独自に編み出した技術を用いて日本最速の催眠術師と呼ばれているスゴい人!

学校一のいじめられっ子だった

マジックが僕の人生を救い世界を広げた

催眠術業界が驚く最速術が出来たワケ

催眠術と聞くと、ワクワクする人も多いのではないだろうか。
マイクからいきなり手が離れなくなったり、ある事をすると笑いが止まらなくなったり、不思議な現象をテレビでよく見る。
今日登場するスゴい人は催眠術業界が発見していなかった技を独自研究で見つけ出してしまった。
最近ではテレビでよく目にするほど大活躍するスゴい人にも、辛い過去があったという。
でも、その過去のお陰で今があると断言された。
さぁ、日本最速催眠術師が生まれるまでをのぞいてみよう。

さあ…
閃光の催眠術師
十文字 幻斎様の登場です!

学校一のいじめられっ子

兄の「手品奇術入門」という本を見て、マジックを始めました。
最初のマジックはハンカチの端にマッチ棒を隠し縫いしたモノです。
幼稚園に持っていって、ハンカチの真ん中にマッチ棒を入れて包み、隠し縫いしたマッチを折る音を聞かせて開いても、そのままのマッチが出てくるマジック。
友達にも先生にも賞賛された快感は、今でも鮮明に覚えています。
実家は嵯峨嵐山では名前が知れた家で、お金もあり、変わった性格でしたので小学校時代は学校一のいじめられっ子。毎日殴られ、泥まみれで家に帰る日々でした。
マジックはずっと好きで、母に連れられ高島屋のマジックのディーラーブースによく足を運んでいました。
母が買い物をしている最中、ショーウィンドーにかじり付いておじさんに手品をしてもらい、帰りに何かグッズを買ってもらっていました。

マジックが僕の人生を救い世界を広げた

物凄く熱心にマジックをしていたので、ディーラーブースの人からマジックの会にも誘われ、「弟子になるか?」と言われ弟子入りしました。
マジックキットなど商品づくりのお手伝いや、マジックの実演販売をしていました。
まだ中学生でしたが師匠の管理下で働いていたのです。
京都奇術学院という学校で、年配の方に教えたりもしていました。
同じ中学の人がいるといじめが続くので、高校は隣の奈良まで通いましたが、ある時休日に立ち寄ったゲームセンターにいじめっ子がいて、見つかってしまいました。
殴られるのかと思ったら「お前、マジックやってるんだってな。やってみろ」と言われ、見せると案の定「種を明かせ!」と言われました。
師匠から種明かしを禁止されていたので、頑なに断ると殴られました。
「教えろ」「嫌だ」殴られる、を何度か繰り返していると一人のいじめっ子が「こいつは俺の友達だ!今日からこいつをいじめたら俺が許さん」と言ったのです。
この日、マジックをやればいじめっ子でさえも心が繋がるんだと思い、マジックを自分の力の1つにしようと思いました。
大人になってどんなに辛いことがあっても、この時を思い出すと頑張れます。
この瞬間がなかったら、今の自分は存在しません。

17歳でドイツへ留学

高校1年の時に、父の仕事の関係で単身ドイツに渡ることになりました。
僕は日本に残ると師匠に話すと「会社に言えば一緒に連れて行ってくれる。将来世界を回るマジシャンになりたければ、一緒にドイツに行って来い」と言われました。
でも父は高校を辞めることは許してくれません。
すると世界で活躍されているパラソルマジシャンの深井洋正さんが父に会って、父を説得してくれました。
そして僕は高校2年の1学期で高校を辞め、ドイツに行きました。
ドイツではストリートパフォーマンスをして警察が来たら逃げたり、日本人交流会でマジックを披露したり沢山の人に見て喜んで頂きました。
スイスで開かれたマジックのオリンピックであるフィズムに深井さんがブースを開かれたので実演販売のお手伝いをしました。
3年半後、帰国すると両親から「定職に就きなさい、親と師匠どちらを取るのか」と迫られました。
育ててもらった恩で親をとり、サラリーマン生活がスタートしました。

催眠術との出会い

働いていた会社が倒産し、建築、クリーニング、ラーメン屋と、ありとあらゆるバイトをしました。
ある日、マジックのチラシに「不思議を体験せよ」とありました。
子どもの頃から言葉に物凄く執着する性格で、この「体験せよ」が腑に落ちなかったのです。
体験とは身体を使う事なのに、マジックは見た感想や心の感動のはず。
不思議なことを身体でするって催眠術だ!と思い、すぐにマジシャン仲間に催眠術師を紹介してもらいました。

初めての催眠術

紹介された催眠術師が開催していたイベントに参加して、率先して催眠に掛かりたいと手をあげました。
マジックの様に種があると思い、見破りたかったからです。
すると見事にマイクから手が離れなくなり、衝撃でした。
この技術を意地でも盗んでやる!と、片っ端から掛け方を教えてもらい、その夜に飲み屋の女性に試したら掛かったのです。
そこから催眠術に夢中になりました。
マジックの仕事で呼ばれても終わってから無料で催眠術をやらせて下さいと練習しまくりました。

催眠術業界が驚く最速術が出来たワケ

色々な掛け方を研究していると、ある所で人が反応しているポイントを発見したのです。
業界で有名な先生に観てもらうと「お前、何やったかわかってる?」と言われたのでてっきり怒られるのかと思いました。
するとここ何十年、何百年と新しい技術が開発されない中、それを作ってしまった自覚があるのか?と言われました。
それが今では僕の代名詞となっている、初対面の人を椅子に座らせ一瞬にして眠らせる閃光の催眠術となったのです。
僕は人が大好きなので相手を喜ばせるためによく観察します。
相手の反応も細かく分析して次の会話も組み立てるのが癖になっています。
だから細かい生体反応を見逃すことなく、新技術の発見に繋がったと思います。

目標は2時間の冠番組

催眠術で一番大切なのは掛ける前なのです。
「手が固まるよ!」という瞬間には8割終わっていると言っても良いくらい、会ったときから相手とのコミュニケーションを取っているのです。
どのくらい掛かりたいのか、掛かりやすい状態にあるのか、無いなら色々な角度の質問を駆使してアプローチしているんです。
僕は掛からなくても放送をOKにしています。
かかりにくい人を隠しても仕方がないし、僕は掛かるまで色々なアプローチをして実験したいのです。
仮に掛からなくてもその時の体験が面白かったら僕は良いのです。
僕は単なる催眠術師ではなく催眠エンターテイナーなので、その場にいる事を楽しんで貰いたいのです。
ただ、掛かったフリのヤラセは一切禁止しています。
この記事を読まれた方は僕に気軽に声を掛けて下さい。出来る限りその場で催眠術を掛けます。色々な研究をしたいので掛かってくれる人を募集しています。
そして、いつか自分だけの2時間の冠番組で多くの人に催眠エンターテインメントで楽しんで頂くのが目標です。

取材を終えて・・・

いじめっ子にマジックを見せ、何度殴られてもタネを明かさずにいたら今日から友達だからというお話しをされた時にハンカチで涙を拭われた。
「すごく辛かったので、この話をすると本気で泣いてしまうのですが、この体験があるから本当に今の自分がいるのです」と仰った。
想像を絶する苦しさを今の自分の糧として捉えられている幻斎さん。
幻斎さんの繊細さのベースの1つはここなのだろうと思った。
人が好きだから人を観察し数値化出来るぐらい推し量るとも話されていた。
催眠術はコミュニケーションの先にあるものだとも話された。
幻斎さんの強く深い観察力があってこそ、これまで誰も気づかなかった生体反応を発見出来たのだろう。
人生何が糧になるかはわからないが、どんなに辛い経験だとしても未来に花開く事もやはりあるのだろう。

プロフィール

十文字幻斎(じゅうもんじ・げんさい)
彗星の如く現れた催眠術師・十文字幻斎は、人の意識・心理を使い、催眠の世界へ導き、体感させる事の出来る催眠術を、誰もが楽しめるショーとして確立した日本でも数少ない催眠エンターテイナー。催眠術は高度遊戯である。
5歳からマジックを学び17歳でヨーロッパを中心にプロマジシャンとして活躍、日本へ帰国してからは自身の技術を研鑽、メンタルマジックと心理を融合し催眠エンターテイナーとして活躍中。

◆オフィシャルサイト http://gensairyu.com/

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