日本初のフードスタイリストとして活躍し続けるスゴい人!

おままごとが大好きだった幼少期

男子高校生が作る本気のデコレーションケーキ

時代の変化に合わせて、自己表現の方法も変化していく

本日登場するのは、フードスタイリストとしてNHK「きょうの料理」などで長年活躍してきたスゴい人。
独自の美学で料理の見せ方をコーディネートし、その料理の魅力を引き出す。
彼の活躍は料理のみにとどまらず、ある時はステージを彩る歌手になることも。
そして「食のエンターティナー」として、様々なメディアで活躍を続けている。
時代に合わせて、作られた料理を最大限に美しく見せるその手法もどんどん進化していく。

さあ…
フードスタイリスト
マロン様の登場です!


おままごと好きだった幼少期

子どもの頃から女の子に混じっておままごとをしていました。
女の子の中でリーダー格といった感じでしたね。
レシピを作って、泥のお団子を作り、それを葉っぱに乗せてサーブしたりしていました。
料理への目覚めというのはこの頃かもしれません。
すでに台所では料理修行。
NHKの「きょうの料理」も子どもの頃から見ていて。
不思議なことに、料理のつくり方を見るだけではなくて、テレビを見ながら、そのスタジオで自分が料理を作っているところを想像していました。
後に現実のものとなる自分の姿を思い描いていたんです。
視点が既にテレビの制作サイドにありました。
男の子の割には美意識が高くて、何でも美しくあること、作ることにこだわっていました。
両親が美男美女でしてね、愛してくれた祖母も、センスも粋な人で。
当時としてはハイカラな家庭でしたから、それも影響しているかもしれません。
学校の夏休みのスケジュールを作成する時も、決められたとおりに線を引いて予定を書くだけではなく、色を塗ったりして女の子以上に綺麗に仕上げたり。
家庭科も得意でしたよ。

人前で歌うことの心地よさ

小学校1年生の時、のど自慢大会があって地元の公民館で歌を唄う機会がありましたね。
トップバッターだったんです。
緊張して心臓がドキドキと高鳴る中、3、2、1とカウントダウンされて、背中を押されてスポットライトの中へ出ていった記憶。
この記憶が忘れられず、人前で歌うことの楽しさをこの時に体感して、歌うという表現方法の素晴らしさを、この時に知りました。

プロ料理家への目覚め

プロを目指したのは70年代ですかね。高校生の頃です。
当時はまだ「スイーツ」という言葉自体がなかった時代。
女の子でもまだ自宅でスイーツを作るというのをやっていないころに、僕は自宅でお菓子を焼いていました。
スポンジを焼いて、生クリームと苺で美しくデコレーションして。
家族はいつも喜んで「美味しい」と褒めてくれたので、それが自信に繋がりました。
男子高校生でも、料理を作ることを家庭の中では全く蓋をされず、違和感なく受け取ってもらえていました。
さすがに学校に持って行って皆に食べてもらうなんてことは、少し気恥ずかしくてできなかったですけどね。
ただ、皆僕が料理をしているのは知っていました。
この頃は本を見てその通りに一つ一つ丁寧に作っていました。
この時に料理の基礎を独学で学んだと思います。
高校卒業後は、お菓子のみならず料理全般に興味がありましたので、大阪あべの辻調理師専門学校へ入りました。
今までと違って、周りは料理が好きな人達ばかり。
授業はいつも一番前に座り、勉強はきっちりやりました。
恋愛もしましたよ(笑)地方出身の男の子にね。楽しい時代でした。
当時も今も、「あの人のようになりたい」というベンチマークはないですね。
いつも自分が唯一無二の存在でありたいと思ってきました。

料理人としての焦り

専門学校を主席で卒業した後、学校の推薦で当時の名店、銀座「レンガ屋 ポール・ボキューズ」へ就職しました。
ポール・ボキューズ監修の素晴らしい店です。
ただ当然ですが、なかなか料理はさせてもらえませんでした。
見習いですから、ホールやサービスなどの下積みをしました。
でも、何か違和感を持ってしまい、結局1年で退職しました。
のちに当時の先輩と会った時には、僕の活躍を知ってくれていて。とてもありがたい思いでいっぱいでした。
その後、パリから帰国されたばかりでいらした、料理研究家の上野万梨子さんのアシスタントをしました。
でも、それもあまり長くは続かなくて。
バブル時代に、インテリアスタイリスト小山織さんのアシスタントとしても撮影などに参加させていただき、大変勉強になりました。

フードスタイリストの先駆け

1983年、フードスタイリストとして、自己プロデュースを開始しました。
料理家やシェフの撮影に立ち会う仕事だけでなく、真ん中に自分がいる環境で仕事をしようと思ったのです。
料理とスタイリングを一手に引き受けて、本領発揮。
料理にはバランスが重要です。
もちろん技術の違いも大きいのですが、それよりも味・色・香のトライアングル、それぞれの組み合わせ。
その3つで如何に素晴らしい料理を作り、盛りつけをするのか。
同じレシピでも作る人が違えば、味も見た目も違う。これが料理の姿です。
画家が絵を描くように、音楽家が音楽を奏でるように、自己表現の手段として料理も存在すると考え、独自の視点で料理を表現していきました。
時に料理も音楽を奏でます。
それからはテレビでも雑誌でも引っ張りだこでした。出演した番組は数え切れません。
思えば大きな苦悩や挫折なくここまでは来たんですね。
何よりも人に恵まれましたし、一緒にデビューした同期も素晴らしい才能のある方ばかりでした。
20~40代は苦悩など知らず、走り続けていました。
苦労なんて無いと思っていましたね。

料理家としての苦悩とマルチな才能の開花

ところが55歳を過ぎたくらいから、仕事に対する気持ちが徐々に変化してきました。
途切れることなくやってきたフードスタイリストとしての仕事ですが、時代も変わってきましたからね。
自分のスタンス、あるべき姿を見失ってしまうように感じ、不安にも苛まれました。
今から2、3年前。僕が人生を見つめなおす、基点になった時期です。
遅まきながらこの時に、格好良く見せるのだけが真実ではないなと気づいたんです。
人のやさしさ、ありがたさを感じました。汗をかいて、恥をかくということも覚えました。
若い頃から順風満帆だった僕の人生では、初めての経験です。
自分の過去を踏まえて、今後の人生をどう生きるのか。
この時に歌をやりたいと強く思ったんです。
実際この歌への思いは僕自身にとって、心強い救いとなりました。
ものすごいスピードで変わっていく時代の中で、心の支えになるものが欲しかったのかもしれません。
料理と音楽は表現方法が違うだけで、同じアートだと考えています。
僕はプレイヤーです。
音楽家が即興ライブを行うように、僕の得意な直感だけで料理を作るのもいわば即興ライブです。
僕自身は自分の直感を信じているし、その直感で得たものを料理で表現するか、音楽で表現するかの違いでしかないです。食と音楽を繋げていきたい。それは、僕にしか出来ないことだと。
あの時、表面だけの格好良さにこだわっていたら、おそらく今のスタイルはなかったと思います。
全てがうまく行ったわけではないけれど、やりたい事は今も全て残っています。
なんだか難しいな、これはこのままだと無理だなと感じたら、一歩離れてみることも決して悪くない。
辛いことを我慢してやり続けることだけが正解じゃない。
ただし何か一本強い思いは貫く必要はあります。
自分のやりたい事、好きな事は何かを追求すること。
これからも僕は時代の旬を嗅ぎ取りながら、自分の好きなことで世の中への発信を続けていきます。

取材を終えて・・・

トレードマークのボーダーシャツにメガネ。
楽しい思い出も辛かった日々も同じトーンでコロコロと笑いながらお話ししてくれました。
細身でいらっしゃるのに、なんだか包み込まれるような安心感を相手に与える方だなと感じました。
SNSの発達で情報発信が誰にとっても簡単になった時代。
しかし、これまでに培われてきた経験と技術は、今日や明日に追いつけるものではなく、今後もますますこの時代のリーダーとして魅力的に輝いていかれると確信しました。


プロフィール

マロン
フードスタイリスト。長崎生まれ、佐賀育ち。日本でのフードスタイリスト第1号。
NHK「きょうの料理」などTV出演多数。日本全国でイベント・講演会など開催中。
フードスタイリストとして活躍する一方、歌手としてライブなども開催し、観客を魅了中。

◆公式サイト Maron Official Site http://www.marons.net/

◆著書
おうちで作れる極上パスタ83 http://amzn.to/2tmEX1B
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他多数 Amazon著者ページ http://amzn.to/2skhEAQ

  

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