我が子4人全員を東京大学理科III類へ合格させたスゴい人!

読書一辺倒の子ども時代

学びには「旬」があると知る

子育ての最終目標は「笑顔」である

日本の最難関大学である東京大学の中でも、ダントツの最難関である理科III類(通称理III)。
4人の子ども全員を東大理IIIへ合格させた佐藤ママといえば、テレビや書籍などのメディアでご存知の方も多いことと思う。
誰もが憧れる東京大学への入学を果たすために家庭で実践していた数多の教育方法。
今日ご紹介するのはこれらの各論の教育方法ではない。
この独特の教育論を佐藤ママはいつどのように着想し、そして効果的に実践していったのか。
佐藤ママが佐藤ママになる前に焦点を当ててご紹介したいと思う。

さあ…
佐藤 亮子様の登場です!

読書一辺倒の子ども時代

大分県育ちで、弟がいる4人家族でした。
両親は楽しく過ごすことを重視していて、あまり勉強しろとは言われませんでした。
本が沢山ある家庭で、テレビや漫画などはあまり見ませんでした。
娯楽をあまり知らないまま大きくなりましたが、家にはあらゆるジャンルの本がありました。
週刊朝日、サンデー毎日、文藝春秋、婦人公論、その他にも文学全集など。
漫画はなく、テレビもほとんど見ないので、そのような本や朝日新聞、地元紙などを自然に読むようになりました。
毎日2時間くらいかけて新聞を読んでいましたね。

兄弟間の平等の重要性に気がつく

8歳の時に5歳下の弟と遊んでいたら、母が試供品でもらった乳製品を通りすがりにぱっと弟にあげたのです。
私はもう小学生だから不要だろうと母が何気なく取った行動だとは思うのですが、私はもう二度とその乳製品がどんな味だったのかを知ることができません。
どうして私にも飲ませてくれなかったのだろうかと、残念で仕方がありませんでした。
この経験が「4人の子どもたちを完全に平等に扱う」という考えに繋がったのです。
今私があの小さな乳製品をもらったとしたら、小さなカップに完全に4等分して子どもに与えると思います。
どんなに気を付けていても、忙しい子育ての最中、ふとした瞬間に平等に行えない事柄も生まれますが、だからこそ本当に注意深く、この難しい事柄を日々行わなければならないと思います。

学びには「旬」があると知る

小学校4年生の時に読んだ新聞記事で心に残っているものがあります。
戦争などで学習の機会が失われた女性が、子育てを終えて72歳から夜間中学で字を学び始めたというものでした。
学校へ行けなかったといっても、72歳まで話したり読んだりしてきたわけですから、学び始めたらきっとすぐに身につくのだろうと思いながら記事を読み進んでいたところ、72歳になってからの学習は非常に苦労していると書いてありました。
ひらがなの「ぬ」や「ね」などがうまく書けないと。
毎日学校へ行ってすでに漢字を学んでいる私はとても驚きました。
この時に感じたのは、学習には「旬」という物があるのだということでした。
学習には小さな時に学ばなければ身に付きにくいこと、大人になっても身に付く知識という二種類があるのだと知りました。
学習の礎となるものは早い時期に学ぶべきなのだと知りました。
ですから子どもたちには幼いころから読み書きそろばんをやらせることにしたのです。

鈴木メソードとの出会い

中学校2年生の時に朝日新聞の夕刊で特集していた「鈴木メソード」を読み、その教えの美しさに感動しました。
「指導者が素晴らしければどの子も育つのである」
ヴァイオリニストやピアニストなどのプロになる方は才能ありきと思われがちだがそれは違う。倦まずたゆまず焦らずあきらめず。この精神をもって指導者が導くのならどんな子どももよく育つのであるということでした。
私の周りにはこのように話す大人がいませんでしたので、このメソードは新鮮で目から鱗が落ちる思いでした。
鈴木メソードでは9歳までにヴァイオリンを習わせるのがいいとありましたが、当時私はすでに9歳を超えていたので、自分の子どもには早い時期にヴァイオリンを習わせようとその時決めました。

嫌いを克服できなかった運動

学校生活では統計クラブに入っていて、皆であらゆる統計を出すことに熱中していました。
当時からとにかく運動が大嫌いでしたね。
父は野球、母は水泳、弟は俊足という家庭だったので、普段から比較されて育ちましたから、運動が好きになれませんでしたし、運動会は嫌いでした。
私が走るのを見た両親には「スローモーションを見ているみたいだ」と言われましたし、運動神経の良い家族の中で、運動を好きになるきっかけがありませんでした。
あの時もっと違うやり方で両親が励ましてくれたなら、結果は違ったかもしれないのにと今更ながら思います。
「そのままでいいんだよ」と、その子の苦手にきちんと寄り添えば、子どもの才能を導いていけるはずです。
これも自分の子育てのためのいい教訓になっています。

家庭の環境が子どもの能力に直結する

大学卒業後は一度地元に帰り、地元の高校で二年間英語教師をしました。
この時に「教わる」立場と「教える」立場は全然違うのだと実感しました。
英語がよくできる子もいれば苦手な子もいましたが、その中で気付いたのが子どもは全て親の影響をかなり受けるということです。
宿題を出さない生徒のその言い訳は、母親のそれと全く同じ。
物事の好き嫌いが多い生徒の母親は、また物事の好き嫌いが多いのです。
同じ指導をしたとしても、家庭の環境が違うとその子どもの実力の伸びは全然違います。
いかに子どもの能力に環境が大切かということを実感しました。
家庭は子どもが居心地の良い場所であるべきで、大人の居心地はその次でいいのです。
まずは子ども優先で考えることです。
子どもが安心してすごしやすい家であることが重要です。

子どもを叱ると信頼関係が築けない

我が家は成績が悪くても叱ることはありませんでした。
それでも一度、次男が悪い点数の答案をやぶって鞄の底にしまっていたことがありました。
叱らないでもこういう態度を取るのだとびっくりしましたし、これで叱っていたならばもっと隠そうとするだろうと思いましたね。
母親は子どもの成績が良くても悪くても、ずっと寄りそうことが大事です。
そういういつも子どもの立場に立った行動が、子どもとの信頼関係を築き、安心して勉学に臨む環境をつくるのです。
子どもが子ども部屋に入ってしまったら何をしているか親にはわかりません。
子どもが何をしているか見えなければ責任をとれませんから、子ども部屋はいらないという発想になりました。
子どもは毎日大きくなり、最後には自立して去っていきます。
それまでは子どもには親が全責任を持つべきだと考えてきました。
18歳にもなれば自分の考えで答えを導き、自分の足で歩き始めます。
だから子育ては18歳まで。
その18年間に子どもとの信頼関係を築くのです。

子育ての最終目標は「笑顔」である

母親の愛は特別です。
先生やほかの誰に何を言われようと母親が「大丈夫だよ。そのままでいいんだよ」と一言、言うだけでその子は救われ、笑顔でいられます。
子育ての最終目標は「笑顔」です。
我が家で早くから学習を進めた理由も、子どもたちに学校で笑顔でいてほしかったから。
4人全員が東大というと、なんだか特別なことを特別な考えでやっていると思われがちですが「子どもに笑顔でいてほしい」というシンプルなこの思いを大切にしてきた結果にすぎません。
これからは子育て真っ最中のお母さん方が、ふとした時にこの大切なことを思い出して、また毎日の子育てに向き合っていける手助けができたらと考えています。

取材を終えて

小学校4年、中学校2年の時に記事を読み、将来子どもに伝えようと決意、それを覚えていて実践されたのがスゴい!
記事のレイアウトまで覚えていらっしゃって驚きました。
怖い教育ママかと思いドキドキして会いに行きましたが、朗らかで優しさに満ち溢れた方でした。
結果として4人のお子さんが東大に入ったけれど、子どもと徹底的に向き合い、愛情を持って接していることがよくわかりました。
子育て中もしくは予定のある方は、ぜひ書籍を手にとってみてはいかがでしょうか。

プロフィール

佐藤 亮子(さとう・りょうこ)
大分県出身、奈良在住
3男1女の母。
4人の子ども全員を東大理Ⅲへ合格させ一躍有名となる。

新刊
志望校は絶対に下げない! 受験で合格する方法100(ポプラ社) http://amzn.to/2G1xvN9

◆オフィシャルブログ https://ameblo.jp/ryokosato-todai

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