日本人なら誰もが一度は観たことがあるであろうチャンバラ時代劇。
それらの時代劇には、必ず「斬られ役」が存在する。
斬られ役を演じる役者は全盛期には100名以上いたが、時代劇の制作が激減した今は十数名にまで減った。
今日登場するスゴい人は、チャンバラ時代劇を陰で支え続けて55年。
水戸黄門、暴れん坊将軍、銭形平次etc.
そしてハリウッド映画「ラストサムライ」など出演作は数知れず。
大スターを常に陰で支えてきたスゴい人が、ついに今年、映画初主演!
70歳を過ぎた今でもエビ反りでしなやかに美しく斬られる姿は圧巻だ!
さあ・・・役者 福本清三様の登場です!
「信念を貫く」
兵庫県の漁師町に生まれました。
親父は壁塗り職人。
当時は長男以外は家を出なければならない時代だったので、私は親戚が京都で営んでいたお米屋に働きに出ました。
お米を精米して配達するのですが、「まいどおおきに」という挨拶がどうしても恥ずかしくて言えなくてね。
半年ほど働いた頃、「お前、東映にいくか?」と叔父さんから言われたのです。
東映が何かも知らないまま撮影所に連れられて行くと、「明日から来なさい」と言われました。
翌日出勤すると、「ここはメイキャップ、ここは衣装・・・」と各部所を案内され、なるほどと聞いていたのですが、まさか、メイクをして衣装を着て現場に出なさい、という意味だとは思いませんでしたね。
当時、16歳でした。
初めて出演したのは、美空ひばりさんが出演された鞍馬天狗で松明を持つ群衆(エキストラ)のひとり。
氷が張る真冬の京都。
素肌に薄い衣装だけ身につけた1日中の撮影は本当に辛い。
殺陣(たて)は現場で常に先輩から教わり、本番中もカメラから遠い所で練習しました。
新人の頃は馬より速く走れと言われたり、30kgの甲冑を身につけ真夏に1日中走り回ったり、辛い仕事ばかりでした。
当時、斬られ役は百人近くもいて、一番下から這い上がるのは非常に難しい事でした。
私の頑張りを見ていてくれた監督さんから初めてセリフのある役を頂いた時の事です。
たった1行のセリフです。
家で一生懸命練習しました。
本番でスポットライトを浴び、カメラが目の前に来た瞬間、「ドキッ」として、頭が真っ白になりました。
セリフも立ち位置も目線も何一つ上手くできない。
それからは、自分は立ち回り(殺陣)で行こう!と心に決めて斬られ方にも工夫をしていきました。
深作欣二監督の「画面に映っている役者はみんな主役だ。だから手を抜くな」という言葉から、それならば画面効果を狙って斬られ役の自分もカメラに顔を向けようと、エビ反りで斬られてみたのがはじまりでした。
ラストサムライの撮影中、トム・クルーズさんも、日本から来た何百人というエキストラに「皆さんのお陰で良い映像が撮れた。貴方達も私もみんな一緒だ。現場に出たらフェアーだ」と同じような事を言われていました。
美空ひばりさんのお母様がひばりさんに向かって仰った「貴女が白いものを黒と言って周りの人達も(同調して)黒と言い出したら、その時は自ら舞台を降りる時よ」
という言葉を覚えています。
トップスターのプレッシャーは並大抵ではないでしょう。
私には斬られ役しか出来ません。
ただ一生懸命、斬られ役の美学を追求し続けました。
一生懸命やっていれば人生必ず良いことが起きます。
自分の信念を貫き生きて下さい。
◆福本清三初主演作『太秦ライムライト』
京都・太秦を舞台に描く「斬られ役」の“今”をめぐる感動の物語。
7月12日(土)全国ロードショー
http://uzumasa-movie.com/
※一部携帯では見られない可能性があります。