マジックの日本三大タイトルを総なめにしたスゴい人!

子どもたちは神様という教え

文化・学問としてのマジックを伝える

日本にマジックの常設劇場を!

本日登場するスゴい人は、プロマジシャンとして活躍するスゴい人。
数々の受賞歴を持ち、中でも1994年の日本三大タイトル獲得は今もなお誰にも破られていない。
日本古来のマジック「和妻」を継承し、伝える人物でもある。
また、現在はマジックバー・サプライズを経営し、自身や教え子がマジックを披露している。
彼がこうした活動の先に見据える未来とは?

さあ…
プロマジシャン
上口 龍生様の登場です!

会社員からマジックの世界へ

子どもの頃にマジックをしたことはありましたが、のめり込んだのは大学時代でした。
当時は人に見せる事が楽しかった半面、喜んでもらえないと落ち込むことなどもあり、大学を卒業したら辞めるつもりでいました。
その頃、海外支援団体の活動でインドとタイを訪れ、言葉も通じない相手とマジックでコミュニケーションを取ることができて、初めてマジックの良さが分かりました。
その後、あるプロマジシャンの方と出会い、カバン持ちをするようになりました。
その方にアメリカに連れて行ってもらい、ラスベガスやニューヨークで本場のマジックを観る機会がありました。
その時の圧倒的なエンターテイメントの世界に、私の考え方が変わりました。
マジックは演じるよりも見るものなのだ、と気づかされたのです。
だから、より一層自分とは縁のない世界だと感じ、プロになりたいとも思うはずもありませんでした。
あくまでも趣味で良いと思っていたのです。
大学卒業後は東京で就職しましたが、寮と会社と工場を行き来する毎日で、だんだん精神的につらくなってきてしまいました。
そういう環境から、より一層趣味のマジックへとのめり込んでいったのです。
ある日、別のプロマジシャンから弟子入りを誘われたのですが、断りました。
将来の不安もあるし、自分の才能のなさを知っていたからです。
ところが、その頃手品の事ばかり考えるようになってしまい、ついに会社を辞める決心をして弟子修業を始めたのです。
ただ、その弟子修業中の方が地獄でしたけどね(笑)

子どもたちは神様という教え

修業時代、憧れの外国人マジシャンに「どうしたら貴方みたいなすごいマジシャンになれますか?」と聞いたら、「子どもたちに見せなさい」という答えが返ってきました。
「どういうことですか?」とたずねると「子どもたちに見せることは神様に見せる事ですよ」と言われたのです。
正直意味がわかりませんでした。
独立して、当時のプロはあまりやりたがらなかった幼稚園や児童館、親子劇場でやるようになりました。
子どもウケしそうなショーを作りましたが、それほど反応が良くなかったのです。
そこで、ダメもとで大人を対象にした演技を子どもに見せるようにしたのです。
そうしたら、それがすごく良かったのです。
結局、大人の鑑賞に堪えうるマジックショーをやらなければならなかったのです。
子どもは素直なので、下手くそであればヤジが飛びますし、つまらなければそっぽを向かれてしまいます。
憧れのマジシャンが言いたかったこと、それは子どもに通じるマジックは大人にも通じるのだということだと思います。

苦境を乗り越えるべく、マジックバーを開店

子ども達ばかりではなく、銀座や六本木などのお酒の席でクロースアップ(テーブル)マジックを見せることも頑張っていました。
が、しかしマジックをする機械のようになってしまっている自分に気がつきました。
いつのまにか、お客さんの顔が見えなくなっていたのです。
あるいはお客さんにとってもマジックはどうでも良い存在なのだと感じてしまいました。
また、長年レギュラーでやっていたお店がいきなり潰れもしました。
レストランやバーにとって、マジックはあくまでもサービスでしかありません。
ちょっと不景気になっただけでも、マジシャンはいらなくなってしまう存在なのです。
だからこそ本当のマジックを見せる場所、あるいはマジックが見たい人が見ることができる場所、すなわち米国のマジックキャッスルのような常設劇場の必要性を実感するのです。
ですから六本木に常設劇場ができた時は本当に嬉しかったです。
ところが半年で潰れてしまったのです。
この時とてつもなく悔しい思いをしました。
「自分がやるしかない」と、3か月後に自分の店であるマジックバー・サプライズをオープンさせました。
マジシャンも経営者としての勉強をしない限りは、今後永遠に作れないと思ったからです。

文化・学問としてのマジックを伝える

もともと自分はパフォーマンスに向いていないと思っています。才能がないのです。
ただ才能がなくても頑張る方法はあると思います。
それは、文化としてのマジックをきっちりと継承することです。
学生の頃は独学でした。
それでも充分みんなから上手だと褒められていました。
アメリカで演じた時に「うまいけれど、どうして日本人のお前がそれをやっているのだ」と言われてショックを受けました。
西洋の真似にしか見えなかったのでしょう。
実は日本にも独自のマジックがあります。
それが手妻(てづま)あるいは和妻(わづま)と呼ばれる江戸時代から伝わるマジックショーです。
しかし忘れ去られた存在でした。
私は、せっかく日本で育ったマジック文化をどうにか残すことができないかと考えるようになりました。
今かろうじて私はこの日本独自のマジックを継承しています。
心から思うことは、それが次の世代につながることです。
積み重ねがあってこその歴史であり、それが文化ではないでしょうか?
欧米ではマジックが文化として世間一般にも認められています。
日本では一般であれば趣味や余興としか見られていませんし、プロであってもお金を稼ぐ手段だとしか思っていない人も多いです。
私はそうした日本のマジックに対する意識を変えていきたいのです。

日本にマジックの常設劇場を!

今の時代、日本において磨き抜かれた芸だと感じさせてくれるマジシャンは本当に少ないと思います。
他の分野にあるような基本や基礎を重要視する発想が欠けているからかもしれません。
最近ではYouTubeやDVDで学ぶことが主流になっています。
それではタネややり方を覚えるには適切ですが、マジシャンとして本当に大事なことを学ぶには疑問があります。
そこで、どのようにしたらマジシャンとしての学習ができるのかと考えました。
マジックにも教科書が必要だと感じたのです。
そこで1926年に発行されたオリジナル版ターベルコースを翻訳するようになったのです。そしてこれを実演するために講習会を毎月行っています。
おかげさまで自分自身が一番成長させていただきました。
人に教えながら自分が一番勉強しているのです。
今後の目標は、常設劇場をつくることです。
しかし一人ではできません。
磨きぬかれた芸と確固たる信念を持ったマジシャンが増えることこそが、その近道だと信じています。
1960年代から存在するマジックの殿堂マジックキャッスルは今もなお、ハリウッドの名所の一つとして人気を博しています。
そのやり方がもし日本でもできれば、潰れない常設劇場をつくることは可能だと思います。
自分はマジシャンになってすごく良かったし、今後もマジシャン以外考えられません。
ただ、プロになりたいという人がいれば「辞めたほうがいいですよ」と言います。
お金は儲かりませんし、生活は安定しません。
でも本当にプロになる人は、それでもなってしまうものです。

取材を終えて

上口さんの経営するマジックバー・サプライズ(赤坂見附)でインタビューさせていただきました。
マジックの歴史や文化などについてもお話しくださり、インタビューをしているというよりも、大学の講義を受けているような感覚で、つい聞き入ってしまいました。
マジックを観客として楽しむ以外の視点で考えたことがありませんでしたが、上口さんのお話を聞いていると本当に奥深く、まさに「文化」であり「学問」だと感じました。
1764年に発行された日本のマジックの伝授本『放下筌(ほうかせん)』も見せていただくなど、非常に勉強になりました。
今度はぜひ、お店の営業中にお邪魔したいです。ありがとうございました。

プロフィール

上口龍生(かみぐち・りゅうせい)
マジシャン

目の前30cmでの奇跡、クロースアップマジック。軽妙洒脱なトークマジック。高度な技術と激しい動きで繰り広げられるステージマジック。ラスベガス級とも言えるイリュージョンマジックと、あらゆるマジックに精通した彼は、いつしかマスターマジシャンと呼ばれています!
数々の受賞歴の中でも1994年の日本三大タイトルを総なめにした記録は未だに破られてはいません。また、デビューとなったシドニーのオペラハウスやハリウッドのマジックキャッスル出演などを通じて、彼独自の日本伝統マジック『胡蝶の舞』は世界的評価を受けました。

◆公式サイト http://ryuseimagic.com/
◆マジックバー・サプライズ http://www.surprise-akasaka.com/

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