アントニオ猪木の試合再現で有名なものまねタレントのスゴい人!

個性豊かなメンバーが繰り広げるお笑いプロレス団体「西口プロレス」。
そのメンバーのひとりである本日のスゴい人は、アントニオ猪木氏の形態模写をリング上で披露し、USTREAMでは番組史上最高の視聴者数を記録。
何故、彼は尊敬するプロレスラーのモノマネをするようになったのだろうか?
夢をかなえる秘訣を教えていただきましょう。
さあ・・・お笑いタレント アントニオ小猪木様の登場です!

「学校の休み時間も大切」

高校3年生の時に自分の本当にやりたい事は何かと考え、「テレビに出たい!」と思いました。
思い立ったら即行動で、劇団に入団し、毎日、昼間はアルバイト、夜はレッスンの日々。
ある時、「お笑いグループを立ち上げるから一緒にやらないか?」と誘われ、ラヴ兄弟という5人組のユニットで平成のドリフターズを目指しました。
ところが、喧嘩が頻発し解散ムードが漂っていました。
やめようと思っていた時、再現VTRのオーディションの話を頂き、ダメもとで受けました。
役は、笑福亭仁鶴師匠の若いころ。
受験者は僕を入れて3人で、他の2人は関西人。
自分だけ関西弁を話せず、圧倒的に不利。
諦めていたので、台詞の審査では他の2人とは違うことをしようと身を乗り出して大げさに読みました。
結果は合格。

「落語シーンの雰囲気を見ておいて」とビデオを渡され、朝の4時までビデオを見続け、全ての台詞を書き出し、出来るだけ覚えました。
本番当日、台詞は無かったのですが、雰囲気を出すためにうろ覚えの台詞を話すと、しどろもどろさがデビューしたての仁鶴師匠のようだと、そのまま採用されたのです。
28歳の頃、ラヴ兄弟解散。
ひとりで何が出来るのだろうか?と落ち込み、手に職をつけるためにマッサージの勉強を始めた頃、仲間から、プロレスやるから猪木さんのマネをやってくれと声がかかりました。
普通に働いて人並みの収入を得る人生か、一生貧乏でも好きな事をする人生か、究極の選択。
選んだのは、大好きな猪木さんのモノマネをすることでした。
徐々に評価してくれる人は増えたものの、同期の友人たちがテレビで活躍する姿を見るのはやはり辛いものがありましたね。
そんな時、フィットネスクラブでとんねるずさんの番組のものまねコーナーを見て、どうしても出たくてオーディションを受け続け、3回目でやっと合格。
初出演で優勝をすることができたのです。
もうダメだと諦めそうになっても、一生懸命やり続ければ、良い結果を得られるのですね。
最近は、中学や高校から講演依頼を頂きます。
テーマは「進路指導」。
僕は、学校には、生徒が将来才能を発揮できる分野をみつけるヒントが沢山転がっていると話します。
そして、夢は絶対に叶う!と。
小学校の卒業文集に「将来テレビのスターになる」と書いていたことを後で思い出しました。
まだスターには遠いですが、僕は常に新しいステージにチャレンジしています。

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