ゲームのスゴ技を実演して世界チャンピオンになったスゴい人

やんちゃで手に負えなかった子供時代

勝つために苦労したこと

トリッキングと共に成長していく

「トリッキング」を知っているだろうか?
トリッキングとはバク転を始めとしたアクロバティックな動きに体操、ダンス、果ては格闘技など、
実に様々な動きを組み合わせた全く新しいスポーツである。
「キック」「フリップ」「ツイスト」を基本的な構成とし、いつでもどこでも自分を自由に表現でき、
「やってみたいと感じた時から誰でも始めることができるスポーツ」こそがトリッキングなのです。
本日、登場するスゴい人はそんなトリッキングに出会い、のめり込んでいった結果、世界チャンピオンにまでなった人。
彼はいかにして世界レベルのプレーヤーになれたのだろうか?
そのルーツに迫る。

さあ…
全日本大会3つの全てで優勝し、
2017年には世界大会2on2で優勝を果たしたトリッキングパフォーマー
高橋 大典様の登場です!

やんちゃで手に負えなかった子供時代

落ち着きがなくて、少し目を離すとすぐどこかに行ってしまう子供でした。
大人の言う事は聞かないし、手に負えない。少しもじっとしていられない性分です。
ひょっとすると障がいがあるのではないかと思われてましたね(笑)
今の時代なら確実にレッテルをはられていたと思います。

そんな風に自分が思われてるなんて微塵も思っていませんし、今となってはその当時になぜそうだったのかもわからないほど記憶がありません。
長男だったのですが、そんなこんなで僕はかなり手がかかった子供だと聞いています。
小学校入学時には金髪でして(笑)他の保護者の方はもちろん学校側にも大変驚かれましたね。

ただそんな僕を両親はただただ普通の子供として、一つの個性として育ててくれました。
本当に感謝しています。

運命的な出会い

当時はそれほど運動神経がずば抜けているというほどではなかったです。
バスケやサッカーもやりましたが、できなくはないけれど。っといった感じでした。
どちらかというとゲームばかりで、放課後は友達と集まってゲーム三昧の日々でしたね。

ある日ゲームの中で、バイオハザードの主人公がバック転をして敵の攻撃をかわしたんです。
その瞬間、これをやりたい!と電撃的に思って、バック転の練習を始めました。
部屋の中で布団を敷いてそのうえで何回も何回も毎日のように。

布団をしいていたって騒音がすごくて、下の階のご近所さんから苦情が来るほど練習しました。
10歳の時でした。

ただただかっこいい!という思いだけが当時の僕を突き動かしていましたね。
ゲーム仲間が5-6人いたのですがそれまでゲーム三昧だった僕らがこれをきっかけにアクロバティックな遊びをするようになって。
仲間として協力したりお互いの技を高め合ったりして。放課後の遊びが180度変わったんです。

もちろん怪我もしましたし、鎖骨を折る仲間もいたりして。過激な遊びでしたね。
ゲームは全くしなくなりました。
ライフスタイルがバーチャルからリアルへ完全シフトして。
大人の視点からしたらシンプルに喜ばしいことだと思います。

ただ僕らはやりたいことをやりたい時にやっている子供にすぎなかった。
大人や社会の評価など考えたわけではありません。

好きな事が目標になった

好きな事を追い求めていけば明確な目標ができます。
その目標に向かって一緒に突き進んでいける仲間や応援してくれる友人や家族。
自分の人生において大切な人やモノが少しずつ育っていくし、感じることができる。
エグザイルさんのコンサートで東京ドームのステージに立たせていただいた時、子供の頃に公園の砂場であこがれていたあの光景の一部に自分がいることに感動しました。
この瞬間をずっと一緒に支え合ってきた仲間と共有できたその感動はほかの何にも代えがたい出来事ですし、あきらめないでやってきてよかったと思っています。

勝つために苦労したこと

トリッキングはアメリカが発祥のスポーツで、全世界に愛好プレイヤーがいます。
プレイのベースに武術があればどんな技でもよいので、マーシャルアーツ出身者やテコンドー経験者なども沢山います。

僕はいわばゲーム愛好家をベースのプレイヤーです。

その分、従来のセオリーにはない発想や戦略が僕自身の強みとも言えます。
色々な大会での経験を経て、今大切にしていることは「無理をしない。偶然に期待しない。」という事です。
外国の選手は体格も違いますし、無理を承知で臨んでも結果はあまり良くはない。
そして割と海外選手の方が高難度の技の一点成功に賭けて出場される方が多いのですが、僕は必ずできる「そこそこ難しい技」を堅実に組み合わせてポイントを積み上げる。
これは日本人の特性を活かした戦略だとも言えます。

日本選手権に最初に出場した時にいきなり3位だったので、素直にとてもうれしかったんです。
ところが翌年は入賞さえできなくて。その時に勝てなかった要因を徹底的に分析しました。

トリッキングは身体の線が細い人が有利なスポ―ツです。
身体が大きければ勝てるわけでもなくて、むしろ逆に日本人をはじめとするアジアの選手が身体の特徴を活かした繊細な高い表現力が勝利へ導くことが多いんです。
体操競技の選手をイメージしていただけると近いと思います。
僕は日本人としては身体が大きい方なので実はヒネリ技は苦手なんです。
何が自分に合っている技で、どんな組み合わせなら自分の能力を最大限に発揮できるのかとことん突き止めました。
2回ひねりでも最後に蹴りを入れたり、ひねりの間に蹴りを入れたり。

力が強いだけでは技の一つ一つに雑味が出ます。
日本人は繊細な芸術性と緻密な技の組み合わせで非常に高い得点をたたき出せます。

トリッキングと共に成長していく

トリッキングはまだまだ始まったばかりのスポーツですので、先輩はいないですし師匠もいない。
常に独学でほかの選手の技を研究しています。

僕の後に続く若い選手も沢山育っています。
おのずと背筋が伸びますし、この競技の第一人者としての責任も感じています。
世界チャンピオンとしての誇りと責任。
日本でのトリッキングの普及は自分にかかっているという意識が芽生えました。

僕自身がトリッキングというスポーツを代表するアイコンであるしトリッキングのイメージを積極的に作っていかなければいけないという意識があります。
身なりももちろん心がけますし、礼儀正しさ、言葉使いも。
僕自身の身の置き所をトリッキングが教えてくれて、今もずっと僕自身を育ててくれています。
アメリカでトリッキングを初めて見たときに感じた、「日本でトリッキングを普及したい」という強い思いを今でも持ち続けているし、必ず実現したいと思っています。
観客を感動するような技をもっと磨いてもっと高みを目指していきたい。

フィギュアスケートの羽生結弦さんの競技に対する真摯な姿勢やストイックさなどはいつも勉強させていただいています。
年々プレイヤーのレベルが底上げされてきています。
僕はパイオニアだったので誰にも指導は受けなかったのですが、今は若い世代や子供たちへ僕が指導していて、明らかに僕を抜いていくだろうという素晴らしい素質に出会います。
トップ競技者としての競争心を刺激されますし、このスポーツの未来の可能性のようなものを感じて胸が熱くなる瞬間もあります。
近い将来競技の普及を含めた運営者としての責任を果たすべきその日がくるまで、今自分ができることを精一杯やりぬきたいと思います。

プロフィール

2015年 World Best Tricker2015 日本人として初抜擢。世界3大グループに活動参加。
2016年 日本開催の全日本大会3つの全てで優勝。
2017年 世界大会2on2優勝

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