戦後まさにブームだった日本中にパイプスモーカーがいた。
日本中だけではなく世界中からパイプスモーカーコレクターが集まった。
「パイプを作り、使う人に喜びを与える。こんな幸せな仕事は無い。」
70歳の時、昭和天皇から“勲五等瑞宝章”を授与。継続は大きな力と自信になる。
その人生を捧げた「仕事哲学」とは?
さあ、柘製作所創業者柘恭一郎様の登場です!
「わたしのパイプ人生」
私が生まれたのは1910年、今から100年前になります。
来年で100歳。
昨年には白寿のお祝いをしていただきました
私が「パイプ作り」の世界に入ったのが12歳の時、25歳になるまで13年間住み込みで修行を重ねました。
結婚し独立。
その後、第二次世界大戦に出征。
私の工場は国家の要請で木製の銃床を作ることになりました。
終戦後に復員しましたが、当時パイプの素材だった象牙はGHQの管理下にあり入手が困難でした。
しかしGHQからアメリカ軍隊内の売店向けの象牙の土産品を作るようにと要請がありました。
当時のパイプはマッカーサー元帥の影響もあり驚くほど売れていました。
工場の人数だけでは足りず、腕の良い彫り師を多く頼まなければならないほどの仕事量でした。
その時の彫り師の中に後に彫刻家として活躍する仲間がいました。
運は天にあり、私はこうして欲しい、このように成りたい、と神仏に祈ったことはありませんでした。精根込めて、ただひたすらパイプを作っていただけ。好事が自然に私に向いてくれました。
現在、私が創った会社 柘製作所は三人の息子に受け継いでいます。
私が会社を引き渡したのは平成8年85回目の誕生日の時でした。
長男は製造、次男は財務、三男は販売と貿易。三者三様に自分の能力を生かし、会社を支えていました
「もうこれで大丈夫。次に譲ろう」
私の人生で最大の勲章昭和56年4月29日“勲5等瑞宝章”を授与される。
12歳から続けた象牙パイプ作り、ただひたすらに歩き続けた。それが栄えある「勲章」につながりました。
どんなに苦しくても辛くても、自分の選んだ「道」を究めるまでは諦めない。
継続は大きな力と自信になる。
昭和天皇から頂いたお言葉
「国民のために頑張ってください」
しっかりと胸に刻んで頑張ってきた私の人生に悔いはない。