【魚戸 おさむ】家庭裁判所を題材にして3度もテレビドラマ化された人気マンガ作者のスゴい人!

魚戸 おさむ

本日登場するスゴい人は、漫画家として活躍するスゴい人!

少年時代、手塚治虫や藤子不二雄に憧れてマンガの世界へ。
星野之宣、村上もとかなどの有名漫画家のアシスタントを経て、1985年28歳のときに『忍者じゃじゃ丸くん』でデビュー。
代表作である『家栽の人』は3度にわたりテレビドラマ化されるなど大ヒットを飛ばし、今年デビュー30周年を迎えた。

さあ…
漫画家
魚戸おさむ様の登場です!

「ハガキ職人で培ったテクニック」

小学1年生の頃、チラシの裏に描いていた絵を父の友人から「うまいなぁ」と言われて調子に乗り、小学3年生の時に『鉄腕アトム』のアニメとマンガに出会ったのが、漫画家を目指した一番のきっかけです。
4年生の時には友達と二人で「藤子不二雄になろう!」とコンビを組み、少年サンデーにマンガ投稿を開始。
ところが、中学生になりクラスが分かれた途端、友達が「親にマンガはやめろと言われたからやめる」と言ってあっけなくコンビは解散。ちょっとした挫折がありました。

その後、少年キングという雑誌などいろいろな漫画雑誌の似顔絵コーナーが活発な時代があり、そこに“ハガキ職人”としてたくさんの作品を投稿して、同じように投稿していた全国のメンバーとも仲良くなりました。
親の都合で東京に引っ越した時に、偶然その仲間の一人の紹介で憧れていた星野之宣先生のアシスタントになることができました。

初めてのアシスタントで褒められたマンガテクニックは、ハガキ職人で培ったものでした。
ところが、アシスタントになって2か月で連載終了。
途方に暮れていたら、村上もとか先生がアシスタントを募集していて、それから8年間お世話になりました。

実は、途中2年ほど村上先生の元を離れてイラスト専門学校へ行き、中途退学後、工事現場のアルバイトをして過ごしていた時期がありました。
アルバイト生活にすっかりなじんでいましたが、「自分は漫画家を目指していたのではなかったのか」と思い直し、再び村上先生の元へ戻りました。
勝手な私を温かく迎えてくれた先生には今でも感謝しています。

28歳でアシスタントを辞めた後、子供向けのファミコンマンガの依頼があり、デビューが決定。
ラッキーな形で漫画家生活が始まりました。
しかし「描きたい話が描かせてもらえない」などのジレンマがあり、悩みに悩んで、大好きだったはずのマンガを描き続けられるか不安になっていました。
ちょうどその頃に『家栽の人』の話を頂いて、思い切って子供向けマンガの連載を終了。
その後『家栽の人』で良い評価を得られ、漫画家として仕事を続けることができました。
あの時『家栽の人』の話を頂いていなければ、今頃この世界にいなかったかもしれません。
あんなに大好きだったマンガが描けなくなりそうな経験は初めてでしたから。

28歳でデビューして、今年でちょうど30年です。
今は次の作品までの間に絵本を描いています。
昨年、日本テレビで放送された『はなちゃんのみそ汁』という作品で、ドラマや映画(今年12月に封切予定)とはひと味違った作品になりますのでぜひご覧いただければと思っています。

◆魚戸おさむ公式ブログ「ひよっこ料理人と、時々玄米せんせい」
http://genmaisensei.jugem.jp/

◆Twitter
https://twitter.com/osamu_6446

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