5歳で仏門に入る
人生で一番辛かった小学3年の夏
幸せは自分の心が決める
本日登場するスゴい人は、赤坂豊川稲荷・東京別院の院代である。
5歳で父親を亡くし、母親とも離れ仏門に入った。
その年から修行を積み、今に至る。
5歳で仏門に入るということを想像できるだろうか?
日々の修行と勉学を経て、今年赤坂豊川稲荷の院代5年目の節目を迎えた。
人に生かされて生きていることに幸せを感じると話す本日のスゴい人。
一言一言、重みのある、ありがたいお言葉を感じていただきたい。
さあ…
豊川稲荷 東京別院
院代 阪野 茂秀様の登場です!
5歳で仏門に入る
昭和28年、愛知県の豊田市で生まれました。
5歳の時に父が亡くなり、縁があって仏門に入りました。
お寺の弟子になったのが5歳、小学校1年生の夏休みでした。
知多半島の南知多町内海というところにある永昌寺というお寺です。
母に連れられていったお寺で、小学1年の私の考えでは、夏休みの間だけここにいるんだなと思っていました。
小僧として右も左もわからなかったのですが、早起きしてお勤め、掃除して学校に行き、帰ってきてからもお寺のお手伝いをしていました。
みんなで遊びたいという気持ちはありましたが、親も兄弟もいない、修行道場の兄弟子2人と毎日修行。
普通の子どもたちのようには生活していませんでしたね。
小中学校をその永昌寺で過ごしました。
辛かった小学3年の夏
母は自分が病弱だったこともあり、弟を育てるのが精一杯で私をお寺に預けたんですね。
預けられて2年が経った小学3年の夏のある日、私のことをずっと目で追っている女性がいたんです。
当時は写真もないし、母の顔も忘れていました。
でも、その女性が母だ!と気付いた時にはもう母はその場に居らず、泣いて追いかけた記憶があります。
それが本当に一番寂しかった。
とても辛い思いをしました。
今でも母はそのことを謝りますが、今私がこうしていられるというのは母がいたからであって、母への感謝を忘れたことはありません。
高校生活と、自分の道を決めた大学時代
高校は、これもご縁があり、4年間愛知県の豊川稲荷で修行をしながら、豊川高校の定時制に通いました。
曹洞宗寺院である豊川稲荷を母体とした旧制中学校相当の僧侶の夜間中等教育機関として創立された高校なので、通っている生徒の80%は同じ修行僧です。
限られた時間の中でスポーツなどのクラブ活動もしていましたが、余裕がある時間はあまりありませんでした。
高校までは、将来他の道もあるのではないか、と考えたこともありました。
同志がいたから修行も勉学も乗り越えられたと思います。
宗門の大学、駒澤大学で仏教学を勉強して決意が固まりました。
今私がいる、この赤坂豊川稲荷から駒澤大学に通っていました。
修行とお手伝いの毎日でしたので、自由はほとんどありませんでしたね。
自由がきかないということが、しっかり修行に励めた理由かもしれません。
豊川稲荷について
少し豊川稲荷のお話をしましょう。
豊川稲荷は正式名を「宗教法人 豊川閣妙嚴寺(とよかわかくみょうごんじ)」と称し山号を圓福山(えんぷくざん)とする曹洞宗の寺院です。
一般的に「稲荷」と呼ばれる場合は「狐を祀った神社」を想像される方が多いと思われますが、 当寺でお祀りしておりますのは鎮守・豊川ダ枳尼眞天(とよかわだきにしんてん)です。
当別院は江戸時代、大岡越前守忠相公(おおおかえちぜんのかみただすけこう)が日常信仰されていた豊川稲荷のご分霊をお祀りしています。
明治20年に赤坂一ツ木の大岡邸から現在地に移転遷座し、今年で130年。
愛知県豊川閣の直轄の別院となり今日に至ったものです。
本山(愛知県豊川にある豊川稲荷)も、正月三が日で100万人前後お参りに来ますが、ほぼ二礼二拍手一礼という神道のお参りをされるんです。
ここ赤坂の豊川稲荷も、曹洞宗の「寺院」です。
最近では御朱印ブームということもあって若い方もお参りにいらっしゃいます。
ここはパワースポットでもあり、中でも朝一番のご祈祷の時間が、最高にご利益があります。
日常の中で大切にしていること
私は「人に生かされて生きている」ということに幸せを感じます。
私は出家して、周りの方々に助けられ、育てていただいたからすごく感じます。
人は一人では生きていけない、生きられない。
人という字がまさにそうですよね、支えられて生きている。
「報恩感謝」という言葉があります。
仏教では4つの恩に報い、感謝するということです。
1つ目は仏法僧の三宝に、2つ目は先祖や父母に、3つ目は自然環境の全てに、4つ目はすべての命に。
私はこのことを一番大事にしています。
自分が生かされていることに対してのお礼・感謝をしながら、世界平和と富楽を毎日祈願しています。
今日を大切に生きる、幸せは自分の心が決める
「日々是精進」という言葉の通り、毎日毎日を大切に生きなさいという教えがあります。
お経の中にもあるのですが、無駄に100歳生きるより、たとえ50歳でも60歳でもその1日1日を大切に生きた方が尊いんですね。
「光陰(こういん)は矢よりも迅(すみやか)なり、身命(しんめい)は露よりも脆(もろ)し」
これも毎日を大切にしなさいという言葉ですね。
毎日の生活の中でいろんな状況下に置かれると思うのですが、
今ここに幸せがあるのに別のところに幸せを求めている、あまりにも幸せすぎて幸せに気づかない、という人が多いと思います。
病気をすると健康のありがたさを感じる。
逆境を経験して初めてわかると思います。
みんな気づかないだけです。「幸せは自分の心が決める」のです。
取材を終えて・・・
ご縁があり、私は以前から願い事があると必ずこちらへお伺いして達成していました。
院代 阪野 茂秀 様他数十名の僧侶の方々の朝のご祈祷にもお詣りさせて頂いています。
そこで毎日気づきがあります。
僧侶の皆様のお経も聞き取れなかった言葉が聞き取れるようになることも喜びになりました。
院代 阪野様が自分が生かされていることに対してのお礼・感謝をしながら、世のため人のため、生きとし生きる人のために我々は毎日心を込めて祈願しています。とおっしゃってくださるお言葉には感謝しかありませんでした。
プロフィール
阪野 茂秀(ばんの もしゅう)
豊川稲荷 東京別院 院代
5歳から仏門に入る。
昭和43年4月1日 妙嚴寺専門僧堂に安居
昭和47年4月1日 駒澤大学仏教学部に入学
昭和52年3月29日 大本山永平寺本山僧堂に安居〔教師補任〕
平成4年3月25日 正教師に補任
平成5年3月8日 准師家に補任
平成17年10月 豊川稲荷 東京別院 副寺に就任
平成24年4月 豊川稲荷 東京別院 院代に就任
◆豊川稲荷 東京別院 http://www.toyokawainari-tokyo.jp/index.html