【京子 スペクター】日本女性として初の“フレンド・オブ・タイランド・アワード”をタイ政府から授与されたスゴい人!

京子 スペクター

カリフォルニア、ロスアンゼルスの大手ホテルにて、フロント、ツアーマネジャー、コンシェルジェを経てデーブ・スペクター氏と結婚。
その後1983年に来日し、デーブ・スペクター氏の所属する芸能事務所を立ち上げ、社長を務める。
そこから25年間、2人3脚で歩んできた。
移り変わりの激しい芸能界で、コメンテーターやプロデューサーとして活躍するデーブ・スペクター氏を、陰で支え続けた。
デーブ氏の活躍の秘訣、そして支え続ける彼女の思いとは?
さあ・・・株式会社スペクター・コミュニケーションズ代表取締役 京子スペクター様の登場です!

「2人3脚で歩んだ道のり」

移り変わりの激しい芸能界でコメンテーターとして生き残っていくには、やはり努力が重要です。
何かの事件に対して「悲しいですね」「かわいそうですね」という感想は、誰でも言える。
そこに、事件の背景や問題点を的確に捕らえて独自の意見を入れてコメントすることが大切です。
そうでなければコメンテーターとしての価値が生まれません。
その為には、デーブは寝る間も惜しんで毎日勉強を欠かしません。
この30年間、平均睡眠時間は毎日5時間ほどでしょうか。
仕事への取り組みはもちろん真面目なのですが、仕事以外でも、毎日、世界中の何十紙という新聞に目を通したり、人に喜んでもらうためのジョークを最低でも5つ位考えたり。
日々欠かさず、日本語の単語を最低3つ以上暗記したりしています。
また、番組ができた背景を理解した上で番組に出演したり・・・
そういう仕事に一生懸命取り組むデーブの姿を見ていると、「私がきちんとサポートしないと」と思うのです。
番組の出演前には、デーブの気分を害することは極力言わないようにしています。
テレビに出演する彼をいい状態で送り出したいのです。
“デーブにとって何が有用なのか”を常に考えて言うようにしています。
今まで最も大変だったのは、デーブがアメリカに帰ろうと考えた時でした。
ある討論番組に出演していて、日米の経済についての討論がされていました。
デーブはもちろんアメリカ側の立場で発言をします。
出演者が15人程いたのですが、みなさん日本側の立場を取られていたので、デーブへの非難が集中してしまったのです。
それを見た視聴者からも「日本が嫌いなんだったらアメリカへ帰れ」というコメントが寄せられてしまって、デーブは深く傷ついて、精神的に疲れてしまったんです。
でもここでアメリカに帰ったら、「デーブはやっぱり日本を嫌いだったんだ」とみんなに思われてしまう。
それだけは嫌だったのです。
そこで、これから出演したい番組について2人で話し合い、目標を決めました。
その目標を一つ一つクリアーしていくうちに徐々に立ち直っていったのです。
事務所を構えて今年で25周年になります。
デーブとは2人3脚でここまで歩んできました。
移り変わりの激しい芸能界でここまでやってこられたのは、デーブが、どんな仕事にもまじめに一生懸命取り組んできたからだと思います。
これは、芸能界のことに限らず、どんなことににも当てはまると思います。
今後もデーブを支え、2人3脚で目標を達成していきたいと思っています。

◆株式会社スペクター・コミュニケーションズ
http://www.spector.co.jp/index.html

◆デーブ・スペクター twitter
※大人気twitterのフォロワー数は開始3年で47万6千以上(2014年1月現在)
https://twitter.com/dave_spector

◆京子スペクター著
「デーブ・スペクターの作り方」絶賛発売中
本体価格1,400円
出版社:東京書籍 
https://www.tokyo-shoseki.co.jp/books/80722/

※上記サイトは、一部携帯では見られない可能性があります。

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