ガウディと出会い、建築をやめようと思った
全財産を失うピンチが覚悟をつくる
ガウディの建築と共通する、積み重ね
本日登場するスゴい人は、ガウディ研究の第一人者として世界で活躍している。
ガウディに魅せられ、単身スペインに渡り40年。
誰も行わなかった建築物の実測を通して様々な研究成果を生み出してきた。
彼はなぜ実測を続けるのか。
さあ…
実測家、建築家・工学博士
田中 裕也様の登場です!
自然が大好き、学校の勉強は嫌い
子どもの頃、学校の勉強は嫌いだったのですが、モノを作ることが好きでした。
建築に興味を持ったのは、9歳の頃。
兄貴がプラモデルをお土産に持ってきてくれて関心を持ち、ずっと作り続けていました。
ある日、それが建築家の世界なんだと誰かに言われて、建築家になろうと決めました。
ガウディと出会い、建築をやめようと思った
ガウディとの出会いは20歳、大学3年生の時かな。
卒業課題にアールヌーヴォーを選択すると、その中にガウディがあり、普通の建築とは違うので興味を持ちました。
実物を見たいと思い、建築学会のヨーロッパツアーに参加し、初めてガウディの建物の現物を見て、大変なカルチャーショックを受けました。
建築を辞めようと思いましたね。
僕が考えていた、学校で習っていた建築の世界と全然違う。
でもそれがあったおかげで、今の自分がいるんだと思います。
ほかの建築を見ても惹かれなくなってしまいましたから。
それだけガウディのパワーが強いということです。
大学卒業後、大阪で3年勤めてお金を貯め、スペインに来たのですが、来たその日に全財産をスリに盗まれてしまいました。
金額は100万円、当時のスペインでアパートが三戸買えた金額です。
たまたまシベリア鉄道で一緒だった年配のご兄弟と駅で再会して、彼らがお金を貸してくれました。救いの神ですよね。
それから僕の人生が始まります。
全財産を失うピンチが覚悟をつくる
最低3年は落ち着いて自分の好きなことをできると思っていたのですが、計画はパーです。
その代わり、僕は絶対に研究をやり通すという決心がつきました。
もしスリに遭っていなかったら、予定通りに3年で日本に戻っていたと思います。
僕はスペイン語もわからず、英語もできなかったので、ガウディの文献なんて読めません。
その時に「実測をしてみよう」となるわけです。
実測なら僕でもできる。
最初の半年くらいは兄に頼んで生活の面倒を見てもらい、その後はバイトをしながら1年半やったものの、どうしても無理になり、一回日本に戻りました。
スペイン政府の国費留学に応募したのですが、面接試験の日に僕は病気で倒れるんですよ。
肋膜炎で深呼吸ができず、死ぬかと思いました。
面接をキャンセルして、翌年に延期。
翌年国費留学の試験を受けて承認され、大学のガウディ研究室に籍を入れました。
当時の研究室の室長だったバセゴダ教授はガウディ研究では世界トップの人でした。
教授は2012年に亡くなってしまいましたが、僕に遺言を残してくれました。
ガウディの研究をお前が続けろと。
ありがたいですが、責任は重いですよね。
測ることは人生
ガウディを研究して良かったことは、創造性がものすごく高まったこと。
ガウディをテーマにした理由は、実は、イマジネーションなんです。
会社に入ってもすぐにイマジネーションが高まるわけではありません。
勉強だけでなく、経験、一つのテーマを追いかけ色々な勉強をすること。
それが実はガウディの作品の中にたくさん含まれているということが分かりました。
僕は「ガウディ・コード」に気付いて、論文を書きました。
コードは個性。
建築はただ箱を作るのではなく、その中に社会で生きていくための作法や宗教観、倫理、社会的または民族的な影響があちこちに演出されるのです。
ガウディの作品の中にはたくさん装飾的なものがあるのですが、それらが彼の一番の個性です。
どうしてその装飾をしたのか掘り下げていくと、歴史的な経緯やオーナーのアイデンティティ、幾何学的・科学的な色々な要素が含まれていることが理解できます。
ただ、誰も実測をしていなかったためこれまでは語られていませんでした。
どの世界でも、実測をしないとわかりません。
話すことも「はかる」こと、「はかる」には色々な漢字がありますが、世界によってはかり方が違うのです。
僕の場合は、実際に自分の体でガウディの建築を測ります。
測ることは人生。
生きるために測っています。
ガウディの建築と共通する、積み重ね
ガウディの装飾は、一つ一つはどこにでもあるようなものですが、数が多いため、全体を見るとすごいものになります。
僕が今までやってきた作業も、最初は階段でしたから、誰でも測れます。
だけど40年も続けると、階段をつなげて立体の空間ができる。
同じことを続けると、すごいことになるという実例です。
「諦めない」「やり続ける」
これがキーワードだと思っています。
寝なくてもできるようなことが、どこかにあります。
自分を変えようと思うときには、自分が今まで一番嫌だったことにチャレンジすること。
僕は作図が大嫌いで、今嫌いな世界にいます。
本当に嫌で、見るのも嫌だったけれど、ある瞬間に面白くなる。
スプリングのようなものですね。
スプリングが強ければ強いほど高く跳びますよね。
それを自分に課すのです。
スペインに来て40年、ガウディに出会って45年やってきて、スランプはありません。
応用と展開ができ、追究できる。
疲れることはなく、めちゃくちゃおもしろいの。
これは天命だと言い続ける。
そう思ってしまうと、やり続けるしかないんですよ。
自信を持つためにカルチャーショックを受ける
これから挑戦する人は、自分に自信を持ちなさい。
自信を持つためには、色々なカルチャーショックを受けること。
カルチャーショックを受けて、どうしてもそれをやると決めたら、それをやるしかないと思い込むことが大切なのかもしれない。
僕の場合は自転車で日本一周をしたことで、自分はできると自信をもてた。
スペインに来て最初はどうなるかわからなかったし、誰の援助もなかった。
でもそこに行くと面白い世界が開けるかもしれない。
どうなるかは自分次第だけれど、やろうと思った時には人に手をかけない限り何をしてもいい。
だから自信を持って進みなさい。
今後は展示会、ガウディのエッセンスをいれたオリジナルの建築も
今後は寺田倉庫さんのプロジェクトで11月に東京で講演会(来年の展示会の予告編)を予定しています。
また、スペインでもカサ・デ・ロス・ボティーネスでやりたいと思い、取り組んでいます。
ガウディの歴史的な側面だけに注目するのではなく、色々な見方があると皆さんに知ってもらえる、良い機会になると思っています。
また、ガウディ研究だけでなく建築も手掛けていますので、建築計画も進んでいます。
今まで培ってきたガウディのエッセンスを入れた、江別のモニュメントの応用編です。
建築家になりたい、どうしたらなれるのかと思っていたところから、無理のない形で今このようになっていて、面白いですね。
とても楽しみです。
取材を終えて
バルセロナにいらっしゃる田中様とSkypeでお話しさせていただきました。
まったく縁もゆかりもなかったスペインに住み、45年も活躍を続けられている田中様。
そのご活躍を支えるのはポジティブな考え方と、絶対に諦めない心なのだと感じました。
とっても明るく前向きで、お話を聞いていると元気をいただけました。
スペインにも行ってみたいですが、まずは江別のモニュメントを見に行きたいと思います。
ありがとうございました。
プロフィール
田中 裕也(たなか・ひろや)
実測家、建築家・工学博士
バルセロナに住みながらガウディ建築物の実測とその図面化を行う。特にサグラダ・ファミリアの実測図 (1/50 の断面アイソメ図)には5年、グエル公園の全体立面図には8年の年月を要した。実測と作図から、ガウディ建築に込められたデザイン・構造・神話、さらに地域性やアイデンティティを縦横に読み解いていく。その他、研究を生かして1998年からユネスコ・フォーラムの招請を受けてベラクルスのサン・ホワン・デ・ウルワ城塞修復計画ワークショップをする。以来、全国において、ガウディ、実測、 歴史、コード、作図についての説明を60回以上の展示会・講演会、まちづくりワークショップ活動と共に進めて現在に至る。特にガウディの煉瓦構造とその素材を生かした応用として北海道江別市のモニュメントBT1をはじめとして、ガウディの生誕の町リウドムスのアルブレ広場では日本とスペインの特性を生かした改修計画、ガウディのデザイン手法を生かした東京都府中市の北山幼稚園のデザイン・設計施工を手かけた。2015年にはバルセロナ建築士会での田中裕也の作図展やサロン・デ・マンガの作図展、続いて2016年には、初めて銀座の渋谷画廊にてガウディ建築の作図展を行った。