WBC世界スーパーフライ級王座を9回防衛し王者のまま引退したスゴい人!

2000年に世界初挑戦にして12回のフルラウンドを戦い抜き、WBC世界スーパーフライ級チャンピオンとなった。その後、9回防衛に成功。
これは、具志堅用高長谷川穂積勇利アルバチャコフに次ぐ、当時歴代3位の記録だ。一度KO負けで王座を空け渡したものの1年後同じ相手にリベンジ、再び世界王者に返り咲いた。リベンジするまでの苦悩、また引退後の不安。それらをどう乗り越えたのか?
さあ・・・元WBC世界スーパーフライ級チャンピオン、徳山昌守様の登場です!

「覚悟は偉大な決断であり覚悟を決めた者からは不安はなくなる」
東京の朝鮮高級学校に通っていた頃ボクシングはやっていましたが、夢も目標も無く卒業後も親父の仕事を手伝いながら時間だけが過ぎていました。
無為な時間を過ごすイライラの中で、でもやっぱり俺にはボクシングしかないと気づき、家族の反対を押し切って家を出て大阪のジムに入門しました。地元の東京だと、甘えてしまうと思ったんです。
練習中は「俺は絶対出来る!」と自分に何度も何度も言い聞かせながらトレーニングをしていました。
自分で限界だと思っても、そこでやめるのではなくそこからもう少し頑張ってみれば、ほんの少しだけ限界が伸びるんです。この繰り返しが自分のレベルアップに繋がるんです。
KO負けで王座を奪われたとき、実は、「もうあんな苦しい練習をしなくていいんだ」とホッとした気持ちの方が大きかったんです。
しかし、日が経つにつれ、「こんな負け方をしたままボクシングを辞めてしまっていいのか」と悔しさが大きくなっていきました。
しかし、相手は動きもとても良い状態。再戦して勝てるのかという不安があり、しばらく悶々としていました。
ある日、「このまま辞めたらアカン!アイツにリベンジする!」と覚悟を決めました。
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という言葉の通り、今までの不安が嘘のように消えました。
目標が定まってからは、異常なくらい猛烈な練習と過酷な減量を行いました。未だに当時の私の練習メニューをこなせる者はいないと聞いています。
リベンジの試合当日、いつもと違い穏やかな気持ちでいられたのも、その練習量からくる自信の裏付けだったのだと思います。
試合本番では驚くほど相手の動きはゆっくりと見え、そしてとても小さく見えました。
リベンジを果たしたあとチャンピオンのまま引退し、現在は飲食店の経営を通じてとても良い経験をしています。
今ボクシング界に戻るとボクシング「しか」出来ない男になってしまうので、今後もっと経験を積み成長してから必ずボクシングの世界へ戻ります。
なぜなら私をここまで成長させてくれたボクシング界の発展に貢献するのが、私の使命だと思ってるから。

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