作りたくても作れないもどかしさ
20年越しに報われた、日々の積み重ね
日本にもっとサンドアートの存在を
本日登場するのは、砂像世界大会にて優勝したプロ砂像彫刻家のスゴい人。
砂像とは、サンドクラフト、サンドアートとも言われる砂と水のみで製作された彫刻のこと。
驚くことに芯材などは一切入っていない。
高さ数メートルにも及ぶ作品の壮大さ、表現力の繊細さに目を釘付けにされるだろう。
過去には作品を作りたくても仕事がなく、アルバイトをしながら彫刻をする日々が何年も続いたという。
好きな気持ちを投げ捨てず、夢に向かって歩み続けた彼のストーリーに迫ろう。
さあ…
プロ砂像彫刻家
保坂 俊彦様の登場です!
絵を描くことより、ものづくりが好きだった
幼少期、公園で山を作ってトンネルを掘るような、普通の砂遊びはしていました。
絵を描くよりは粘土で立体を作る方が好きでしたね。
あとは動物とか生き物のかたちに人一倍興味があったのかもしれません。
小さい時から観察することが好きでした。
高校2年で進路を決めなくちゃいけない時、僕は何も考えていませんでした。
友人と進路について会話をしていて、僕と彼は学校の成績で美術しか良くありませんでした。
美術だけがいい成績で他はもう並以下みたいな。
その彼が「俺らみたいなやつは、どうやら美大に行くしかないらしいぞ」と言ってきて、そこで僕は初めて美大というものを知りました。
もともと美大を目指していたわけではないのです。
高2の夏から、初めて美術専門の予備校に行きました。
美大にもいろいろな科があることを聞いて、自分だったら彫刻かなというふうに思いました。
結果、東京藝術大学美術学部彫刻科に進みました。
砂の彫刻との出会い
彫刻科には砂の専攻はありませんでした。
自分で砂を選んだのではなく、たまたま作る機会があったのです。
21年前に秋田県で始めたのがスタートでした。
僕の叔父が秋田県に住んでおり、叔父の住んでいる街でたまたま砂の祭りを始めることになりました。
もともとかなりいい砂浜があって、そこをどうにか利用できないかというきっかけだったそうです。
そうは言っても、砂の彫刻なんか誰もできない。
その時、僕は大学で彫刻を専攻していたので「ちょっと手伝ってくれよ」と叔父から言われたのが始まりでした。
ただ僕もその時は、砂の彫刻というのは見るのも聞くのも初めてで、漠然と「砂でお城でも作るのかな」って、本当に一般の人が思うそれくらいでしかありませんでした。
どんなものなのかと手探りの状態でした。
作りたくても作れないもどかしさ
大学を卒業しても彫刻では食べていけないので色々なアルバイトをしていました。
売るということを、その時は全然考えていませんでしたね。
依頼もありましたが、それは本当にまれで、アルバイトをしてそのお金で「とにかく自分が作りたいものを作る」という感じでした。
最初から「砂像でプロになろう」という考えはなくて、彫刻全般で仕事をしようと考えていました。
卒業してからは倉庫を借りて、そこにパイプベッド一個を置いて住んでいました。
昼はアルバイトをして、帰って作品を作って、そのまま寝るという生活。
30代前半までアルバイトはしていましたね。
砂像を始めて10年くらいは、1年に1回秋田のイベントに行くだけでした。
やりたくても仕事がない。
作る機会がない。
自分の作品を発表する場がなかったのが本当に辛かったですね。
その当時はイベント自体が今ほどありませんでした。
それからイベント自体が注目されるようになって、あちこちから「来て欲しい」と声がかかって、1年に1回呼ばれていたのが、1年に2回、1年に3回…とだんだん増えていきました。
今は年間15箇所くらいを回っています。
削った砂を寄せたりといった手伝いはありますが、基本的に彫刻作業は一人で行っています。
制作期間はものによりますけど、だいたい1週間から2週間。
雨が降って製作日数が縮まったら、日の出とともに行って日没までやることもありますね。
体力勝負なところがサンドアートにはあります。
20年越しに報われた、日々の積み重ね
今年の4月に台湾で砂像世界大会がありました。
世界中から14カ国20人が参加して競いました。
僕が作っているようなデカイ作品が60体70体とビーチにずらっと並んでいるのです。
その中で優勝したことが一番記憶に残っています。
そのためにやってきたというか、この20年間がそこでやっと報われたような気がしました。
それをきっかけに、こういった取材にもつながっているので嬉しく思います。
諦めきれない、純粋な気持ち
僕もやめようと思った時期が1、2回はありました。
友達にも相談をして「もう砂の方は一切やめようと思っている。来るかもわからない仕事を待っていても生きていけないから」と言ったこともありました。
ただ、頭ではわかっていても、やっぱり好きなこととか、できることとかってそんなにないんですよ。
そんなに色々な能力があるわけでもなく、ものを作ることはやめられなくて、ものを作るアルバイトとかもしていました。
テレビや映画の美術品の製作、ウィンドウディスプレーのオブジェ。
あとはフィギュアの原型。
僕の中では好きなことだから、これしかないという感覚です。
それが元々の原動力でしたが、今は作品を見て喜んでくれる人がたくさんいて、必要とされていることに嬉しく感じます。
過去の悔しさが自分を奮い立たせる
これまで悔しい思いをたくさんしてきました。
自分のものづくりの技術を全く活かせない仕事をやったりしていました。
その時に、自分は作るのが好きで、それなりに作れる技術はあるのに、そういう場所がない悔しさ。
そういう悔しさを今も思い出します。
もちろん、影響を受けるすごい作家さんはいっぱいいますが、本当に一番の影響力になっているのは、あの時の悔しさですね。
よく続けたなと僕自身も思います。
大切にしている習慣
仕事が詰まってくると、本当にそれだけになってしまい何も考えられなくなってしまいます。
だから家に帰ってきた時はとにかく考えない。
犬の散歩をしたり、頭を空っぽにしてとにかくリラックス。
ものづくりを一旦忘れてリセットすることを心がけています。
今はオフになって、砂像のことは全然考えないようにしていますね。
そして、なんとなく作りたいなと思ってきたら考え始めるようにしています。
嫌な気持ちでものを作るのは嫌なので。
日本にもっとサンドアートの存在を
世界中の色々なイベントに参加して思うのは、サンドアートにおいてとにかく日本が一番遅れていることです。
中国に行くと僕みたいな人が100人以上いて、年中巨大なイベントをやっているのです。
しかし日本では、まだそういったイベントはありません。
海外より日本の人に知ってもらいたい気持ちが一番にあります。
その点で、今回台湾の大会で優勝したのは意味があったのかなと思います。
自分自身も嬉しかったですし、多くの人に知ってもらえるきっかけになりました。
「日本人が優勝」となると多くの人に注目してもらえるので、よかったのかなと思います。
今後の大きな目標としては、それこそ僕が海外で出たような大規模なイベントを東京など日本で開催したいですね。
取材を終えて
迫力満載の砂の彫刻を実際にご覧になられた方はどのくらいいらっしゃるかわかりませんが、札幌の雪祭りの巨大雪像は、自衛隊や多くの人たちが介在して出来上がる像ですが、この砂像は、保坂さんがたった一人で作り上げられるんだそうです。
「細部の細部までたった一人で大変ですね…」と質問しましたら、砂像はデッサンだけで立体像は保坂さんの頭にしかなく、上から順番に作り上げるので一人でしか彫り進められないそうです。
近年は、6月に家を出られたら9月まで帰られないくらいお忙しいので、インタビューの時には何も考えない時間だとおっしゃっていました。
お話しも風貌も芸術家そのものの保坂さんでいらっしゃいました。
プロフィール
保坂俊彦(ほさか・としひこ)
1974年 秋田県生まれ。
1998年 東京藝術大学 美術学部 彫刻科 卒業。
日本に数少ないプロの砂像彫刻家。
世界各国で開かれている多数の砂像イベントで、日本を代表するサンドアーティストとして活動。
特に砂では難しい人体や動物等の細かな表現力に優れている。
2017年4月、台湾で開催された砂像世界大会にて優勝、アーティストチョイス賞を同時に受賞。
他、ドイツで開催された世界大会にて3位、中国で開催された世界大会にて2位などの受賞歴がある。
作品制作の他、砂像イベントプロデュースや砂像体験教室で子ども達への指導などを行なっている。
◆オフィシャルサイト
http://www.t-hosaka.com/