大和マナ、ウーハン、片平あかね…。
めずらしい名前の伝統野菜を提供する農家レストラン「清澄の里 粟AWA」は、奈良の農村という非常に不利な立地にありながら連日予約が絶えることがなく、2012年には「ミシュランガイド」でも星を獲得している。
そんな店を立ち上げ、運営している本日のスゴい人の活動の原点は、福祉。
日本の福祉をより良いものにするべく訪れたある村で、彼はヒントを得た。
3年かけて夫婦で開墾した土地でのレストラン開業は、企画段階で誰に話しても賛同は貰えなかったが、彼は前進することを選んだ。
今でこそ、スローフード、食育、地産地消という言葉を頻繁に耳にするようになったが、彼は、「日本人がこれからどう生きていけばいいのか」という問いに対し、20年も前から農業を中心とした生活を提案している。
彼が得たヒントとは?
さあ・・・プロジェクト粟AWA代表 三浦雅之様の登場です!
「未来につなぐ、家族野菜」
学生の頃はプロサッカー選手を目指していましたが、進路を決める際にスッパリと切り替え、母や祖母が福祉施設に勤めていたこともあり福祉の専門学校に進みました。
奈良のたんぽぽの家という福祉施設で当時看護学生をしていた妻と出会いました。
私達は、「年を取ると要介護者になる」という前提で作られている医療現場の構造に疑問を感じ、別の福祉のアプローチがあるのではないかと探していました。
そのため妻との新婚旅行は、医療や福祉の見聞を広げる旅にしようとアメリカに出向きました。
そこで得たものは、ネイティブアメリカンの暮らしに農が息づいているということでした。
現代の医療や福祉はそこにはありませんでしたが、お年寄りになっても生涯現役で、世代を超えて助け合い、幸せそうに生きている姿があり、その中心には古くから引き継がれてきたトウモロコシの種がありました。
この時、「日本に戻ったら農業をしよう!」と決めました。
日本に戻り、奈良の40年間放置されていた荒れ地を譲り受け、3年かけて夫婦で開墾しました。
同時に、トウモロコシの種のように古くから受け繋がれてきている日本全国の伝統野菜を調べあげました。
伝統野菜を作っている方は、「売るためだけ」でもなく、「伝統を守るためだけ」でもなく、家族のお気に入りだからこそ作っていたのでした。
作り手の心や土地の食文化、共に受け継いでいたのは、ネイティブアメリカンと同じ「家族のための野菜」なのだと気付いたのです。
飲食業未経験の2人でしたが、おいしく食べて気軽に親しんでもらえるようにと妻がレストランをしようと提案してくれました。
立地的にも極めて不利な場所でしたので100人に話しても誰1人として賛成しませんでしたが、私達は、「ここは人が集う場所になる」という確信を持って進んで行きました。
不安よりも期待の方が大きかったからです。
子供の頃から福祉の現場で働く母達から見聞きしてきたのは、おじいちゃんおばあちゃんには「本当にやりたかった事をしなかった」と後悔している方が多いということです。
自分の決断の時に失敗や怖さも考えず進んで来られたのは、そういう姿から学んだからかもしれません。
私は次の時代は価値観で繋がる時代だと思っています。
本当に必要な事は何があっても残るのです。
プロジェクト「粟AWA」が世界を良くしていく一つの種火となり広がっていく事を、楽しみにしています。
◆「家族野菜を未来につなぐ」学芸出版社
http://www.gakugei-pub.jp/mokuroku/book/ISBN978-4-7615-1331-3.htm
◆プロジェクト「粟」HP
http://www.kiyosumi.jp/awa/
◆プロジェクト「粟」Facebook
https://www.facebook.com/Project.AWA
※上記サイトは、一部携帯では見られない可能性があります。