パラリンピックアルペンスキー競技で計10個のメダルを獲得したスゴい人!

チェアスキーと呼ばれる用具を装着したスキーを上半身の力だけで操り、時速100kmを超えるスピードで雪面を滑降する「チェアスキー」
本日は、チェアスキーのアルペンスキー競技でパラリンピックに出場し、10個ものメダルを獲得したスゴい人が登場する。

彼女は3歳で事故に遭って脚を損傷。
車いすでの生活となったものの、持ち前の明るさと好奇心で、水泳など様々な事に挑戦していた。
17歳でチェアスキーに出会い、その4年後にはリレハンメルパラリンピックに出場。
更に4年後の長野パラリンピックでは、冬季パラリンピックにおいて日本人初の金メダルを獲得。
現役引退までに5大会に出場し、金メダル2個、銀メダル3個、銅メダル5個の計10個のメダルを獲得した。

彼女の強さの秘訣とは?

さあ…
一般社団法人日本パラリンピアンズ協会
副会長
大日方邦子様の登場です!

「好奇心」

私の両親は幼い頃からどんなことでも「やりたいならやってごらん。一緒にやり方を考えよう」と言って、私のやりたいことを絶対に否定しませんでした。
今思えば、私にわからないようにサポートをしてくれていて、両親に見守られながらのびのびと育ったのだと思います。
いつも私を応援してくれて、やりたいことをさせてくれた両親にはとても感謝しています。

チェアスキーを始めたのは17歳の時でしたが、一般的には12歳までに感覚を身に着けるのが壁と言われていますので、追いつくために誰よりも努力しました。
練習では誰よりも早くゲレンデに行って、誰よりも遅くまで練習していましたし、夏は屋内スキー場に開場と同時に入って一日中練習していました。

2006年、トリノパラリンピックの大回転で悲願の金メダルを獲得しましたが、滑降とスーパー大回転の銀メダルをとても悔しく感じていました。
つまらないミスで獲れたはずの金メダルを逃した自分の至らなさや弱さを悔やみ、もう一度次のバンクーバーに挑戦しようと決めました。

しかし、2008年3月に国内大会に出場した際に肩を脱臼。
チェアスキーヤーにとって肩は非常に重要な部分で、競技を続けるか否かの決断を求められました。
お医者さんや周りの方からも、「もう十分やったし、辞めても良いんじゃないの?」と言われましたが、私はどうしても、もう一度パラリンピックの舞台に立つ事を諦めきれず、競技を続ける道を選びました。
2010年の出場を考えるとギリギリのタイミングでしたが、手術し、その後6か月間リハビリをしました。
リハビリ中は不安になり、焦りそうにもなりましたが、そんな時は不安の原因を一つ一つ考えて、不安をなくすための道筋を考え、一歩一歩着実に努力を積み重ねて、目標であった2010年の出場を迎えることができました。

いつも成功ではなく、失敗もたくさんありますが、失敗を引きずらないことを学びました。
引きずると負の連鎖が起きてしまうので、気持ちを切り替えることが大切です。
また、難しい時こそチャンスだと思っていますので、すぐに諦めず、扉を開ける努力をしようと伝えたいですね。

今後はナショナルチームの監督として、選手たちの環境づくりをします。
現役時代は、「結果が出れば自分の手柄、結果が出なければチームの責任」と言って支えてもらっていましたが、今度は自分が支える側になり、大きな責任を持つ事を実感しています。
新たな挑戦に全力で取り組みます。

◆大日方邦子WebSite
http://obinata-ski.com/

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