1690年「大堀相馬焼左馬茶碗」が発売され、保温性に優れた2重構造で、アメリカにも輸出されていた相馬焼。
福島県浪江町で300年以上もの間受け継がれてきた相馬焼だったが、2011年3月11日に発生した東日本大震災によって25軒の窯元が被災し、
原料となる陶土も採掘できなくなってしまった。
そんな中、全く家業を継ぐ気の無かった20代の青年が、地元産業復活のために立ち上がったのだ。
彼はどんな経験をした後に旗を上げたのだろうか。
是非、これを機に日本の素晴らしい伝統文化を知ってほしい。
さあ・・・
株式会社Gatch
代表取締役社長
松永武士様の登場です!
「相馬焼を世界へ」
昭和最後の年、福島県浪江町に生まれました。
実家は焼き物屋。私自身継ぐ気は無く、親戚から「大変だから継ぐな」とも言われていました。
高校時代、コンビニでビジネス雑誌を見ると、「稼げる大学ランキング」のトップ3には東大、一橋、慶應の名があり、慶應入学を目指しました。
無事に目標であった慶應に入学し、塾を経営している企業にインターンしました。
そこで地方の受験生向けに情報発信し、お客様も増えてきたのでスピンアウトさせてもらい、大学生が携帯電話で勉強のフォローをするビジネスを作りました。
この頃、好きだった彼女にふられ、「附属校上がりの人間と競争しても負ける。自分の道は自分で切り拓いていかないと生き残れない」と思ったからです。
順調に利益を上げたのですが、1年経過し、「もっと苦労しないと」と将来が不安になりました。
そんな時に中国でビジネスをする人と出会い、1年の休学届を出し中国へ飛びました。
この時が人生で一番の岐路でした。
3日前に東日本大震災が発生し、地元は壊滅状態。
家族の安否は確認でき、ボランティアも考えたのですが、自分はあまりにも無力だと思い、今出来る事は将来のために力を付けることだと考え、中国へ飛び立ちました。
中国では必死でした。在中の日本人にドクターを派遣するビジネスを立ち上げ、順調に事業が育ち、香港やタイへの展開も検討したのですが先進国の壁が見えました。
震災から1年が経った頃、ある程度力が付き、大学もまだ卒業できていなかったので帰国。
同級生は卒業しているか就職活動中でしたが、自分は何か海外に繋がり、先進国に響くビジネスをしたいと思っていました。
美術品はイケるのでは?と思った時、祖父の時代はアメリカ西海岸へ作品を輸出していた事を思い出したのです。
相馬焼の窯元は震災の影響で全て消滅してしまっていましたので、焼き物の破片を集め、アクセサリーにしてネット販売をスタート。
すると、それが地元新聞に取り上げられ、父も残った在庫で展示会をスタート。
地元で採掘されていた材料は手に入らないので、新たに開発しました。
相馬焼は焼き物では珍しく二重構造になっているので保温性に優れています。
馬が左向きに描かれていて「右に出るものがない」という縁起物でもあります。
現在では、10軒の窯元が復活しました。
日本中、そして世界に向けて、この保温性に優れた縁起物でもある相馬焼きを広げて復興支援につなげていきます。
◆大堀相馬焼 松永窯
http://soma-yaki.com/
◆KACHI-UMA
2014年の午年を機会にデザイナー10人とコラボレーションしたブランド
http://www.kachi-uma.jp/
◆縁器屋
大堀相馬焼だけでなく、全国の工芸を通してセレクトしてホームパーティーに合うような道具を提供するブランドを立ち上げる
http://www.rakuten.co.jp/engi-ya/