レールに乗りたくないからと内定は全て蹴る
理不尽すぎる環境
佐藤正忠の息子!?
若い世代に向けて政治・経済の大切さを伝えている電子雑誌『政経電論』をご存知だろうか?
『政経電論』は2013年11月に創刊した。
編集長である佐藤尊徳さんは経済誌『経済界』に二十数年にわたり携わってきた。
歴代の政治家や大手企業の経営者とのネットワークは凄まじい。
彼が見てきた世界はどんな世界だったのだろうか?
人脈の創り上げ方に関しても非常に勉強になるだろう。
さあ…
株式会社損得舎 代表取締役
『政経電論』編集長 佐藤 尊徳様の登場です!
選挙好きな少年
今の自分の原点は「三つ子の魂百まで」ではないですが、幼少期にざっくり言うと世の中を大きく変えたい!と思っていた所にあるかと思います。
小学生の頃から選挙が大好きだったんです。
万年与党である自民党が負けて社会党が勝って欲しいと、子どもながらに願っていました。
父は町の工員をしていたのですが、ある日倒産した会社側と労働争議をしたんです。
「計画倒産だ!」と言ったりして、メーデーにも必ず参加していました。
県営住宅に住み、病弱で入退院を繰り返す父でしたので、父の姿を通じて世の中の不公平さをどこかで感じて、父を助けたい気持ちも働いていたのかもしれません。
だからと言って不平不満を強く持っていたわけでは無く、頑張った人が報われる世の中で良いのですが、スタートラインは同じであるべきだと思っていました。
規制や既得権益など打ち破れないモノが沢山あり、決してスタートラインは一緒ではないと感じていて、それが政治の力なのだと思っていました。
レールに乗りたくないからと内定は全て蹴る
漠然と、将来は弁護士と思ったものの、弁護士で社会を変えるのは難しい。
大学卒業時はバブルの末期でまだ売り手市場でした。
損保会社など色々と内定を貰ったのですが、そのレールはつまらないと思ってしまい、結局全部内定を蹴ってしまいました。
レールに乗らず社会に影響を与えるのはモノを書く仕事かな?と思ったのですが、大手には入れませんでしたし、もう間に合わなかった。
そんな時、新聞広告で読んだこともない『経済界』という雑誌が新卒を募集していたのを発見しました。
読んだこともない雑誌社に入社
親からも早く就職先を決めてくれと言われており、『経済界』を受けると内定をもらえたのです。
この年は23名の新卒採用をした、最も採用人数の多い年でした。
記者稼業を学んで独立しようという、甘い考えを持っての入社。
でも、入社すると記者や編集ではなく、配属先は創業者である佐藤正忠さんの随行秘書。
23名で秘書は私だけでしたが、なんか面白そうだから良いかなって。
佐藤正忠さんがどんな人かも存じ上げていませんでした。
入社3日目から主幹(佐藤正忠さん)の秘書業務。
もう大変でしたよ(笑)
主幹は既に半身不随でしたので、男じゃないとダメで、2年間務めてきた先輩からの引き継ぎでした。
理不尽すぎる環境
主幹は6時に出社するので、私は5時45分には会社を開けるんです。
夜は、17~18時の1時間だけの宴会をします。
10人程集めて、1時間で会を回すんです。
孫正義さんに対しても平気で怒鳴りつける人だし、政界、財界に対する人脈や影響力も相当あり癇癪持ちの主幹の秘書業務を20歳そこそこの私が務めるんですよ。
想像してみて下さい。
きっと皆さんの想像を遥かに超えていると思います(笑)
綺麗な秘書と言うより、とにかく大変な秘書。
私が優秀というより、コイツなら何とかもつんじゃないかと思っての配属だったと思います。
入社して数日後からはいつも辞めてやる!と思っていました。
本当に笑い話になるぐらい理不尽だし(笑)
私が直接した事ではないのに、イライラして私に当たってくるのは日常茶飯事。
いつか殺して俺も死んでやる!と思ったりしましたが、とりあえず3年間だけは石に齧りついてでもやってやろうと思ったんです。
でも、最初の1年間はこちらから話しかけることなんて、怖くてできませんでしたけどね。
政財界とのお付き合い
当時はゴルフ接待も頻繁で、休みなんてほとんど無かったです。
ゴルフ場も朝一番で開けさせるんです。
プレーする朝一番じゃなくて夜明けと共にゴルフ場を開けさせてプレーするんです。
最後はクビ覚悟で主幹に良くないことだと伝えて、やめてもらいましたが(笑)
役員も主幹に言いたいことを私に頼んでくるんです。
私も生意気だから、なんで俺が役員でもないのに言わなきゃなんないんだよ、とか思ったり。
32歳で取締役になり、編集局長になりましたが、実際は辞めるまで秘書みたいでしたね。
佐藤正忠の息子!?
同じ苗字で、また私が生意気だったので、息子だと勘違いされている人も多くいました。
私は明確に否定していましたが主幹は「まぁまぁ」と言うだけで否定しないんです。
周りが私を接待してくれるようになるのですが、まだ20代。
背伸びをしなきゃならないんです。
背伸びをするとは、先方が「こいつと飯食って良かった。また会いたい」と思ってもらえるように自分の限界の知識を出すんです。
相手の知らない事や興味のありそうな事を話すのです。
各業界の人たちと付き合うことで薄くても広い情報が手に入ります。
業界の事は深く知っているけれど、他の業界の事は意外と知らないものなんです。
更に私は政治に詳しかったので、圧倒的な有利さはありました。
大物の財界人の人たちの元へふらっと遊びに行って、生意気な話をしてくるんです。
そうすると「佐藤くんよく勉強しているね」って、若さもあり可愛がってくれました。
自分が中心になりネットワークを築く
私のカウンターパートナーは広報部長でしたので、広報の横の繋がりを作ろうと会を作りました。
朝日生命、三井住友海上、サントリー、帝人など、大手企業数十社。
講師に経済人や政治家、文化人を呼び、講師代はお菓子のみ。
これも、経済界で培ったネットワークが役に立ちました。
安倍総理にも何度も来て頂いています。
最近は忙しくてできていませんが、100回以上は続けました。
この会の回し方は主幹の姿を見て学んだものです。
やっぱり三つ子の魂百まで
世の中は変わるもので、無理やり変えられるものではないですよね。
自然と変わらざるを得なくなるんです。
その変化の中にメディアとして一石を投じることは重要だと思っています。
世の中を変えることはそんなに簡単ではないけれど、それなりに影響力のある方々のネットワークは手にできました。
そう考えると、何もない、何者でもない当時の私からしたら、恵まれた環境にいると思います。
今後は仲間と一緒に優良企業の経営にも携わってみたいと思っています。
経営はそんなに簡単ではないけれど、それが上手く行ったら『政経電論』へ更に投資して
行きたいです。
権力は確かに怖いけれど、対抗できるものの一つがメディアです。
ある程度の力がないと、歯向かうのは危険を伴いますが。
私は銀行とでも喧嘩をするし、それをやっていることが快感だったりします。
やっぱり体制側が嫌いな根本は、子どもの頃から変わらないのかな(笑)
取材を終えて
尊徳さんと知り合ったのは7年程前になる。
当時と変わらず今でも、どこの組織にも染まらず一匹狼的な生き方が好きだ。
今回、ゆっくり取材させて頂くことで、佐藤正忠さんの凄さと、その秘書を勤め上げてきた尊徳さんは今の経済界においては別格の存在なのだと強く認識できた。
5年前に経済界を辞められた時、多くの会社から声が掛かったそうだが「忠臣は二君に仕えず」という言葉のとおり佐藤正忠さんに仕えたものとして、他の主君に仕える気持ちは毛頭なかったという。
そんな尊徳さんだからこそ表現できる場所が『政経電論』である。
錚々たるメンバーが尊徳さんとの信頼関係で出演されているから他のメディアと違った話が聞ける。
是非、アクセスして尊徳さんのお人柄を通じて政治経済に触れて欲しい。
プロフィール
佐藤 尊徳(さとう・そんとく)
株式会社損得舎 代表取締役/『政経電論』編集長
◆政経電論 https://seikeidenron.jp/