本日登場するスゴい人は、囲碁の女流棋士として活躍するスゴい人!
6歳で囲碁を始め、中学生の頃から加藤正夫九段に入門。
慶應義塾大学在学中は囲碁部主将として活躍し、大学4年生の時にプロ試験に合格した。
プロ入り後は、NHK杯トーナメントの司会やテレビ・ラジオ出演、執筆、囲碁マンガの監修など、囲碁に関する幅広い分野で活躍している。
しかしそんな彼女にも、幼い頃から続けているが故の悩みがあった。
考え方を変えた転機とは?
さあ…
公益財団法人日本棋院
棋士
吉原由香里様の登場です!
「自分らしく」
6歳の時に、父が「一緒にやろう」と囲碁セットと本を買ってきて、最初は父が本を読みながら教えてくれました。
すぐに教室に通い始めましたが、ある時教室で出された問題を私一人だけ解くことができなかったのです。
それまでは何でもそれなりにできていたのに、初めて自分だけができない悔しさを味わって、「わかるようになりたい!」と強く思いました。
ある大会で、私よりもずいぶん幼く見える女の子が初段を持っているのを見て、父が私を育てようと熱心になり、以来父と二人三脚で囲碁に取り組んできました。
中学生の時に加藤正夫先生に出会い、「プロにならないか」と声をかけて頂いた時には、誰もが知っている超一流棋士である加藤先生に声をかけて頂けるのがどれほど光栄な事か、中学生の私にもわかりました。
それから、先生の下でプロを目指す日々が始まりました。
先生は碁が強いだけではなく誠実を絵にかいたような素晴らしい先生で、弟子の私たちにも誠実に接してくださいました。
何かをしなさいと言われることはありませんでしたが、先生の姿から学ばせて頂きました。
しかし、プロになるまではとても長い時間がかかりました。
中学3年生から年2回の試験を受けていましたが、周囲から「受かるだろう」と言われながらもずっと落ち続けていました。
大学1年生から、一度は囲碁を辞めていた時期もありました。
大学3年生の時、父が病気で亡くなりました。
父はとても熱心だったので、私の心のどこかで「父に囲碁をやらされている」という意識がありました。
でもその父が亡くなったことで、自分の人生は自分で決めるんだ、と当たり前のことに気付き、これまでの日々を思い返しました。
一番楽しかったことは何か、嬉しかったことは何か、悔しかったことは何か・・・その時やっと、「囲碁をやりたい」という自分の意志と、本当はどこかで父に依存していたことに気づいたのです。
そして、それまでプロになりたいという想いばかりで努力が伴っていなかった事を反省し、もし神様がいるのなら、神様が私をプロにさせたいと思うだけの努力をしようと決めて、再びプロを目指して、4年生の時にプロになることができました。
プロになってからは、多くの方とのご縁で幅広く活動をしてきました。
仕事が大好きなので、以前は仕事がすべてでしたが、今は子どもも生まれ、少し考え方が変わりました。
これからは仕事だけでなく、自分の心や「好き」という気持ちを大切に味わいながら日々を過ごしていきたいと思います。
◆吉原由香里のつれづれ日記
http://yukarigo.at.webry.info/
◆公益財団法人日本棋院
http://www.nihonkiin.or.jp/