バングラデシュ最大手通信サービスプロバイダー創業者のスゴい人!

「グラミンフォン」をあなたはご存知だろうか?
世界の最貧国の一つ、バングラデシュで創業された、国内最大手通信サービスプロバイダーである。
本日登場するスゴい人は、その創業者。

彼が創業した1990年代の電話普及率は1000人当たり2台という状況だったが、「低所得者層の人々にITや技術革新をもたらしてあげれば経済的に豊かになり、結果、より良い世の中になる」というビジョンのもと、同社の創業を決意。
しかし、途上国での事業展開には幾多の困難が立ちはだかった。

彼はどのようにして困難を乗り越え、事業を成功させたのだろうか?

さあ…
グラミンフォン
創業者
イクバル・カディーア様の登場です!

「低所得者層の人々にITや技術革新をもたらしてあげれば経済的に豊かになり、結果、より良い世の中になる」

バングラデシュで生まれましたが、少年期に数々の悲惨な状況を経験して、腐敗した国に失望して高校から奨学金でアメリカへ留学しました。
大学卒業後、世界銀行へ就職しましたが、そこで自分が働いていても世界中の貧困はなくならないと思い、1992年にニューヨークのベンチャーキャピタルに就職し、この頃からバングラデシュの貧困をなくすビジネスプランを考え続けました。

ある時、マンハッタンを歩いている時に、「携帯電話を牛のように使えばいいじゃないか」とひらめきました。
牛は乳を出して農家を助けます。
携帯電話も同じように使えばいいと思ったのです。
そしてこのアイデアをアメリカの携帯電話会社へ話したところ、バングラデシュは投資するところではなく、行くのは赤十字の仕事だと断られました。
しかし、弟の友人がこのアイデアに賛同してくれて12万5千ドル出資してくれました。
事業を始めるためのシードマネーでしたが、以後携帯電話会社が認可されるまでの4年間、この資金が役立ちました。本当に感謝しています。

当時、国営のバングラデシュ電信電話公社はありましたが、都市の電話だけやっており農村部はカバーされていませんでした。
一時帰国して投資家に事業化を訴えましたが、面白いと賛成してくれるものの農村の極貧地帯に携帯電話をひく事業など誰も投資をしてくれませんでした。

私は諦めることなく、貧困を無くすために絶対にこの事業を本格的に行うと決意して36才の時に20年ぶりに帰国して起業しました。
それから3年間、事業構想に奔走している間に貯金も使い果たしてしまい、週1回のバイトで生活をつなぎとめた時期もありましたが、その時が人生で最も充実した時だったかもしれません。

大株主であるグラミン銀行のユヌスから、事業化のためにコンサル会社に資金提供を頼む機会をもらい、ノルウェーの携帯電話会社テレノール社と交渉したものの、「本事業に成功の可能性はなし」と告げられました。
その時、「崖っぷちに片手でぶら下がっている私に、貴方はもう片方でよじ登る機会もくれずに見殺しにするのですか?」と尋ねると、その後、同社は私たちの最大の株主になってくれました。
お陰で今では加入者数5300万人の国内最大のサービスに成長することができました。

今後は、バングラデシュの電力不足を解決するソリューションの研究、発展途上国の起業プログラムのデイレクターとして若者を支援していきたいです。

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