誰かにプレゼントを贈ろうとしたら、以前は、モノばかりだった。
“モノ”ではなく“体験”をギフトできないか?
ある男のこの発想がプレゼントの概念を変えた。
日本で初めて体験をギフトにする、サービスを始めた会社。
そんな会社の社長は一体、どんな人生を歩んできたのか?
さあ・・・西村琢様の登場です!
「刺激と発見に満ち溢れた生活を」
家は凄く一般的な家庭。小学校は公立。勉強もスポーツも何でもこなせる少年。中学受験で入学したのが慶応。でも、補欠の一番ビリッケツ・・・
勉強は鼻から諦め、せめてスポーツだけは負けない!
しかし、運動が出来るやつも沢山いました。
軽いショックでしたが気にしませんでした。そんな僕が夢中になったもの、株です。
高校の特別授業で「株式投資のシュミレーション」を知り株にのめり込みました。
500円玉貯金の3万円で本物の株をスタート。
お金ではなく、企業のアニュアルレポートに興味を持ち、プリクラを撮る時でも企業戦略の裏側を想像しながら撮影していました。
自分は誰かの作戦通りに動かされているかもしれない?といった感じで。
大学に入り友達7名×5万円=35万円で投資クラブを立ち上げました。
株を買ったらクラブ活動としては何もする事が無いので、webを作り、経営者インタビューを掲載したりメルマガを配信。
企業家に会う事も増え会社経営に興味を持った頃、松下電器の「ビジネスプランコンテスト」にチャレンジして優勝。出資金 3千万円の権利を獲得しました。
卒業後にスグに会社を立ち上げず、1年間、松下電器の契約社員として勉強をさせてもらい、色々と調べたり沢山の人と会ったりして、事業プランニングをし続けました。
ファイナルプレゼンテーションでは、今のpodcast(インターネット上で音声や動画のデータファイルを公開する方法)の様なモノ。約2億円の提案。
流石に断られました(笑。早すぎたのかなぁ。
もう少し新規事業部でチャレンジしてみたら?
と言われましたが、自分でやりたくて仕方が無い時期でしたのでお断りして、ゼロから起業しました。
海外でも実績があり、日本にも必要なサービス、そして、少ない資金でもスタートできる新事業、それが今の体験ギフトです。
非日常の“体験”をプレゼントに人生が輝くような贈り物をとどけるお手伝いを・・・
若い人達は日本だけではなく海外にも視野を広げ、どんどん可能性にチャレンジして欲しいです。
楽しさを追い求めクリエイティブに生きたいと、私も可能性にチャレンジを続けています。