2つのブームの間に生まれた、他に類のないバンド
体に沁みこんだ音楽から新しいものが生まれる
仕事への取り組み方を変えた、忘れられない体験
本日登場するスゴい人は、サイケデリックでアングラな独自の音楽を生み出した伝説のバンド“ジャックス”のギタリストとして活躍したスゴい人!
彼はバンド活動終了後、レコード会社のディレクターへと転身し、約50年にわたりWinkや横浜銀蝿など幅広いジャンルで多数のヒットにかかわってきた。
更に2015年には「水橋春夫グループ」を結成し、48年ぶりにCDをリリースし、三度注目を集めている。
そんな彼の音楽への想い、そして今でも忘れることのできないある出来事とは?
さあ…
有限会社エフ・エス・エイ・アンド・アール
代表取締役 水橋 春夫様の登場です!
2つのブームの間に生まれた、他に類のないバンド
僕らはグループサウンズブームが下り調子になってから、次のフォークブームまでの間の2年くらいしか活動していないんです。
テレビもラジオも、ほとんど出たことはありません。
僕らを理解してくれる人もいないから、大人が商売しにくい音楽だったんだろうね。
「ここがいいね」などと褒めてもらったことなんてなかった。
でも売れなかったのが良かったのか、きっとオールナイトニッポンを聞きながら受験勉強していた子たちに僕らの音楽が沁みていて、それが残っていたから、今でも来てくれるんだと思う。
ただ、ジャックスは誰にも感化されていない。
それだけは自信をもって言えますね。
原点は、PPMのコンサート
僕は洋楽少年だったんですよ。
ビートルズが好きで、その前はエヴァリー・ブラザースが好きで。
8つ上の兄貴がいて、兄貴がプレスリー大好きで、ジャズをやっていたからフランク・シナトラとかも聞けて。それが自分の母体になっているんです。
僕が最初にお金を払って見に行ったのはピーター・ポール&マリーのコンサートでしたね。
金髪の女の人がヴォーカルで、男2人がフォークギターを弾いていて。
ピンスポット一本で始まって、そんなの見たことないからさ、本当に今でも覚えているよ。
わぁ、素敵だなーって思って。
あれが僕の原点だね、コンサートがいいなって思った。
体に沁みこんだ音楽から新しいものが生まれる
僕が小さいころの音楽というのは、ごった煮の時代でした。
美空ひばりがいて、洋楽のカバーがあって、音楽の居場所がすごくたくさんありました。
浪曲上がりの歌手もいて、芸者さんがスターになっちゃうんだから。
だから僕らの世代はみんな色々なものを取り込んじゃって、フォークも、美空ひばりも、プレスリーも自分の体に沁みていて、それを消化して何かが出てくるんです。
僕はディレクターになってからもポップス畑でずっとやっていたから、いつも「俺が手掛けている音楽っていうのは偽物だ」っていう思いは心のどこかにありました。
ゴスペルの要素やビートルズの要素を持ってきているだけで、自分たちで作り上げていないんだから。
最近若い人と一緒に音楽をやることもあるけれど、今の子は音楽が沁みていないんだよね。
お手本がない。
でも、ただ一言言えるのは、今の若い人たちって、演奏はうまい。
機械がいいし、それを上手に使っているよ。
でも、だからっていい声が出せるかというと、そうではないんだよね。
ジャックスのあり方
僕は二十歳の時、リードボーカルの早川くんを大天才だと思っていました。
親友に誘われて入ったんだけど、ビートルズでもないし、演歌でもないし、こういう音楽が無かったんだよね。だから面白かったんだと思う。
偶然とは不思議なもので、東芝の洋楽レーベルからデビューして。
新しいものが出てくる時って、こういうものなんだろうね。
でも音楽の作り方ってこうあるべきだと思うんだ。
ジャックスのときには僕がアイディアを出して音やイントロを作っていたけど、今回自分一人でやってみて、歌も歌ってみて、「ああいうメンバーでやれたらな」と思うね。
仕事への取り組み方を変えた、忘れられない体験
一番とがっていた時代は、やっぱり一位になることが嬉しかったけど、今でも覚えている嬉しかった出来事はもう何年も昔。
ある時、先輩に連れられて生まれて初めて船橋のストリップ劇場に行ったんだけど、そこでドラマがあったの。
踊りが始まって見ていたら、どこかで聞いた曲が流れてきたんだよ。
それで、「えっこれ僕がやった曲だ!」って気づいて、こんな事ってあるんだなって驚いたよ。
僕がディレクターになってすぐにかかわった曲で、ちょっとヒットした、不倫の歌だった。
その瞬間にいやらしい気持ちなんて飛んじゃって。
曲はストリッパーさんが自分の好きな曲を選ぶみたいなんだけど、当時は訳ありでその仕事をしている人が多かったから、そういう境遇の人が曲を愛してくれたことに感動したね。
それから、多少嫌いなものでもまじめに取り組むようになりました。
神様がまじめにやれって言ったのかな、と思うくらいの偶然だった。
いまだにその人に会ってみたいと思うよ。
65歳からの新たな挑戦
音楽が好きだし、仲間と一緒に作るから、好きじゃないジャンルの曲をやっていても、嫌だと思ったことは無いね。
歌謡曲も、アニメも、企画ものも、ロックも、アイドルもやったでしょ。
制作者として、こんなに色々なものをやった人ってあんまりいないみたい。
一番やらなかったのは自分たちの音楽かな。
だから今それをやっているんだけどね。
2年のバンド活動と、40~50年のディレクター業を経て、2015年に48年ぶりに「水橋春夫グループ」としてCDを出しました。
でも、自分で聞いてつまんないな、媚び売っているような感じだなと感じたんです。
だから、2枚目は1967~8年に自分が感じた、日本で聞いた洋楽をやってみようと思って作ったものです。
アルバムタイトルは「笑える才能」
年を取って思ったのは、嫌なことっていっぱいあるじゃないですか。
僕の信条、音楽を作るときの生き方は、好きか嫌いか、自分の判断でいいか悪いかだけで来たんですよ。
そうするとダメで売れなくて金にならなくても、仕方がないと諦めがつきやすいから。
その時に落ち込まないで、へっへっへと笑うんだ。それも才能。
正解か不正解かはわからないけど、そのアルバムの中で作っている音楽は自分でいいと思っていて、自分では好きです。
だからそれでいいの。
売れる、売れないは関係なくて、その音楽を僕は信じています。
今3枚目を作っているんだけど、今回は大変なんだよ。
もっとサイケデリックな要素を出して、詞とかも洋楽っぽくしようと思ってやっているんだ。
今68歳で、昔より体力はなくなったし、すぐに忘れるけれど、70歳になった時に自分がやろうと思うことがある人でいたいね。
取材を終えて・・・
かっこいい大人、という印象の水橋さん。
記事には書ききれませんでしたが、ビートルズをはじめ、水橋さんが今まで聞いてきた音楽の話をたくさんお聞かせいただきました。
特に印象的だったのは、水橋さんが子どもの頃と今の世の中にある音楽の多様性の違い。
“ごった煮”の時代に様々な音楽に触れた水橋さんだからこそ、ジャックスの新しい音や、その後プロデュースした曲からヒットが生まれたのでしょう。
3枚目のアルバムの完成も楽しみです。
プロフィール
水橋春夫(みずはし・はるお)
有限会社エフ・エス・エイ・アンド・アール 代表取締役
日本のサイケデリックバンドの先駆者「ジャックス」の元リードギタリスト。
1stアルバム『ジャックスの世界』リリース直前にバンドを脱退し、レコード会社のディレクターに転身。
横浜銀蝿、Wink、山瀬まみなどを手掛ける。
ジャックス脱退から48年を経て、共にジャックスに所属していた谷野ひとしを伴い、「水橋春夫グループ」名義でアルバム『考える人』をリリース。
2016年7月には2ndアルバム『笑える才能』をリリース。
◆水橋春夫グループ『笑える才能』 http://amzn.to/2rwWtzU
◆水橋春夫グループ『考える人』 http://amzn.to/2rwEs4x