【アキラボーイ】アジアデジタルアート大賞“エンターテイメント部門大賞”を受賞したスゴい人!

アキラボーイ

“アニメ漫才”という分野がある。
従来の漫才は、人と人が行うもの。
しかし、本日のスゴい人が行う漫才は、自分で制作したデジタルアニメーションを相方として漫才を行うという、新しいスタイルの漫才である。
人の動きや声に合わせてデジタルのプログラミングが反応する。
その動きがあまりにも自然で、見ている人は、アニメーションの方が彼に合わせているとは全く気付かない。
そんなデジタルエンターテイナーがこの独自分野にたどり着き続けてこられたのは、恩師からの言葉がきっかけだという。
その言葉とは?
さあ・・・アキラボーイデジタルプロダクション代表取締役&デジタルエンターテイナー アキラボーイ様の登場です!

「自分は本当に運がよい」

デジタル制作が得意だったので、高校卒業後はゲームを作る人になりたかった。
昔から、何かを作ってはいかに自分の作ったものが面白いか友人にプレゼンし、披露していた。
ゲーム制作を勉強する中で、恩師からこう言われた。
「作品が面白いんじゃない、作品を紹介している君が面白いんだ」と。
確かに、ゲーム業界は自分の目指すものとは違うかもしれないと感じていた。そのため、卒業してからの進路は「芸術家になります!」とだけ宣言し、独自路線を歩むことに決めた。
当時大阪では面白いやつは吉本へ行くような風潮があったため、自分の強みのデジタルを駆使したネタを持ち込みプレゼンした。
その結果、デジタル技術だけが評価されてしまい、吉本興業でデザイナー職として働くことになってしまった。
定職がないことは不安だったので、ひとまずデザイナーとして働くことにした。
デザイナーの仕事は順調で収入も安定していたが、しだいにこのままでは自分のやりたいことができないと考え始め、仕事を辞めて、ゼロの状態から芸人として東京へ出てきた。
東京に出てきてすぐにネタの切り口を評価して下さり、「エンタの神様」出演のオファーを頂いた。
しかし、芸人としてのレベルがまだまだ未熟だったために仕事は安定せず、お笑いブームが下火になるにつれて仕事が減っていった。
お金がなくなってきたらデザインの仕事でつないでいたが、そうしていても自分の芸が育たず、悪循環でジリ貧生活であった。
自分の芸はいわゆるお笑いとしての王道ではないし、バラエティ番組に適しているわけでもなく、自分の道はこれでいいのかと何度も自問自答を繰り返した。
そんな中、また恩師からこんなことを言われた。
「個性的で、面白いことをやり続けている人で、成功しない人は絶対にいない。」と。
その言葉が本当に大きな支えとなった。
日本テレビでデジタル芸人グランプリという大会が開催され、これはチャンスだと思い出場したところ、優勝を勝ち取る事ができた。
そこから、情報番組の「スッキリ!」のオファーを頂き、その特集が大きな反響を呼んだ。
その頃から、芸だけでの生活が安定する様になってきた。
自分にしかできないことを信じ続け、それを続けてきたことと、周りの環境のおかげで、今があると思う。
始めるきっかけ、続ける支えになる言葉をくださった恩師や、応援して下さっている周りの人たちにとても感謝している。
そんな人たちに出会えて、自分はほんとに運がよい。

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