文化功労賞を受賞した方位学者のスゴい人!

母に捨てられたという想い

幸せな結婚生活から一転…

次々に訪れる試練の中でたどり着いた方位学

本日登場するスゴい人は、方位学の権威として活躍する女性。
彼女は方位学を始め、読心術、人相学、姓名判断、カード占い、算命学、西洋占星術等、幅広い分野を独学で学んできた。
多くの人々が彼女のもとへ相談に訪れている。
更に、全国の有名神社とのかかわりも深く、彼女が神社について著した書籍が神社で紹介され、神社から感謝状を送られている。
彼女が方位学に目覚めたのは、自身の人生に訪れた数々の困難がきっかけだった。

さあ…
株式会社大開運
代表取締役・方位学鑑定家 柴山 壽子様の登場です!

母に捨てられたという想い

私、2歳の記憶があるんです。
1歳7か月離れた弟を連れて、母が家出したんです。
その時言われた言葉も、弟が着ていた着物の色もはっきり覚えています。
それだけ衝撃的だったんですね。
今になって考えると、母はお姑さんとの生活が大変だったんだと思う。
でもその頃はわからなかった。
母に置いて行かれたという想いがあったから、母を憎んでいたところがあったと思う。

人の人生がわかったらどんなに良いだろうと思った

後に父が起業して、手広く事業をやっていて、両親はいつも家にはいなかった。
ところがある日突然変わるんです。
古い家に引っ越すから、子どもながらに何か大変なことが起きたんだなと感じました。
倒産です。
母の実家に引っ越したのだと後で聞きましたが、そこから母は私たちに食べさせるために一生懸命働くんです。
小さな駄菓子屋さんと食堂をやっていて、結構大変な幼少期、学生時代を過ごしたと思います。
何でこんなに苦労するんだろうと思ったことが、今に至るきっかけ。
高校生の頃、人の人生がわかったらどんなにいいだろうと思って、多湖輝の読心術を読んだり、独学で人相学とかを始めるんですよ。
そこから通学電車の中で友達を捕まえては「ねえねえ、こう思っていない?」と聞いたり、家へ帰ればお客さんに「こうでしょ」と尋ねたり。
母とは年中口喧嘩していましたが、商売をしている母から聞いた一言一言が今現在役立っています。
「天に唾を吐くものは己に返ってくる」「商人はたとえ10円しかなくても100円の顔をしろ」「人を指さすと3本の指は自分を指す」と。
貴重な親の教えだったと思います。

幸せな結婚生活から一転…

母は常に働いていて、父のわがままな性格にも苦労していたから、私は正反対の人を選んで、商売をするのではなく奥さんとして生きたいと思いました。
24歳の時、ある程度占いを勉強してきたから、一番いい時期を自分で調べて結婚しました。
主人はいい家の息子で、私は年上だし、家業は当時水商売と言われた飲食店だったから、むこうの親には反対されました。
でも、本当に優しい、素晴らしい男性と結婚して、子育てをしながら趣味で占いを勉強して幸せでした。
夫は私と出会う前、18歳の時に10万人に1人の難病にかかって手術をしていて、子どもが生まれてからも年1回1か月入院するんです。
それが、年々データが悪くなっていくんですね。
のちに分かるのですが、輸血による病気で、その頃は病名も判明しないまま、年々肝臓が悪くなっていって、教科書通り、脂肪肝・肝硬変…肝臓がんで亡くなるのです。
その時に、今度は見えない世界、占いや宗教に頼ったのでした。
気づいた時には、占いと宗教に約3,000万円使い、お金が無くなって「何てバカなことをしているんだろう。もう二度と占いは信じない」と思い、「それなら主人のそばでできるだけの事をしよう」と決意し、その約1年後に亡くなったんです。
亡くなる前に、箱根神社と九頭竜神社が良いと聞き、雨の降る日に娘と3人で行って、ご祈祷を受けました。
ご祈祷を受けると、まるで龍神が降りて来たように感じて「パパは助からない」と直感しました。
そこから箱根神社と私の付き合いが始まりました。

次々に訪れる試練の中でたどり着いた方位学

私は喪主にもしてもらえなくて、これで私の人生終わった、もう主人のところに行こうって、子どもを連れて北海道 支笏湖に行ったのでした。
私がボロボロ泣いていたので、タクシーの運転手さんが異常なことに気づいて。
「奥さんが死ぬのは勝手だ。だけど子どもの命をあんたの道連れにすることはできない」と言ってそのまま空港まで送られて帰ってきたのでした。
運転手さんの名前も車のナンバーも、何も覚えていない。
立ち直った時にお礼を言いたかったんだけど、全く覚えていなくてどうにもならなかったんです。
北海道から帰ってきて、生き抜かなきゃならないと自分に言い聞かせて、先ず自分に何ができるのだろうと必死でした。
そんな中、私が卵巣がんの疑いになり、神社に病気平癒の御祈願をお願いしたところ、ある宮司に「あなたは人を助ける仕事に就かなければならない運命ですよ」と言われて、最初は「何で私が人助けをしなきゃならないの!自分が大変なのに!」と思ったのでした。
占いに対して強い嫌悪感を抱く私にとって、残された道と言うのは方位学しかなかったのでした。
今でこそ、癌というのは治る可能性を持っているものの当時、「癌という言葉はイコール死」を意味していたのでした。
結果、MRIに映っていた腫瘍が消えていたのです。
信じられない事なのですが、これも真実です。
それが私の方位学のはじまりでした。

成功するには諦めないこと

私の場合は、子どもがいたから乗り越えられたと思います。
それに、つらいことがあった時に良いアドバイスをしてくれた人がいて、絶対に諦めなかった。
これが大事です。
成功する人は絶対に諦めないです。
ダメ元で成功した人は一人もいない。
それは、ダメでもいいやと自分に言い聞かせているから。
私はダメになるなんて考えてもいなかった。
とは言うものの人間だから心の折れる時、これでいいのかと迷う時もあります。
そんな時は、方位の力を借り、元気の出る場所に行き、そして自分自身を信じ努力をしてきました。
結果は後からついてきます。
方位学を始めてから、皆に感謝されることが嬉しいです。
相談に来た方の顔と笑顔で帰る時の顔を見るのが楽しみです。
とにかくプラス思考でいることをいつも心がけています。

方位学を世の中のために活かす

人を導くナビゲーターになりたいと思います。
昔から言い伝えられてきた方位。
見えない世界だからこそ、きちんとした方位学を伝えて、健康・成功・人それぞれの願望・幸せに活用していただけたら良いと思います。
ことわざにあるように「笑う門には福来たる」良き人との出逢いが大切だと思います。
どうぞ皆様、良き運を。

取材を終えて

想像を絶する壮絶なご経験をされていらっしゃることを聞き、言葉が出ませんでした。
幼少期のご経験、旦那様のご病気、そしてご自身のご病気。
これほどの困難や苦労を乗り越えてこられたのは、ご著書にも登場される二人の娘さんがいたからだと仰っていました。
また、パワフルでエネルギッシュな柴山先生ですが、方位学をお仕事にされた最初の頃はエネルギーの消耗が激しく、お一人みるたびにご飯を食べないと体がもたなかったそう。
また、悪い気に飲み込まれないように胸元に鏡を忍ばせていたとも仰っていました。
もちろんお会いしてみていただくのが一番ですが、ご著書やホームページでも方位や神社のことを読むことができますので、皆様もまずは読んで実践してみていただけたらと思います。

プロフィール

柴山 壽子(しばやま・ひさこ)
株式会社大開運 代表取締役・方位学鑑定家

高校時代に千葉大学教授・多胡輝(たごあきら)氏の本と出会い、その後独自に研究を重ね、最終的に方位学にたどり着く。

自身、病気・相続問題・子育て・起業などを経て
平成10年、茨城県土浦市に事務所を開設。
平成13年、宮城県仙台市に事務所を開設。
平成15年、東京に事務所を開設。
平成16年、日本文化振興会社会文化功労賞受賞。
平成20年、易聖授与。
平成21年、神奈川県・寒川神社方徳資料館に方位学資料提供。
平成28年、奈良県・大神神社奉賛会発起人・理事。

方位学の実効性を証明すべく検証を積み重ね、国内外問わず自らの体を使った研究で、独自の方位学を確立した。
以来、各方面から相談、依頼を数多く受ける。

— 詳細 —
2004年(平成16年)日本文化振興会より平成16年度上半期・社会文化功労賞受賞。
2008年(平成20年)易聖授与。

◆大開運ホームページ http://www.daikaiun.com/

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