“海洋堂”
模型業界では非常に高い造形技術を持ち、業界の中では有名な企業だったが、1999年「チョコエッグ」というお菓子に本格的なフィギュアを提供したことを機に、日本中にその名が知られた。
興福寺が阿修羅の展示をした時には精巧な阿修羅像を手掛け、世界で言えば大英博物館のお土産も手掛けている。
社長は「自分がやりたいことをただやり続けている」と語るが、その突き抜けた想いはどんな背景に支えられているのだろうか。
さあ…
株式会社海洋堂
代表取締役社長
宮脇修一様の登場です!
「やりたい事をする」
私が子どもの頃、物書きだった父が模型屋を始めました。
私も小さい頃からプラモデルが好きで、小学生の頃から一緒に東京に買い付けに行き、中学1年の時には店を任されていました。
父のスゴい所は戦車のプラモデルを日本一売った販売実績もある中、「プラモデルはキャンパスだ!」とゼロ戦を赤く塗ったり、作家性のある模型を作り完成品を販売していた事です。
中学卒業後父から入社を勧められ、周りから猛反対されましたが、模型が好きだったので深く考えること無くこの業界に入りました。
バブルの影響もあり完成させた帆船模型は贈答品として良く売れたのですが、数年経つと父の体調が崩れ、会社も落ち込みました。
しかし徹底的に仕事にこだわり続けていると、道は開けます。
その大きな道が「チョコエッグ」の食玩でした。
それまでは高級料亭のように、精度の高い作品を作り、何万円もする商品を一部のわかる人に販売する方針でした。
それをたった150円で全国販売することに最初は戸惑いましたが、前例のない「造形作家の名前を入れること」という条件を提示して始めました。
するとお菓子のおまけにも関わらず精巧なのが大人にウケ、3年間で1億5千万個も売れたのです。
これが多くの人に会社を知ってもらうきっかけになりました。
81年に自分たちが欲しいものを作る所からフィギュア製作を始め、97年に大人向けのリアルなフィギュア「北斗の拳」を製造販売。日本初のアクションフィギュアでした。
その前年、96年には秋葉原のラジオ会館に日本初のフィギュアショップもオープンしました。
それを境に秋葉原がオタクの町へと色を変えました。
何でも一番乗りが好きなんです。
ただ、事業欲は無く自分の目の届く範囲で仕事を進めて行きます。
社員も当初と変わらぬ人数でやっています。
日本にはフィギュアを飾る文化はまだまだ根付いていません。市場としてはアメリカの1/20です。
まだ3次元の潜在的なニーズを引き出せていませんが、自分の好きな野球選手のフィギュアを玄関に飾ったりしていても変な目で見られない文化を構築したいです。
精巧な作品作りといえば海洋堂という名前は知ってもらえたので、一般の人にも3Dの魅力を知ってもらえるよう、これからも好きなモノを作り続けながら原作者と共にチャレンジし続けます。
◆株式会社海洋堂
http://kaiyodo.co.jp/
◆海洋堂フィギュアミュージアム黒壁
http://www.ryuyukan.net/
◆海洋堂ホビー館四万十、海洋堂かっぱ館
http://ksmv.jp/