古来から日本に伝わる神道を現代カルチャーに結びつけるスゴい人 DAY1

日本のサブカル発信地として知られている秋葉原。その氏神様が祀られている神社が神田明神です。正式名称を神田神社というこの神社は、伊勢神宮を本宗とする神社本庁の別表神社であり、奈良時代に創建されたのが始まりと言われています。伝統的な歴史を持つ一方で、現代ではアニメ作品とのコラボ、インターネット参拝など、新しい文化も積極的なことでも有名。そういった取り組みにも前向きな宮司、清水祥彦さんは、自分は人間として未熟なのだと微笑みます。人の暮らしと神道について模索を続ける清水さんの背景について伺いました。

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神社の血縁としては傍系。決して宮司になる必要はなかった

──神田神社の権宮司である清水さんは、東京都神社庁の副庁長でもいらっしゃるんですね。神社庁は国の機関なのですか?

名前が神社『庁』なので省庁と混同される方も多いのですが、神社庁は宗教法人です。昔は神祇官という官僚制度ではあったのですが、戦後、政教分離の原則ができましてそれに従い完全に国から離れて、各都道府県に神社庁が作られました。

東京都神社庁は全国にある神社をまとめる組合のような組織です。東京都神社庁では小笠原も含めて都内にある約1400の神社の統括を行っています。

 

──東京だけで1400もの神社があるんですか?

はい。全国だと約79,000の神社があります。

 

──そんなにあるんですね。今日は幼少期からのお話をお伺いしたいと思います。開成中学から高校、そして國學院大學に進まれたんですよね。一般的には宮司さんというと、あまり身近な存在ではなく、雲の上の方という気がしますが、ご出身の学校があると伺うと。「人間性」を感じることができます(笑)。

人間としては、失敗ばかりの連続です。今このような役職に就かせていただいていることに感謝をしております。

 

──ご両親のいずれかが神社と関係があるのでしょうか。

父は普通のサラリーマンです。母がいわゆる神職の娘でした。母方の祖父(編集注:大鳥居吾朗)が以前、この神田神社の宮司で、東京都神社庁の庁長もしておりました。ただ血縁が神社の家系とはいえ、私は母方の傍系なので、後を継いだわけではありません。幼い頃、祖父の背中を見て育ちましたが、明治生まれの祖父は品格があり、自分に厳しい厳格な人でした。憧れや尊敬はあっても、自分が神職につくことは考えてもいませんでした。

 

──小学生の頃は葛飾の下町で育ったとのことですが。

はい。私立の小学校受験に失敗して人生最初の挫折を経験しましたが、区立の小学校に楽しく通い、勉強と遊びを楽しんでいました。母の言うこともよく聞く優等生でしたが、中学受験で開成中学にたまたま入ったら劣等生になってしまいました。いま思うと開成中学に合格できたのは、祖母が神社で、お百度参りをしてくれたおかげとしか考えられません。

開成高校に合格、死生観を変えたのは同級生の死

 

──中学に進学して、ご両親は成績についてなどは言われなかったんですか?

随分と親には反抗していました。思春期独特の、自分が何も思うようにできない感覚があって、勉強も部活もしないで、いつも一人で散歩をして時間をつぶしていました。

当時、ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』を愛読していました。『車輪の下』はエリートが挫折し、最後には若くして亡くなる話です。あとは太宰治などもよく読みました。そうやって無為な時間を過ごしていました。

 

──哲学的なものがお好きだったんですね。模索に時間がかけられるのも貴重な過ごし方だと思います。しかしながら若くして哲学の世界に向かわれるきっかけは何だったでしょうか。

同じクラスだった級友が親に殺されるという事件がありました。(編集注:1977年開成高校生殺人事件)

彼も親に反抗し、家庭内暴力が起きていたようです。彼とは出席番号が近くて親しかったんです。自分も同じように親不孝を散々していましたから、他人事とは思えなくて。自分の生き方を模索するように、何かを探しているような気持で散歩をしていました。開成中学があった西日暮里から寛永寺の墓地を通り、上野公園の国立博物館までが、いつものコースでした。

取材はEDOCCO文化交流会館4F「令和の間」にて

キリスト教会に教えを求め、宗教に向き合っていく

──プロテスタントの教会や禅寺に高校時代に通い始めたそうですが、宗教に救いを求めたのでしょうか。

当時はいろいろな宗教に触れて、自分の八方塞がりの状況から、なんとか道を切り開こうとしていた気がします。

 

──元々、ご自身が神道に触れる機会があられたと思いますが、他の宗教にも答えがあるかもしれないと思われたんでしょうか。

そもそも神道には教えがないんです。聖書のような教えもないし、仏教における般若心経のようなさまざまな経典もない。そういった教えというものが神社には全くないんです。

我々日本人にとっては空気のような宗教で、当時の未熟な自分には、神社というものに救いを求めることはできませんでした。

 

──確かに神道は高次元的な面がありますね。仏教などは「救われたという衆生の目的がわかりやすくて救いを求める人に用意された答えがありますよね。

聖書の教えも同じです。牧師さんのお話はとても素晴らしかったです。人間、迷ったり悩んだりすると、解決の糸口となるしっかりとした価値観を心に得たいと思います。その一番大切なものに出会い、選択という決断をすること。それが宗教的な教えの確信だと思っています。ただ、なかなかそれを10代の頃は神社に見出すことはできませんでした。

本殿正面

國學院大学に入学し、神道の世界へ

──卒業後は國學院大學に進まれました。

まったく勉強というものをしなかったものですから、開成高校の卒業生が行くような有名大学は全く受験しませんでした。身内の口添えがあって、國學院大学になんとか滑り込みで入ることができました。

 

──そうは言っても箸にも棒にもという状態では國學院大学には入れないですから、やはりご自身の中で深められた見識が合格につながったと推察いたします。大学の授業で神道にや神社について学んだのですか?

大学の授業は専門的な歴史や宗教学で、水を得た魚のようにどんどん吸収していきました。受験勉強は全く興味がなかったんですけどね。毎日が楽しくて気分が全く変わりました。

 

──神職に着かれる方はみなさん、そういうところで勉強されるんですね。

いわゆる神職の養成学校は2箇所しかないんです。東京の國學院大学と三重県伊勢市にある皇學館大学。この2つの大学が神職を養成する学校です。

実習ではいろんな神社にお世話になりました。

各地の神社のお祭りのお手伝いは、お神輿の行列のお祓いをしたり、さまざまな儀式のお手伝いをさせていただきました。

 

(2DAYに続く)

 

インタビュー:守安法子 ライター:久世薫 撮影:株式会社グランツ

 

清水祥彦(しみずよしひこ) プロフィール:

サブカルチャーとのコラボレーションも話題で、秋葉原という街で人の暮らしを踏まえた、現代の神社のあり方を模索し、挑戦を重ねている神田神社の宮司。國學院大学を卒業後、鶴岡八幡宮で奉職。2年後に神田神社にて奉職し、現在に至る。また、東京都神社庁の理事を経た後、現在は副庁長に就任している。

 

神田神社公式サイト:https://www.kandamyoujin.or.jp/

2021年2月20日~23日 KANDA FESTIVAL「日本の伝統文化の継承と現代文化との融合」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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