこでもう一年大学に残って、専攻科に行こうと決めました。大学院のようなものです。そこで神主の資格を取りました。そうすると地元から今度は神主として戻って来いとお声がけをいただきました。

ちょうどそのころ大分県の八幡朝見神社が創建800年の記念事業をされるということでしたのでそのお手伝いをと知人からお声がけいただきましたので、お世話になることにしました。教育実習から1年後に、教師としてではなく、神主として地元に帰ることになったんです。(笑)両親は教育実習でお世話になった学校に謝罪に行ってくれました(笑)。教育実習に行って、教師になることをやめたのは明らかでしたから、本当に申し訳ございません。しかないですよね、親としては(笑)。

 

神主として地元へUターン就職

朝見神社では神主として4年間お世話になりました。半紙を切って紙垂(しで)を作ったりもしました。朝見神社は別府ですから、温泉の街の神社です。毎週末ホテルで神式の結婚式がありますので、週末は各ホテルの神殿をめぐっていました。1日4,5件はありますから。何百組も見届けました。神式のお葬式もありましたから、本当に忙しかったのを記憶しております。平日は朝見神社創建800年記念事業奉賛会の事務局として地元の企業の方や、商工会議所の方々と打合せをしたりしていました。多忙でしたが、この時にビジネスって面白いなと感じていたんです。そんな折に父が突然亡くなったんです。脳梗塞でした。その時にこれから自分の人生どうしようかなと考えたんです。26歳でしたから、このまま地元で神主として職を全うするのか、新たな挑戦をするのもよいなと考えて、当時京都に姉が住んでいたので、京都に向かうことにしたんです。

 

◆プロフィール 清原正光(きよはら まさみつ)

大分県出身。皇学館大學卒業。PPBコミュニケーションズ株式会社 代表取締役社長

宗教法人 神田神社 1300年記念事業奉賛会 専門委員

東部トップツアーズ株式会社 東京2020オリンピック・パラリンピック カンパニーブランディング推進 アドバイザー

株式会社CoCoRo 代表取締役社長

コーポレートサイト https://cocoro-k.co.jp/

コンテンツサイト https://edocco-studio.com/

PPBコミュニケーションズ株式会社 公式サイト:http://www.pp-bank.jp/wp/

KANDA FESTIBALhttps://kanda-festival.com/

2021年2月20日(土)~23日(祝日)の4日間

 

 

 

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

Twitterでフォローしよう