日本で一番最後まで国産絹糸工場を守りぬくスゴい人!

一昔前の日本では、世界に誇るトヨタ自動車も豊田織機の自動車部だったほど、日本の織物や製糸産業は華々しい発展を遂げていた。
絹糸や絹織物も輸出品第一位だった時代もあった。しかし、車産業、IT産業と移り去り、絹糸産業は中国製などに押され、全国の消費量のたった1%しか国内で生産できてない。
このままだと消滅する。
国産の繭生産は 1930年には40万トン。2008年には、わずか382トン。全盛期に比べ1000分の1にまで激減。
一人の男が立ち上がった。国産繭製糸工場を守らなければいけない。
この男の天命こそ、日本の歴史の灯火をこれからの時代に残すこと。
さあ・・・高村育也様の登場です!

「国産の繭を守り抜きます」
19歳でここに就職しました。
絹糸の最盛期は、いかに多くの繭をこの工場に持ってこられるかが勝負。養蚕県群馬の繭を獲得するのが仕事でした。
繭がたくさん集まるようになったら、人が足りなくなり、日本国内では足りず、ペルーから人を確保するのが仕事となりました。
人が確保でき絹糸がたくさんできるようになってからは、その絹糸を営業して売ることが仕事でした。
全国を営業してまわりました。
絹糸を使ってもらえるように、接待でお酒を毎晩飲むので、体を壊したこともあります。
創立された理事長を尊敬していましたし、どんなときも大好きな繭や絹の仕事は楽しかったです。
そしてここに来て約半世紀、50年経ちました。
国産の繭は激減して、ここでの絹糸生産も激減しています。経営は大変です。従業員も年をとりました。でもここがなくなってしまったら国産の繭を国内の工場で製糸できなくなります。
国産の繭が大好きです。
私自身を繭に育ててもらったといっても過言ではありません。 日本という国に国産の繭は必要だと思います。ですからどんなことがあってもここを守り抜きます。
皆様もぜひ日本製の繭、絹を使ってください。
日本で最後の国産繭製糸工場を必ず守り抜きます。

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