ねぶたを世界へ発信するねぶた師のスゴい人!

ねぶたは子どもの頃からのあこがれ

一年で一番気になる日

NEBUTAを世界へ

毎年8月に行われる、青森ねぶた祭。
本日登場するスゴい人は、ねぶたを世界に発信するねぶた師。
ねぶた祭では22台のねぶたが運行されるが、そのうち2台を手掛ける。
更に、彼の弟子に引き継いだ1台の指導も行っている。
自身がねぶたを制作するだけでなく、後継者育成のため、2010年には竹浪比呂央ねぶた研究所を設立。
また、NEBUTA STYLE “KAKERA”の開発を中心とした一連の活動は第18回「アジア太平洋公告祭」において特別賞「ロータス・ルーツ賞」を受賞した。
ねぶたに人生を賭けるスゴい人の想いとは?

さあ…
竹浪比呂央ねぶた研究所
ねぶた師 竹浪 比呂央様の登場です!

ねぶたは子どもの頃からのあこがれ

ねぶたは津軽一円にある民俗行事で、どんな小さな町や村にもねぶたがあり、私の生まれた木造町(現在のつがる市)にもねぶたがありました。
毎年6月後半に家の近所にねぶた小屋ができて、大人たちが作るのを2、3歳の頃からいつも見ていました。
私が家の中にいなくて探しに行くと、ねぶた小屋でちょこんと座ってずっと見ていたようです。
絵を描くのが好きだったのですが、みんなが「鉄人28号」や「鉄腕アトム」の絵を描いている中、私はねぶたばかり描いていました。
小学校3年生の時に初めて、針金を曲げて小さなねぶたを作りました。
それからもうちょっと上手く、もうちょっと大きく、みんなに褒められたい、と思うようになり、将来は青森の街に繰り出す大きなねぶたを作りたいと思っていました。

安定した生活を捨て、ねぶた師に

しかし中高生になると、ねぶたは職業としては確立していなくて、あれでは食べられないと知るんです。
みんな普段は仕事をしながら、夏の一時期だけ集中して作るという非日常の世界。
暮らしていくための職業を持たないといけないと思い、親戚の影響もあり、薬剤師になりました。
薬剤師として11年間調剤薬局に勤めていて、仕事後の夜と土日だけねぶたの修業をしていました。
29歳の時、師匠に認められて発表のチャンスをもらい、自分の作品として出すことができ、デビューできたんです。
夢を達成したし、薬剤師として生活もできている。
そのままで行けばいいのに、何を血迷ったか「薬を作るよりもねぶたを作る方が自分に合うし、もっと発表の場を広げたい」と思い、35歳の時に薬剤師を辞めてしまいました。
病院や薬局の上司などはみんな反対しました。
ただ、家族や親戚は「ああ、そうだろうね」と。
小さい時からそうだったから、誰も反対しないし、止めても聞かないだろうという感じでした。
辞めてからハタと気づいて、はじめは生活のために非常勤の薬剤師をしていました。
翌々年、運よくもう一台オファーが来て、発表の場が広がり、そこから完全にねぶたの方に軸足が変わっていきました。

一年で一番気になる日

ねぶたはお祭りの日程に間に合わせなければいけないので、時間との戦いです。
いくら努力しても思ったように表現できず、うまく行かないこともあり、苦しいこともありますが、それで辞めようと思ったことはありません。
どこかに楽しさがあり、やはり作ることが好きなんでしょうね。
ねぶた制作はまず構想を決めて、人物をどのように表現するかを考え、その場面の解説を文章にする事から始まります。
コンセプトができたらデザイン、文様、色を2月中旬までに仕上げ、日本画で1枚の原画を描いて、スポンサーに確認。
その後、3月頃からパーツを作り、5月の連休頃にねぶた小屋ができると本格的に制作にかかります。
1年のうち10か月くらいはずっと考えていますね。
今は自分で2台制作し、弟子に渡した1台の指導をしています。
毎年8月5日が、一番嫌な日です。
その日の夜に賞の結果が発表されるので、この歳になっても毎年通信簿をもらうようで。
いい成績だったら最良の記憶に残る日になりますが、結果がパッとしないと大変な日になります。
一年で一番気になる一日ですね。

ねぶた研究所設立への想い

私は今、台数が増え、皆さんのおかげでどうにかこうにか生活には困らなくなっていますが、最初からそれを目指して若い人達がいっぱい来るんです。
その子たちは私の小さい時と同じように、職業としてではなく、ねぶたに憧れているんです。
彼らが現実に直面して「食べられない」となったら申し訳ないという気になって、何とかこれを生活できるくらいの職業にできないかと考えました。
経済的な裏付けがきちっと得られるようなものにしていかなければと。
一地方のローカルなお祭りであれば仕方ないかもしれませんが、今はねぶたも全国区で、海外にまで知れ渡り、何億円という絶大な経済効果があるのに、目指している子どもたちが生活できないというのはちぐはぐじゃないかなと。
それに、職業として育てていかなければ、ねぶた自体が無くなってしまうという危機感もあるのです。
夏はねぶたとして発表しますが、ねぶたの技法と技術を使って作品を作り、白いねぶたや、色々な方とコラボして造形作家としても活動することで、生活できるのではないかと考え、ねぶた研究所を2010年に立ち上げました。
ただ、「ねぶた師は祭りのためにねぶたを作ればいいんだ」という声もありました。
昔ながらのねぶた祭文化を楽しみにしている人たちは、ねぶたが別な表現で独り歩きしてほしくないという想いもあるのか、最初は結構風当たりが強かったです。
でも、それも挫折だとか、大変だとか、あまり考えずにやってきました。
風当たりは強かったですが、応援してくれる人もいました。
周りの人に支えられて、ここまで来ました。

美の感覚は自然から

夢があるなら、諦めないでやりましょう。
諦めなければ道は開けます。
一歩でも前に、ほんの少しでも良いから、とにかく前に進むことを心がけています。
ちょっとした事の積み重ねが結果につながっていくと思います。
美の感覚を大切にしていますが、私は日本画が大好きなので、大きな展覧会があれば東京にも見に来ます。
また、形を捉えられないとうまくデフォルメして針金で表現できないので、形をとらえる訓練はスケッチやクロッキーでおこなっています。
暇があれば植物を描いていますが、葉っぱが自然にめくれて裏葉を見せる様などはすごくきれいで、人工的に作ろうとしてもできない、大自然の美しさを感じます。

NEBUTAを世界へ

今後は、祭りとは違った形でねぶたの技法を使った作品を発表したいと思っています。
白いねぶたの展覧会をして、“紙の彫刻”という形で発表できたらいいと思っています。
また、ねぶたの「かけら」をアップサイクルしたインテリアライト「KAKERA LIGHT」など、NEBUTA STYLE INTERIORも発表しています。
これまで、ねぶたは祭りが終わると廃棄処分されていましたが、壊す前にねぶたから和紙を切り取り、「墨跡」「蝋引」「彩色」というねぶた彩色の三大技法が使われた希少な部分をねぶたの「かけら」と名付け、厳選してコーディネートしています。
実際に七日間運行した後の生命力を宿していて、祭りそのものが家庭でも楽しめます。
“NEBUTA”を世界で通じる言葉にするべく、世界に発信しています。
私は、これが無いと生きていけないくらい、ねぶたが好きなんです。
今は、ねぶたを作るために生まれてきたんだろうと思っているくらい。
だからいい仕事をしないといけないと思います。

取材を終えて

習慣をお伺いすると「1日1回必ず声を出して笑うこと」と仰っていました。
笑いは薬とのことでしたが、その習慣が表れているようで、穏やかで素敵な笑顔が印象的でした。
お話を伺っていて最も印象的だったのは、「これが無いと生きていけないくらい、ねぶたが好き」という言葉。その強い思いがあるからこそ、どんな困難にも負けず、世界からの称賛を得られたのでしょう。
取材後に“KAKERA”の実物も拝見したのですが、ねぶたを間近に見られること、家に置いておけることの貴重さを、実物を見て改めて感じました。
切り取る部分によって柄が違うため、完全な一点もので、一台のねぶたから300個ほどしかできないそうです。
そんな貴重なKAKERAが草月流の竹中麗子先生とコラボレーションする「テーブルウェア・フェスティバル2018」では、どんな作品が見られるのかとても楽しみです。

プロフィール

竹浪比呂央(たけなみ・ひろお)
竹浪比呂央ねぶた研究所 ねぶた師

1959年、青森県西津軽郡木造町(現つがる市)生まれ。1989年に初の大型ねぶたを制作して以来、ねぶた大賞、第30回NHK東北放送文化賞はじめ受賞多数。東京ドームをはじめブダペスト、ロサンゼルスなど国内外で出陣ねぶたを制作。竹浪比呂央ねぶた研究所主宰。青森ねぶたの創作と研究を主としながら、「紙と灯りの造形」 としてのねぶたの新たな可能性を追求し続けている。

◆竹浪比呂央ねぶた研究所 http://takenami-nebuken.com/
◆NEBUTA STYLE  http://nebutastyle.com/
◆テーブルウェア・フェスティバル2018~暮らしを彩る器展~
2018年2月4日(日)~2月12日(月) 10:00~19:00(入場は閉場の1時間前まで)
会場:東京ドーム
https://www.tokyo-dome.co.jp/tableware/

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