「ぷよぷよ」との出会い、そして葛藤
始まりは「ローラー作戦」
姉と妹と劣等感
「テトリス」の登場により落ち物パズルゲームブームが巻き起こり、1991年に登場した「ぷよぷよ」。
可愛いキャラクターとユニークな音楽もあり、多くのファンが生まれたゲームである。
「ぷよぷよ」は後に対戦型も登場し、全国で大会が開かれた。
今日はぷよぷよ界の常識をひっくり返した王者が登場する。
この大会において優勝した回数は50を超え、その技や凝視(相手のフィールドを把握しながら連鎖を組むぷよぷよの対戦における高等テクニック)能力は超上級のプレイヤーである。
ぷよぷよというゲームを通じて彼は何を手にしたのだろうか!
さあ…
くまちょむ様の登場です!
パソコンが家にやってきた
電子工作とアマチュア無線が趣味という機械好きの父が、まだ一般家庭にはほとんど無かった時代にパソコンを購入したのです。
友達と秘密基地を作ったりして好奇心旺盛だった僕は、自然と父のパソコンを触るように。
父が購入してくるパソコンゲームをやるようになりました。
姉と妹がいるのですが、その2人とボードゲームやトランプなどで遊んでも全く歯が立たず、考える事そのものが苦手でした。
考える事が重視される遊びを避けていた僕は、パソコンゲームでも素早い操作と判断が要求されるアクションゲームや
シューティングゲームを好んでやっていました。
「ぷよぷよ」との出会い、そして葛藤
そんなある日の事。
もうすぐ小学6年生へと進級する季節、家族で訪れたボウリング場。
ボウリングを楽しんだ後、併設されていたゲームコーナーで見かけたゲームが「ぷよぷよ」だったのです。
ふと惹かれて1回だけやったのですが、すぐにゲームオーバー。
その様子を見た父がパソコン版を購入してくれたので、それをきっかけとして本格的にやり始めました。
他のゲームと比べて一風変わった美しいグラフィックとBGMに引き込まれ、上から落ちてくる「ぷよ」を動かしたり、同じ色を4コ以上くっつけて消した時の爽快感に夢中になっていったのです。
そうして徐々に「ぷよ」を消せる量が増えて上達していきましたが、一定以上の連鎖を計画的に組むためには考える事が必要だと思うようになりました。
しかし考える事が苦手だと思い込んでいた僕はその問題に向き合えず、半年ほどやり続けてもたまに5連鎖が成功する程度で、そこから伸び悩んでいました。
初の大会で敗れ、得たもの
ある日、書店で見かけたゲーム雑誌で「ぷよぷよ通」の大会がある事を知りました。
雑誌の情報を頼りに、大会へ意気込んで出場したものの即座に敗退。
自身の実力のなさを思い知り、自分の中に大きなハードルが立ちふさがっているのを改めて感じました。
そして同時に、僕よりも年上の人たちがあっという間に7連鎖以上を組み、勝利していく姿に感動を覚えたのです。
この初めて大会に出場した経験によって、対戦で勝つ方法や連鎖を組む手順を突き詰めたいと思うようになり、考える事への苦手意識に向き合うようになりました。
始まりは「ローラー作戦」
僕は愛知県の田舎町に住んでいて、当時はインターネットも普及していなかったため、ゲーム雑誌に掲載されていないような大会があったとしても、その情報を手に入れるのは困難でした。
そこで刑事ドラマが好きだった僕は、劇中によく出てくるローラー作戦(調査などの際に、ローラーをかけるようにしらみつぶしに当たるやり方)を思い出し、名古屋の地下鉄沿線にあるゲームセンターをいくつも回って「ぷよぷよ」が稼働している店を探し出し、週1回のペースで巡回。
そして数か月後、巡回していた内の1つのゲームセンターで大会の張り紙を見つけたのです。
猛練習をして臨んだこのゲームセンターの「ぷよぷよ通」の大会で優勝。
年1回行われるメーカー主催のマスターズ大会「アーケード部門」出場権を獲得しました。
2万人近くが来場したマスターズ大会の同部門でも優勝し、「一般部門」や「マスコミ部門」などの各部門の上位者で競う本戦トーナメントでも3位になり、当時14歳だった僕はこれまでにない経験と自信を得たのです。
また、大会を探す目的だった「ローラー作戦」が実を結んだ事で、このやり方は「ぷよぷよ」の研究にも役立つのではと思うようになりました。
上から落ちてくる「ぷよ」の組み合わせと順番、迷った場面などを片っ端からノートに描き、どの置き方が最善かを探し出す「ローラー作戦」で研究した日々は未だに僕の糧となっています。
姉と妹と劣等感
繰り返しになりますが、「ぷよぷよ」を知る前の僕は考えるのが本当に苦手でした。
しかし大会出場などの経験を積み重ねていった結果、苦手意識を乗り越える事ができました。
では、なぜ子どもの頃に考える事が苦手になったのかを思い返してみると、それは姉と妹の能力にあったと思います。
姉は非常に記憶力があり、神経衰弱ではめくったカードの位置を全て正確に覚えてしまうので勝ち目がありませんでした。
妹は僕と同じく刑事ドラマが好きなのですが、見ている途中で犯人だけでなくトリックまでもあっという間に言い当ててしまうのです。
姉と妹の人並み外れた能力を普通だと思っていた僕は劣等感を抱き、頭を使ったり考えたりする事には向かない人間だと思い込むようになっていきました。
距離を置いて見えてきたもの
10代の間に大会で何度も結果を出した事もあり、20代前半の頃に目標を見失った時期がありました。
燃え尽き症候群のような無気力感に襲われ、将来への不安が大きくなったのもあり「ぷよぷよ」に触れる時間を減らしたのです。
ですが、きっぱりと止める事もできず、中途半端に続けるならいっそ徹底的に「ぷよぷよ」を突き詰めてみようと思い立ち、更なる成長と自立のために親元を離れ東京へ移り住む事を決めました。
この時、自分が歩んできた道のりを整理しようと「ぷよぷよ」の経験則を本にまとめる計画を立てました。
それから数年かけて仕上げた本を、「持ってます!」と今でも声をかけて下さる方がいて、人に伝える喜びや大切さを知ったのは自分にとって非常に大きかったです。
僕にできる事
「ぷよぷよ」と出会ってから25年近くが経ちます。
始めてしばらくの間は考え方がそれぞれ異なるプレイヤーと対戦しているにも関わらず、勝つために必要なのは大きな連鎖を素早く組み上げる事だけだと思っていました。
しかし大会に出場するなどの経験を積む過程で、相手の性格や心の動きを探ったり、緊張感を保ちつつも呑まれないように心がけたりするのも勝利を呼び込むのに重要だと気付いたのです。
このゲームを通じて実に多くの方々と出会いました。
僕にとって「ぷよぷよ」は友人のようであり、進むべき方向を示してくれる道しるべです。
これからも対戦の技術を磨きながら、「ぷよぷよ」の面白さや奥深さを広く伝えていきたいです。
取材を終えて
くまちょむさんが操作している「ぷよぷよ」を動画で見たのだが、まるでコンピューターがやっているのでは!?と思うスピードと正確さ!
「ぷよぷよ」というゲームとどれだけ向き合い続けたらこの様な技を習得できるのだろうと考えた。
相手の心理を読み取り、自分の技術と精神も客観的に分析し、逐一修正しているのだと思う。
ここまで「ぷよぷよ」に向き合うとまるで茶道、書道などの「道」に思えてしまう。
くまちょむさんがいつか形にされる「ぷよぷよ」の理論には何が書かれるのか非常に楽しみである。
「ぷよぷよ」の開発者と同じくらい、もしかするとそれ以上に「ぷよぷよ」と寄り添い生きてきた1人の男の理論だから。
プロフィール
くまちょむ
◆ホームページ http://www.kumachom.net/
◆Twitter https://twitter.com/kumachom
◆YouTube https://www.youtube.com/channel/UC3AJpIVMbIWq2HXMDCAI1Gw