日本の民族衣装“着物”
日本を代表する文化の一つでありながら、着物業界は衰退産業と呼ばれている。
そんな着物離れが起きている真っ只中、銀座の一等地で男性専門の呉服店を始めた人が、本日登場するスゴい人。
業界からは男物専門なんて成り立つはずがないと非難されたという。
しかし、彼は業界の常識にとらわれず未来を見据えていたのだ。
食では一般化された、生産者の顔がわかるトレーサビリティーをいち早く着物にも導入。
純国産シルクの存続を目的として、作り手と一体となり「プラチナボーイ」チームとして取り組み、農林水産大臣賞と日本農林漁業振興会会長賞も2015年に受賞。
彼はどのようにして自社のブランド力を築き上げたのだろうか。
さあ…
株式会社銀座もとじ
代表取締役社長
泉二弘明様の登場です!
「商品ではなく信頼を売る。作り手とお客様を結び、願いと心を届ける」
駅伝出場を目指して奄美大島から上京したものの1年で腰を痛め、1年間車いす生活に。
目標を失った時、私の鞄に母が忍び込ませていた父の形見の着物を何気なく羽織ったのです。
その時、父から「着物の商いをしなさい」と言われた気がしてマラソンへの情熱を着物に向けました。
目標は30歳で銀座にお店を持つ事。
マラソンの練習と同じように逆算し、まずは呉服問屋へ丁稚奉公。
夜は着付けを習い、開業資金300万円を1年で貯めるためにチリ紙交換の仕事をしました。
お客様がお客様を紹介してくださり、開業資金を貯めることができ、30歳で机1つ、電話1本で問屋から借りた反物をバイクに乗せて飛び込み営業を始めました。
6坪のお店を構えられたのは35歳の頃でした。本当に嬉しかったです。
ただ、住所は銀座でも、昭和通りを渡った場所。次は中心地へという目標が生まれました。
一番の武器である紬の専門店で勝負。
価格を明記しない業界でしたので、雑誌にも仕立て上がり価格を表示し、明朗会計にしました。
その代わり、過剰サービスは一切なし。業界からは疎まれましたが、お客様から沢山のご支持を頂きました。
海外で活躍される男性が「日本文化を聞かれても答えられなかった」と着物を買いに来るようになり、「国際交流が進むほど着物のニーズは増える!」と直感。
2002年には念願の日本初の男性専門の着物店「銀座もとじ 男のきもの」を、銀座中心地にをオープンしました。
業界からは成り立つわけがないと白い目で見られましたが、男性はシャイだから男性専門の方が来やすいんです。
20年前、息子から「着物は何から出来るの?」と聞かれたので、お店を半月閉めて蚕の飼育店にしました。
息子のお陰で原点を見ることができ、いつか養蚕農家と契約をしてオリジナルの着物を作るのが夢となりました。
そして、「プラチナボーイ」という品種が37年掛けて開発された時に国から私に声が掛かりました。
卵を生まない雄の蚕が吐く、細く、長く、美しい糸の品質の証として、蚕種の改良から養蚕、製糸、染色、織りなど、関わった人の名をすべて証紙に記載しました。
実際に出来上がった反物を届けに行ったとき、養蚕農家さんは大粒の涙を流されていました。
55年農家をやってきて自分の育てた繭が着物になったのを見たのは初めてだと。
いくら商品が欲しくても作る人がいないと成り立ちません。
高品質な商品を作ってくれた作り手を守るためには、高く買い取ること。
感謝の心を忘れず、お客様を増やしながらも作り手を守り続け、日本の文化である着物を絶やさないことが大切です。
◆銀座もとじ
http://www.motoji.co.jp/
◆プラチナボーイ~一本の糸から~
平成27年度 日本農林漁業振興会会長賞 受賞記念展
会期=2月26日(金)~28日(日)
場所=銀座もとじ 和織・和染
この10年、私たちは全国各地のものづくりのトップランナーの方々と共にチームを組み、対話を重ね、身に纏う人が自分らしい美意識を表現でき、確かな自信と豊かな気持ちにしてくれる、そんな最愛の一枚をお客様にお召しいただけることを願いながら、走って参りました。
現代に受け継がれる至高の技の美を最良の素材を通して、貴方の魅力をよりいっそう輝かせる一枚に出会ってください。
≪ぎゃらりートーク≫
作家の方々をお迎えしてお話を伺います。
◎日時=2月27日(土)10~11時
◎場所=銀座もとじ 和織
◎定員=40名様(無料・要予約)
※お申し込み=03-3538-7878
http://www.motoji.co.jp/news/detail1719.htm