『ウルトラマン』のコミカライズで人気を博した漫画家のスゴい人!

自然が好きだった少年時代

師と仲間との出会い

ピンチかチャンスか、商業誌デビュー!

「コミカライズ」という言葉をご存知だろうか。
アニメ・ゲーム・小説等、他の媒体の作品を漫画化することを指す、和製英語である。
現在は「メディアミックス」の一環とされるが、かつては主要な少年雑誌や学年誌には必ずといっていいほど載っていた。
『ミラーマン』『ウルトラマン』『科学忍者隊ガッチャマン』…アニメや特撮のヒーローが漫画でも活躍しており、当時の少年は胸を熱くしていたのだ。
今回紹介するのは、そのコミカライズを始め、沢山の漫画を描かれてきたスゴい人。

さあ…
漫画家
かたおか徹治様の登場です!

自然が好きだった少年時代

大阪出身なのですが、都市部に住んでいた小さい頃は緑に飢えていました。
ずっと自然が好きなんです。
図鑑や百科事典を見て、恐竜から入っていって、虫や魚・鳥とか自然への興味にたどり着いたのかもしれません。
小学1年生の終わり頃、阪急電車が土地開発と分譲を一緒にやるという時に、建て売りの家に引っ越したんです。
そこは緑が多くて、時間があればとにかく外で遊んでいました。
小さい頃から絵は描いていたし、漫画を読むのは好きでしたが、描こうとは思っていなかった。
小学3年生の時、漫画が上手なヤツが転校してきて、黒板に『鉄腕アトム』を描いてウケていたりして。
そこで「おれも頑張ろう!」と思って(笑)
ライバルが現れて触発されたというか。
漫画を描き始めても最後まで仕上げるというのは、小学校の時はできませんでしたね。
描いている途中で放り投げて、違うものを描きたくなったり。

師と仲間との出会い

中学、高校になって、大人気だった手塚治虫先生や石ノ森章太郎先生を真似たような感じで描いていました。
当時、漫画家を目指している人たちが読む雑誌として、手塚治虫先生が始められた「COM」と、大阪の作家中心の「ごん」があったんです。
「COM」で「つれづれ草」という同人グループを知り、参加しました。
生原稿を綴じた肉筆回覧誌を作って、これが転機の一つです。
「ごん」では山上たつひこ先生の存在を知りました。
雑誌に漫画家の住所がバッチリ出ている時代でしたので、同じ大阪ということもあり、突然お伺いしたんです。
それがきっかけで知り合い、高校1年生くらいの頃から二ヶ月に1回くらい、作品を見てもらいに通わせていただきました。一方、同人活動をしながら、投稿も続けていました。

「漫画の神様」にも遭遇!? 修行時代

大阪にある短大のデザイン科に入学と同時に山上先生のアシスタントになったんですが、半年後山上先生が上京することになったんです。
これは東京に行くしかないと、19歳で学校を中退してついて行く事に決めました。
上京して、出版社に直接持ち込みもできますからね。時同じくして、僕の投稿作品が選外佳作で入賞。
色んな漫画家さんのところでアシスタントをしながら、持ち込みを続けました。
手塚治虫先生の手塚プロで1日だけ、お手伝いしたこともあります。
上京したての頃だったかな。
『ブッダ』の原稿をやっているところでした。
風呂場の桶の作画を回されたんですが、「この通りに描いて」と渡された見本の線が、結構震えていたんですよ。
頑張って真似して描いたんですが、「これを描いたのは誰だ」となりまして。
その後は、定規の線引きくらいしか回ってこなくなっちゃった(笑)

ピンチかチャンスか、商業誌デビュー!

20歳を目前にして、学研の『中2コース』別冊付録のお仕事で初めて原稿依頼を受けました。
下書きを見せに学研に行った帰り道、以前名刺をもらった編集さんを頼りに、小学館の学年誌編集部に寄ったんです。
そうしたら「いいところに来た!」と言われて、話を聞くと、とある連載作品の作家さんが逃げちゃったと(笑)
で、絵を見ていただいて「期日までに仕上げられる?」と聞かれました。
〆切までは一週間あるかないか、でしたかね。
その後には別冊付録の仕事があったのですが、これはチャンス!とばかりに、「やります!」と言ってしまった。
かなりプレッシャーだったんですが、山上先生のところのアシスタント仲間も助けてくれて、寝ないで描き上げました。
それが円谷プロの特撮ドラマ『ミラーマン』。
この作品との出会いをきっかけに、コミカライズの仕事をどんどんいただくようになりました。
『ウルトラマン』増刊号が別冊コロコロコミックから出た時に、アンケートの結果が良かったようで、『ウルトラ兄弟物語』の連載へと繋がりました。

最後まで手を抜かない

仕事がなくなる時には挫折を感じますよね。
コロコロの連載が終わる頃、単行本の仕事にシフトしていくようになったんです。
単行本3巻くらいは出せるはずの原稿がある時も、1巻で終わってしまったり。
34歳の頃、デザイン会社で仕事を始めました。
「つれづれ草」の仲間が会社をやっていたんです。
そこでDTPを勉強して、「漫画もDTPもできます!」と営業もしました。
編プロから回ってくる仕事をいただいたりしていたんですが、それも段々減ってきて…谷へ向かっていましたね。
家族のサポートもあって、踏ん張れましたけど。
仕事、作品についてのこだわりは、最後まで手を抜かないということ。
完璧ということはありえないんですけど、納得できるものを出したい。
だから遅いんですよ、僕。
それで仕事を失ってしまったこともありました(笑)
今後は、僕に出来る限りの後進の指導はしていきたいと思っています。
描き方を教えるというよりは、編集のスタンスに近いんですが。
作品を一つ仕上げるまでの、発想の手伝いや、構成をみたりとか。
今は日本デザイナー学院で講師をしておりますが、自分でも何かできないか、と模索しているところです。

取材を終えて

取材の中で、自然好きのエピソードとして、子どもの頃の夢が「漫画家」か「動物園の飼育係」だと仰っていた。
今ではご在住の埼玉県の生態系保護協会に参加し、オオタカの生息地の環境保全や、絶滅危惧種の蝶々を羽化させ、放したりしているとのこと。
後進を育てることに力を尽くしたい、と仰っていることと被ってみえるというのは穿ちすぎだろうか。
学生の頃の同人グループ「つれづれ草」は、40年以上の時を経て、「新つれづれ草」として活動を再開している。

プロフィール

かたおか徹治(かたおか・てつじ)
漫画家

1952年生まれ。大阪府出身。
別ペンネームに片岡徹治、西井とおる、あにま健児など。
高校生の頃より漫画家山上たつひこ氏と交流を持ち、師事する。
1972年『ミラーマン』でデビュー。
コミカライズ作品、オリジナル作品を少年誌を中心に発表、『ウルトラ兄弟物語』で人気を博す。
1977年小池一夫が主宰した『劇画村塾』の第一期生として師事。
2010年より、専門学校日本デザイナー学院M(マンガ)科の非常勤講師を務めている。
また、2017年10月1日に三鷹で開催される「MITAKAマンガアニメ祭り!」のゲスト出演が決定している。

◆公式サイト
https://kataokatetsuji.wordpress.com/

◆公式Twitter
https://twitter.com/wonder_52

◆MITAKAマンガアニメ祭り! VOL.2
http://showmans.co.jp/mma02.html

◆amazon 著作検索結果
http://amzn.to/2fDzxKF

◆新つれづれ草
http://sinturezure.blogspot.jp/

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