日本人で初めてパルクールの国際指導者資格を取ったスゴい人!

好奇心を抑えられるストレスとその反動

食べる、寝る、パルクール

パルクールの持つ自己肯定力

本日登場するのは、日本人で初めてパルクールの国際指導者資格を取得したスゴい人。
テレビなどでよく目にするようになった、「移動動作を用いた自由な運動方法」であるパルクール。
その歴史はまだ浅く、1980年代にパリ郊外で創始チーム「YAMAKASI」によって生み出された。
そんなパルクールを日本に広め、実践者として、日本人初の指導資格保持者として活動する人が本日のスゴい人。

さあ…
合同会社SENDAI X TRAIN
COO 佐藤 惇様の登場です!

外遊びで身体能力を培った幼少期

幼少期から、球技などは苦手なのですが、木登りなど外遊びをすることには長けていました。
近所の公園は、起伏に富んだ地形で面白く遊べる場所だったので、そこで遊ぶうちに自然と身体能力が培われました。
中学受験を機に、そういった遊びの時間は減っていきました。
周囲に受験する友人も少なく、その中で勉強に打ち込むのは、自分の大切にしていた時間が削られる感覚がありました。
そのまま中学に入学し、勉強などでさらに忙しくなり、どんどん自分が自分でなくなっていくような気持ちがしました。

好奇心を遮られるストレスとその反動

学校の授業も、部活動で始めた水泳も、制限された中でしか動けない。
団体行動や「こういう決まりだから」ということに窮屈さを感じていました。
僕の好奇心が相当強かったので、「これをしてみたい」と思ったときに遮られることのストレスがとても大きかったんです。
そんなとき、小学生の頃にテレビ番組「世界まる見え!テレビ特捜部」で見たイギリスのジャンプロンドンのドキュメンタリーのことを思い出しました。
パルクールを始めた人たちが実際に出演し、想像を絶する動きをしていて「こんな高いところからコンクリートに飛び降りられるんだ」「こんなに綺麗に動けるんだ」と衝撃を受けました。
そのときに知ったパルクールの存在が、外遊びのように自由に身体を動かすことから離れたとき、再燃しました。

食べる、寝る、パルクール

パルクールと再会した僕は、自分を取り戻し、自分が自分でいられることを感じ、自然とのめり込んで行きました。
当時は日本にパルクールを教えられる人はいなくて、映像の見よう見まねで動くだけ。
しかし、始めてから半年も経たないうちに、関東圏の人たちが集まっての練習会があり、そこに参加したのがきっかけで今一緒に活動している母体となるようなメンバーに出会えました。
教え合いディスカッションをすることでお互いの身体能力が高まり、パルクールが深まっていきました。
自分を定着させてくれるもの、もはや生活の一部、彩として存在していたので、あるのが当たり前。
「食べる、寝る、パルクール」みたいな感じです(笑)

本場でパルクールの核に触れて得た確信

高校卒業時、進路を考えると、パルクールを「仕事」に結びつけるのは、違う感じがしていました。
では進学するかといったらそれも違う。
これといった決断はできず、趣味であった写真の専門学校に進みました。
しかし専門学校時代、日本で出会った外国人のパルクール仲間を訪ねてイギリスに行き、昔からパルクールをやっている方のお話を聞いたとき、全てが変わりました。
そのとき聞いたお話は、シンプルに「パルクールとは何か」というもの。
それまでは見よう見まねで、「楽しく動いていればいい」という感じだったパルクールには、実際には深い精神があり、とても哲学的であることを知ったんです。
日本でいうと武道のようなもので、考え方、思想のようなものがとても深い。
それに触れたとき、今まで楽しいと感じていたことの源はこれだったのかと気がつきました。
それまで「発散の場」という認識で、ふわっとした霧のようだったイメージが、言語化できるようになり、点と点がつながって線になりました。
その瞬間「僕はこうなりたいんだ」というものを確信し、そのときにはもう写真学校を辞めていました。
「俺にはこれしかない」と。
ちょうど、2ヶ月後にパルクールの指導員の資格検定があり、一度日本に帰ってからまたイギリスへ出直し、指導員の資格を取り、そこから今の人生が始まりました。

「核を捉えている人」と「見よう見まねでやっている人」

パルクールにはかたちだけではわからないことがたくさんあります。
「核を捉えている人」と「見よう見まねでやっている人」、その差が開いたコミュニティは多く存在し、後者の方が割合的には多いと思います。
そういう人たちほど流動的で、すぐにいなくなってしまう上に、町の施設を破壊してしまったり、マイナスなイメージを生み出してしまっている。
そういう状況を、日本では作りたくないなと思いました。
寛容なヨーロッパと違って、日本には危ないと思ったものに関してすぐに情報が伝播して、社会的な立ち位置がすぐに脅かされてしまうので、もし事故やけが、周りの迷惑になるものが起きてしまうと、パルクールの存在自体が脅かされてしまいます。
パルクールをより深く知ってもらうこと、その人数を増やすことが課題です。
広める人の数が多くなれば意見を合わせることも必要になってきます。
認識を一つの形にするというのはすごく難しいですし、試行錯誤している最中です。
広まって欲しいけれど、広めるためにはまた乗り越えることがある。
本当にこれからです。

壁を乗り越えるスポーツ

パルクールについて話すとき、僕は「壁を乗り越えるスポーツだ」と言います。
それは実際にものを飛び越えるということだけではありません。
普通に生活する上では向き合う必要のない自身の欠点に向き合わざるを得ない機会が、パルクールをしていると如実に出てきます。
でも、飛び越えられない壁に直面したときに人は考える。
自分の一番醜いところをまじまじと見て、傷口をかきむしるかのように、どうすればいいか考えて、それを直していく。
そこで試行錯誤をする精神力、挑戦する心、忍耐力を踏まえて初めて、乗り越える力になると思います。
そこがパルクールの醍醐味で、新しく出てくる壁は僕たちにとって少しわくわくするものでもあるんです。
パルクールを生み出したYAMAKASIの掛け声で「start together finish together(一緒に始めて、一緒に終わる)」という言葉があります。
ただひとりできついトレーニングをやってもきついままですが、自分以外の人が増えていくと楽しいものに変わっていく。
自己鍛錬の方法ではあるけれども、仲間がいることで新しい世界が広がる。
そういう楽しさが、ここまで後押ししてくれたのだと思います。

パルクールの持つ「自己肯定力」

自分を補えるところが、パルクールをやっていて良かったこと。
「これ、やり残したな」という十何年前の記憶や感覚の未練を、パルクールという領域で取り戻せる、埋められるという感覚があります。
パルクールをやっているときの視点というのはすごく子どもの視点なので、その中で動き続けていくとより子どもになっていくし、そうしていると過去の自分に触れることもでき、深めていった能力や考え方を応用することで、後悔するばかりでなく、過去の自分にけじめをつけられて、成長できる感じがあります。
自己肯定力がパルクールにはあるのかもしれません。

取材を終えて

お話を聞いて、見ているだけではわからないパルクールの魅力や奥深さを知ることができました。
まだ歴史の若いスポーツだからこそやらなければならないこと、できること、色々あるのだろうと思いますが、佐藤さんは先導者としてこれからもパルクールの魅力を伝え、日本に広めていかれるのでしょう。
ホームページからみられる佐藤さんの動画がとても格好よく美しいので、ぜひ一度ご覧ください。

プロフィール

佐藤惇(さとう・じゅん)
1991年9月26日生まれ。東京都出身。
2006年からパルクールを実践。2007年にParkour Generations(英)との出会いをきっかけに本場フランスを訪れ、創始者YAMAKASIメンバーとの練習に参加、日本人で初めて国際指導資格を取得。
現在は、パルクールの「世界レベルのプロフェッショナルコーチ集団」であるSENDAI X TRAINも共同代表を務め、安全な実施方法を普及すべく、トレーサー(実践者)、指導者として国内外で活動している。先日放送された日本テレビ「24時間テレビ」では、スペシャルチームで挑んだ「1分間トランポリンダンク」でギネス世界記録(R)を更新した。

◆SENDAI X TRAIN
https://www.sendai-x-train.com/
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◆SENDAI X TRAIN Twitter
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