画業50周年!時代と人を描き続けるスゴい人DAY2▶村上もとか様

昨日に引き続きお迎えするのは、大ヒットドラマにもなった漫画『JIN-仁-』の作者、村上もとか先生。半世紀にわたるキャリアの中で『六三四の剣』『-RON-』といった数々の名作を生み出し続け、まだまだ現役街道を快走中。様々なジャンルや時代を幅広く手掛けられた作品に共通しているのは『人』のドラマであること。今も尽きない熱量で時代と人を描き続けている村上先生に幼少期からの人生と作品について伺いました。

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悩みながら模索。「自分の好きを作品にしているのか」

──次の連載はどうでしたか。

翌年にもう一度チャンスをもらいましたが、結果は良くはなかったです。描いたのは大阪のドヤ街の少年たちを題材にした社会派漫画。これが読者アンケートでブービー賞。編集長から「ここにビリの作品がある。でもこれは終わらせない。君のこの作品は終わりにする。わかるね」と言われました。こちらはもう「もちろんわかります!」って言うしかないです(笑)。その作品というのが中沢啓治先生の『はだしのゲン』だったんです。教えられましたね。一見社会派風を描きながら僕の作品は面白くも中身もない。向こうは日本の漫画界を動かす漫画に成長するんですから。素晴らしい編集長でした。その経験から僕はまた悩みの世界に入っていきました。

 

──どのような悩みでしょうか。

自分は『少年ジャンプ』で何を描いていいかわからなくなりました。最初は「タイヤものが上手い」と褒められ、二輪サーキット漫画を描きたいと思っていました。その頃、望月あきら先生のところの先輩だった池沢早人師先生がレースものをやるという話でした。池沢先生も車が大好きな人で。そして始まったのが『サーキットの狼』です。ご存知の通り『サーキットの狼』はスーパーカーブームを牽引するほど社会現象を引き起こします。僕はそんな中で同じレースものの連載を始めることになりました。

 

──それはなかなかチャレンジングな状況ですね。

粘ったけれど『サーキットの狼』は化け物のような壁として立ち塞がって、少年たちの心も全くつかめなかった。一度これは撤退しようということで、一年半くらい経って『熱風の虎』という、これはカワサキ、これはホンダと、リアルなバイクが出てくる作品をやったんです。『サーキットの狼』のバイク版というか。連載中、本当に「自分が一番好きなもの」で勝負しているんだろうか? という疑問がずっとくすぶっていましたね。この連載が終わった後、『少年サンデー』に移りました。

 

──雑誌を移って変わったことはありますか。

それまでは人気を気にして、何を描いていいのかわからなくなっていました。とにかく描きたいことをぶつけるように、描いて吐き出した作品に読者が反応してくれて「これでいいんだ」と実感できる瞬間もありました。少年の心をどう掴もう、ということばかり考えていたけれど、考えてみたら僕の中に少年らしいキラキラしたものがない。描けなくて当たり前だと気づいた。心を掴もうと思ってはだめなんです。読者を楽しませたいという気持ちに加えて、何か神様が降りてきてくれないと。それは何に降りて来てくれるかはわからないんですよね。

『RON-龍-』をやろうと『六三四の剣』の編集と交わした約束

──その後は『六三四の剣』や『RON--』、『JIN--』といった誰でも知っているヒット作をいくつも描かれていますね。

試行錯誤はしていましたよ。『六三四の剣』は理想とする少年の世界が自分の中にひとつくらいはあるはずだと、今までの自分をすべてぶつけた。自分にしか描けない王道の少年漫画を、少年誌にいるうちに描こうと思った作品です。連載前にライバルを描いた『修羅の剣』を描きました。なぜそんなことをしたかと言えば、修羅の方が今までの僕の作品の流れを汲んでいるキャラクターだからなんです。ニヒルでクールで、ちょっと斜に構えているような…だからライバルの修羅に面倒な部分をすべて閉じ込めて、主人公の六三四はそんな要素のまったくない少年として描きました。イメージ通りに描けて読者も反応してくれる幸せな作品でした。

 

──その後青年誌では『RON--』や『JIN--』のように歴史と人を描かれるようになりましたが、歴史ものにこだわりを持たれるようになったんでしょうか。

もともと戦前の中国を舞台にした漫画を描きたいと考えていました。やるとしたら青年誌だろうと、昔『六三四の剣』の担当と「そういう編集部に移ったら」と約束していたんです。彼がビッグコミックオリジナルの副編集長になったので、満を持して「よしやろう!」となった。でも、そのタイミングで編集部が総入れ替えになり、彼が異動してしまったんです。新しい編集部に「これをやりたいんだ!」と大演説をかましに行きました(笑)。

史実とフィクション。現代医療が『JIN-仁-』の龍馬に届くまで

──先生の作品の主人公は龍や仁のような一本筋が通った武士道的なところがあるといいますか、器用ではないけれど寡黙で誠実なキャラクターが多いですよね。

器用な主人公は描けません。中には空想でこのキャラクターは生き方器用だろうという人を作ることはできますが、主人公にはできません。どうやったら器用に生きられるのかわからないですから。主人公でそういうキャラクターを出しても失脚させたくなってしまう(笑)。

 

──器用じゃない主人公が誠実に生きて味方が増えていくのも魅力がありますね。

そうあって欲しいという願望みたいなものですけどね。

 

──仁もそうですよね。タイムスリップして右も左もわからないうちにどんどん味方が増えていくのは凄いです。

JIN--』は前置きをすっ飛ばしていきなり幕末に行きますが、彼は現代医療のプロフェッショナルなので、行ってすぐできることがあるんです。何もすることがない苦労というのは描きようがない。仁はいきなりプロとしてどんどん問題を解決していくので、読者も気持ちいいんじゃないかと思います。少なくとも僕はそう思って描いていました。

 

──歴史に加え医療知識も入ってくるとかなり知識が必要になってくると思うのですが。

医療に限らず、剣道にしろモータースポーツにしろ、自分で知識を持つ必要はないですね。専門家で漫画をわかってくれる人、漫画的な発想に合わせてアイデアを出してくれる人さえゲットすればいいんです。人との出会いですね。そういう専門家の人たちは、やっぱり好きなことを突き詰めてきた人なのでキラキラしているんですよ。そうなると描きたくなるじゃないですか。その世界の第一人者より、現役の方や現役の学生から体験も含めて語ってもらいたいです。

 

──歴史ものだと現代医療の知識とは差があると思うのですが、そういうのも専門の方だとわかるんでしょうか。

JIN--』では最終的に描きたかった坂本龍馬の手術に、最低限、何と何が必要かを聞いていました。それまでのエピソードで、段々と発見、発明を重ねていって…いろんな道具をそれまでに用意しました。中にはここまでいらないんじゃ…というものもありましたけど(笑)。それをギリギリ嘘にならないさじ加減で描くんです。幕末の医療器具はかなり高度で、それを作れる職人がいました。そういう人たちは江戸の前は鉄砲鍛冶の人たちです。平和な時代になり、彼らはかんざしなどの職人となり、武器を作らなくなっても作る技術は継承されています。そういう人たちが現実にいる。だから100%の嘘にはならないんです。

走り続けた50年の集大成『村上もとか』展とこれから

──現在『村上もとか』展が開催されていますが、50年の漫画家生活はどうでしたか。

短いような長いような。ちょっと締切が近づいちゃったなという感じです。目の前の締切こなすことしか考えていないですから。毎日がそれの繰り返しです。

 

──50年の間、辞めたいと思ったことはありますか?

ありますよ。デビューしたての頃も編集部からの帰りの電車で、逃げてしまおうかと思った事もありました。電車の中で「真っ白な顔をした人がいるなぁ」と思ったら、鏡に写った自分だったんです。その時、締切に間に合わなくても良いから、とにかく仕事場に帰ろう、漫画の世界に帰って来られなってしまうぞ、と思った事を覚えています。『六三四の剣』が終わってモトクロスの漫画を描いた頃も、レースシーンのときは良いんですが本題のストーリー部分になると人気が落ちてくる。これがボディブローのように効いて、朝起きられなくなった事があった。もう次に何を描こうという考えも浮かばなくなってしまって。作品が終わったらカナダに移住しようと考えた。それを海外に詳しい編集さんに伝えたら「カナダは止めておけ、ヨーロッパにしろ。そのほうがネタになる」と言われて(笑)。こっちは漫画を辞めたくて言っているのに、ネタを拾えと。もう笑っちゃって。鬱っぽかった時期をその言葉で抜けることができましたね。

 

──これから描きたいものはありますか?

興味があるモチーフはあります。まだこれは描きます!と言えないですけれど。漫画は体力勝負ですからね。今71歳で、描き始めて3年後にどんな肉体でいられるかわからない。だんだん「締切」が近づいているので。しんどくても辞められないのは、ちょっと口幅ったいんだけれど、情熱があるから描いてるんだろうなと思います。今はアシスタントを解散して、シンとした部屋で漫画をひとり描いていると、なんでこんなことをやっているのかなと思うこともあります。ただ子どもの頃の「描くことで満たされていた」感覚に戻ることもあって、描いているから自分が自分でいられる。そんな気もしています。

 

──ありがとうございました。

 

(了)

インタビュー・ライター:久世薫

村上もとか(むらかみもとか) プロフィール:

漫画家。1972年『少年ジャンプ』でレーサー浮谷東次郎題材の原作を元に描いた『燃えて走れ!』でデビュー。多彩な作品でその才能を発揮。『岳人物語』 第6講談社漫画賞少年部門を受賞し、その後多くの作品で数々の賞を受賞した。代表作に『六三四の剣』『JIN--』『RON-龍-』などがある。

執筆活動の傍ら、交流のある漫画家たちと、漫画家グループ「ぽけまん」を発足。イベント参加・チャリティ等、様々な活動を行う。

2022年、画業50周年を記念し、弥生美術館で『村上もとか』展を開催。現在も一線で活躍し続けている。

「ぽけまん」公式サイト:http://pokeman.jp/

Twitter:@motoka_murakami

 

村上もとか展

会期:2022(令和4)64()~925()

開館時間:午前1000〜午後500(入館は430分まで)

722日より、毎週金曜日は午後8時まで開館(入館は午後730分まで)

会場:弥生美術館

料金:一般1000円/大・高生 900円/中・小生500

公式サイト:https://www.yayoi-yumeji-museum.jp/

 

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