本日登場するスゴい人は、少年漫画・青年漫画で多数のヒット作を生み出した漫画家のスゴい人!
彼の代表作である、1995年に放映された関西テレビ制作によるドラマ『100億の男』をご記憶の方も多いだろう。
他にも、デビュー作『最後の少年野球』は手塚賞佳作を受賞、『JUNK BOY』は500万部を超える大ヒットとなり、アニメ化された。
また、自身最大のヒット作である『幸せの時間』は2012年に昼ドラマとして放映された。
プロになってからも幾度も壁に直面したが、困難を乗り越え、ヒット作を生み出し続ける秘訣とは?
さあ…
漫画家
国友やすゆき様の登場です!
「自分を知れ!」
子どもの頃からの漫画好きか、成長してから漫画に目覚めるか。僕は明らかに前者。
落書きがとにかく好きで、小学生時代には学級新聞に四コマを描いていました。
70年前後は「COM」「ガロ」など一般商業誌とは一線を画した漫画雑誌が現れ、一般人にも表現の場が与えられたのに加え、中学生で石ノ森章太郎先生の『マンガ家入門』に触れ、決定的な影響を受けました。
概念的・理論的な部分にまで言及した入門書はそれまでなかったので、物語の構造をちゃんと考えて、理論的に組み立てれば描けるんだ、という意識が生まれ、自信につながりました。
その後、大学に入学し、上京。
学内の漫画研究会に入会しましたが、「大学生になって漫画に目覚めた」仲間が多く、文化的と言うのか、小難しいものを良しとするような気風がありました。
僕は少年漫画派でしたから、なんとなく恥ずかしくて隠していましたが、絵を描けばわかるのですぐにバレました(笑)
漫研には、作家の原稿取りや似顔絵描きなどのアルバイトの話もあり、徐々に仕事につながっていきました。
卒業を控えた頃、集英社に在籍していた先輩と再会し、育成する新人を探しているという話を聞き、この業界に入りました。
その頃は人間ドラマが求められていたこともあり、「自分の少年時代のことを描け」と指導を受けました。
商売として漫画を描くことの基本をここで学びました。
デビューしてから10年ほどは原作付きの作品ばかりを手がけていたのですが、徐々に壁を感じるようになりました。
劇画ブームに乗り、少年誌から青年劇画へと活動の場を移し、常時仕事には恵まれていましたが「自分の描きたいものではない」と悩んでいた頃、江口寿史さんの『ストップ!!ひばりくん!』を見て衝撃を受けました。
彼が持つ、底抜けに明るくポップな作風は、それまでの自分にまるでなかったもので「こんな風に描いてもいいんだ」と感じ、「ポップ路線」に開眼しました。
その強い影響のもと、当時漫画アクションの編集者だった劇作家の中島かずき君が担当してくれて誕生したのが『JUNK BOY』です。
節目節目で、よき出会いに恵まれたおかげでやってこられたのでしょうね。
そうした出会いを通して、まだ気づいていない自分の一面を知ることもできると思います。
現在は、原点回帰の意味でも、原作も込みにした人間ドラマを描きたくなっています。
また、技術や知識を後進に伝えていきたいですね。
◆ぽけまん 作者プロフィール
http://pokeman.jp/archives/3353