ジュネーブ国際音楽コンクール作曲部門で日本人初の1位を獲得したスゴい人!

本日登場するスゴい人は、昨年(2015年)に行われた第70回ジュネーブ国際音楽コンクール作曲部門において、日本人初となる1位入賞を果たした作曲家のスゴい人。
彼はこれまでにも、2009~2012年日本音楽コンクール4年連続2位入賞、2013年 ウィーンコンチェルトハウス100周年作曲賞最優秀作品賞受賞 (オーケストラ部門)、2013年SORODHA国際作曲コンクール1位入賞、2014年第3回クロアチア国際作曲コンクール“NEW NOTE”2位入賞、文化庁長官表彰(国際芸術部門)など、多数の賞を受賞してきた。

さあ…
作曲家
薮田翔一様の登場です!

「勘違いが挑戦を生む」

母がピアノの先生をしていましたが、私は男だし特に音楽家になることを望まれていなくて、ピアノを習っていたものの小学校3年生で辞めてしまいました。
転機は6年生の時。
小室哲哉さんの曲が大ブームになって小室さんに憧れ、作曲家になりたいと思うようになりました。
その時、10秒くらいの短い曲を作って弾いていると、母に「それ小室さんの曲?」と聞かれたのです。
影響されて真似していたからなんですが、この時に自分は作曲をできると勘違いしたことから、私の挑戦は始まりました。

音楽大学に入学後、周りの人たちは音楽の基礎能力があって当たり前という環境の中、私はピアノを弾けず、コンプレックスに感じることもありました。
ただ、そこでピアノを弾くことよりも、作曲の基礎力をつけることに時間を使おうと決めたことが結果的に良かったのだと思います。

大学院1年の2009年から日本音楽コンクールに出場し、12年まで4回連続で2位だった時には、もうだめかなと思ったこともありました。
最初の出場で2位になり、2回目は必ず1位になろうと1年かけてコンクールのために準備していたので、結果が出なかった時には作曲を辞めた方がいいのかなとも思いましたね。
でも、作曲家になりたいというのは誰に決められたわけでも無く、自分で選択した道です。
だから、自分で責任を持たなければいけないし、続けたいなら結果を残さないといけないと思い、挑戦を続けました。

2015年のジュネーブ国際音楽コンクールは、締切の1か月前くらいに募集を知りました。
年齢的にコンクールに出るのもこれが最後かと思い、自分のこれまでの作曲の集大成としてやれることを全部やろうと、応募しました。
良い結果が出たのは、応援してくれた周りの人たちのお蔭です。
やっと結果が出て「助かった」という気持ちと、周りの人への感謝の気持ちでいっぱいでした。

私は、最初に曲を書いた時の勘違いから挑戦が始まりました。
大人になるとなかなか勘違いをできなくなりますし、子どもの頃は自分に何が合うのか分からないから、勘違いでもいいから多くの事に挑戦して、その中から自分に合うものを見つけて続けてほしいですね。

コンクールは音楽家にとってスタート地点であり、これからが一番大切だと思いますので、今後はもっと自由な表現をして、良い音楽を届けていきたいと思っています。

◆オフィシャルウェブサイト
http://shoichi-yabuta.jp/

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