日本の総合格闘技の草分け的存在“大道塾”の小さな巨人!

幼少の頃から身体を鍛え、心を鍛え、着実に強くなっていった。

そんな中、ラスベガスのある夜。一瞬にして起こった大事故。

しかし、不屈の闘志で再起を果たした。

さあ・・・国際空道連盟大道塾 行徳・東中野支部長、加藤清尚選手の登場です!

 

「失ったものは何も無い」

1歳8ヶ月で両親が離婚し、仙台の叔母の家で育てられました。

子供の頃から本当の子供じゃない事は聞かされ、「ここにいつまで居れるのだろう」という不安が常にあり、自立した大人に早くなりたいと思っていました。

空手は漫画を読んで興味を持ち、高校に入学すると同時に入塾。ありがたいことに先輩にも恵まれました。高校2年生の時に最年少で代表に抜擢され全日本デビューしました。

大学に入学し、師匠の内弟子になりました。大学には道場から通う生活です。この4年間で格闘家としても武道人としても鍛えられました。

精神と肉体のバランスが取れていない時期は勝てませんでした。練習だけではなく、日常生活をしっかり送る事が大切です。

大学4年で軽量級の試合で優勝しましたが、無差別級でも優勝したいと思いました。

その後、練習量を倍以上に増やし、無差別級でも優勝しました。

今度は、世界の強豪と戦いたくなりキックボクシングに転向。イギリスのジムに内弟子武者修行にいきました。

負けが続き、イギリスからタイへ、そしてラスベガスへと転戦していきました。

試合数を増やしルールも把握でき、UKFとWMTFというキックボクシングの2つのタイトルを獲得。

タイトルを取った帰国前夜。ラスベガスで自転車に乗っていたら猛スピードの車に正面から跳ねられアスファルトに突っ込みました。

右足の脛骨開放性粉砕骨折。骨が皮膚から突き破り粉々に。歯は全て折れ、顔も骨がむき出しになり40針縫いました。首は鍛えていたので奇跡的に問題ありませんでした。

医者は足の切断を迫ったが、仲間達が止めてくれました。

右足の脛の骨は無い状態。ふくらはぎの筋肉はお腹から移植しました。当然、血管も移植。

1ヵ月半の入院で大手術を5回受けました。

手術代 2300万もラスベガスの移民に対する保障制度が適応され、払わなくてよくなりました。

紹介してもらった日本のドクターから「将来的に走れないし蹴ることもできない。」と言われましたが気に留めませんでした。

病室には鉄アレーやプロテインを並べ、毎日外出許可を提出し病院からジム通い。

骨を作る為、毎朝1mmずつ器具を回して足を伸ばすのです。

その際、神経も一緒に引っ張られるので激痛との戦いが10ヶ月間続きましたが、現場復帰にこだわりました。

事故から5年後に優勝。怪我を理由にしたくは無かったのです。事故で失われたものは何もありません。骨は失われましたが作りましたよ(笑)

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