世界で唯一、NYアポロシアターで二度の年間優勝を果たしたスゴい人!

失恋の失意からアメリカへ

時代に合ったプロモーション戦略

日本にエンタメの源泉を作りたい

本日登場するのは、世界で活躍する日本人パフォーマーであるEBIKENこと蛯名健一さん。
TVやインターネットでも活躍されているので、ご存知の方も多いだろう。
小柄な体型から思いもかけないパフォーマンスを繰り出し、世界中の観客を虜にするその魅力。
約20年前に単身渡米した時からどのようにその能力を身に付け、世界で唯一のパフォーマンスへと進化させたのか。

さあ…
パフォーマー、演出家
蛯名健一(EBIKEN)様の登場です!

何でも知りたい子どもだった

好奇心旺盛な子どもでした。
友達がやっていること、TVで流行っていること、何でも興味がありましたね。
興味の対象は広くて結構ハマりやすい。
好きなことは掘り下げて熱中する性格です。
ただ、ある程度やるとすぐ次の対象へ興味が移りやすいというところもあります。
運動に限らず、割と器用になんでもできる方でした。

ダンスとの出会い

中学校の同級生にダンス好きの友人がいて、クラブに誘われました。
高校1年生の時です。
その頃はダンスを上手く踊りたいというよりはただ楽しくて、友人に少しずつ教わりました。
始めて1,2か月で当時のTV番組でダウンタウンさんがMCの「ダンスダンスダンス」のオーディションに応募したりもしました。
もちろん落ちたのですが確かその辺りでダンスは一度辞めてしまい、興味はバイクの方に変わり、ホンダのスティードを自分で改造して乗っていました。

失恋の失意からアメリカへ

家庭の事情で高校3年生から働いていたのですが、20歳を過ぎてから失恋をしたのをきっかけに渡米しました。1994年のことです。
バイクが好きでしたからアメリカに憧れもありましたし、当時親族の一人から金銭的に支援を得られることになったので、コネチカット州の大学付属の語学学校に入りました。
大学付属だったので大学のイベントにも参加出来るという特典の様なものもあり、しょっちゅう大学生がダンスパーティーを開いていました。
遊びに行った時に、皆ダンスは素人ですが、単に楽しく踊っていました。
ある時、サークルが出来て、最初は見ていただけだったのですが、自分の番、みたいな雰囲気になり、昔教えてもらったランニングマンというステップを披露したら周りが盛り上がって、そこから独学でダンスを学び始めました。
MTVを見たり、日本からビデオを送ってもらったりして。
NYのクラブへ遊びに行くこともありましたね。
そのうち僕自身も語学学校を卒業することになって。
その時にはすっかり勉強することも好きになっていて、このままアメリカに残りたいと強く思いました。
幸運なことに奨学金もおりましたから、大学へ進学することにしました。

ダンスパフォーマンスの醍醐味を知って

通っていた大学は国際色が豊かで、世界各国の学生の割合が当時全米一高い学内環境でした。
それもあってか、大学では毎年International Festivalという大学祭が催され、各国の大学生がそれぞれの文化を紹介するブースを出展したり、パフォーマンスを披露します。
1年目にその日本パフォーマンスのプロデュースを任されました。
10人のチームで日本的な細やかな感情の揺れをストーリーで表現して、狐や天狗、歌舞伎などの和のアイテムを取り入れたダンスパフォーマンスを演出しました。
この年は日本チームが見事優勝して、その後、在学中は毎年このフェスの日本パフォーマンスをディレクションしていました。
この経験と感覚は、原体験として今の僕に強くつながり、支えてくれています。

卒業後はNYへ移り、ダンス講師やBar Mitzvahのパーティーで踊る仕事がメインの生活となり、時折、パフォーマンスの仕事をする感じでした。運が良かったのか当時はそこまで収入が多くはありませんでしたが仕事は多く、生活に困ることはありませんでした。

NYで求めた成功への歩み

NYで縁あって出会った2人の日本人ダンサーと一緒に、3人でダンスチーム「BiTriP」を結成しました。
僕以外の2人の夢がアポロシアターのAmateur Night のステージに出たいということだったので、彼らの夢に便乗する形で僕もアポロシアターを目指すことになりました。
2001年のことです。
日本人初の年間優勝というタイトルを獲る為に、現実的な戦略を立てました。
前年に日本人3人のグループが出演していたので、男性4人と女性3人の編成にして。
念願の年間優勝のタイトルを獲ってからは、チームでの活動が増えていきました。
オムニバス形式で、色々なスタイルのダンス作品をしていたのですが、その中でソロ作品も作るようになり、2005年くらいからはソロ活動が多くなって。
2006年にShowtime at the Apolloから直接スカウトがあり、ソロ出演することになったんです。
そこでの年間優勝を経た後の2013年にAmerica’s Got Talentにもスカウトされました。

時代に合ったプロモーション戦略

BiTriPで出た最初のAmateur Nightが一番熱く、パフォーマーとして純粋に取り組んだステージだったと言えます。
スカウトされて出たコンテストは両方とも、どちらかといえばマーケティング的な視点を僕自身が持っていて、それをきっかけにその後のキャリア展開を計画しているような自分がいました。
どこか客観的に自分を見ながら、プロモーション戦略を見据えているような感覚です。
僕自身は当時、コンテスト番組での成績とは別にYouTubeの再生回数を上げることを最優先のプロモーション戦略と捉えていたので、最終結果もさることながら第一次選考のオーディションが一番重要だと考えていました。
そこでのインパクトが何よりも直接にYouTubeの再生へと誘導できるからです。
YouTube再生回数が伸びた結果、全世界で僕の知名度があがり、どの国に行っても時折街角でも気付かれるようになりました。
インド入国時に別室での検査となった際にも、係官達から写真撮影を依頼されたりもしましたね。
ネット経由で世界中の人が同時に情報を得られる時代に、どうしたら知名度を上げていけるのか。
これは今後も多くの変遷を遂げながら我々が直面していく課題だと思います。

あらゆることから情報収集

僕自身のオリジナルと言われる演出は何かからインスパイアされたものです。
例えば首が落ちるパフォーマンスは仮装大賞の番組から。
紅白歌合戦やかくし芸などもそうですし、空手や太鼓などの日本文化からヒントを得たものもあります。
幅広く情報を得て、それをヒントに新しい演出を試みる。
というのが僕のオリジナルスタイルだと言えます。
僕自身はここ10年ほどトレーニングも練習も全くしないのですが、2012年に日本のTV番組で行われた「KAMIWAZA-神芸-」という世界から一流のパフォーマーを集めたコンテスト番組の時に、日本での活動の良いきっかけとなると思い、気合が入りすぎたのか、何を思ったのか珍しく練習してしまい、本番当日は筋肉痛が酷く、良いパフォーマンスを出せなかったという苦い経験があるので、今はいかにリラックスした状態でステージに臨めるかということに注意しています。
練習嫌い、というか努力が苦手なので、練習を必要としないで、合理的に魅力ある演出をできればと考えています。

日本にエンタメの源泉を作りたい

現在、キャプテン翼の舞台に演出として携わっています。
今後は世界に向けての日本発信のエンタメを増やしていきたいと考えています。
日本には昔と違い、世界でもトップレベルの技術を持ったパフォーマーやスタッフ多くなってきました。ただ、現在日本には外国人が純粋に楽しめるショーが極めて少ないので、アメリカのラスベガスやブロードウェイのように将来、日本にも世界に発信していくエンタメの町が出来たら良いと思っています。

取材を終えて・・・

ステージ演出でご多忙の合間の限られた時間をいただき、お会いしました。
着慣れたTシャツに緩めのスエット、履きなれたビーチサンダル。まさに自然体。
インタビュー後の雑談の最中に番外編のお話を楽しく伺いました。
世界中で有名な方とは思えぬほど、飾らない姿勢や口調がとても魅力的でした。

プロフィール

蛯名健一(えびな・けんいち)
1994年 語学留学のために渡米
2001年 米国にて大学卒業
2001年 NYのアポロシアター Amateur Nightで年間優勝
2007年 Showtime at the Apollo にて年間優勝
2012年 「KAMIWAZA~神芸~」にて初代チャンピオン
2013年 America’s Got Talent season8にて優勝
~現在 世界各国での公演のほか、執筆活動、舞台演出も手がける

◆オフィシャルホームページ http://www.ebinaperformingarts.com/
◆Twitter  https://twitter.com/KenichiEbina
◆Facebook  https://www.facebook.com/danceperformer/

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