気合と本気の応援で世界を変えるスゴい人!▶武藤貴宏様 DAY1

バンカラという言葉が似合う硬派な応援団の出で立ちで応援パフォーマンスを繰り広げる『我武者羅應援團』。そのガムシャラな熱い応援には、人が何か自分の中にある熱いものをたぎらせていく力があります。そんなパワーを持つ我武者羅應援團は昨今、メディアでも紹介され、注目を浴びています。息苦しいと言われる今の世の中だからこそ、熱い応援を人は欲するのかもしれません。今回は我武者羅應援團を率いる團長、武藤貴宏さんにお話を伺いました。

 

 自分を信じろ 

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内向的な自分が変わった教師との運命の出会い

──子供のころから応援団のような元気な性格でしたか?

小さい頃の自分は内向的で人前で何かをするのがとても苦手でした。幼稚園や学校では慣れるまでに時間がかかりました。僕は外界がとても怖いと思っていました。幼稚園の門までは家族がついてきてくれましたが、そこから1人で入るのがとても怖かったです。

 

──今、人前でパフォーマンスを行っていらっしゃいますが、全く反対なんですね。内向的な性格が変わったきっかけはあるのでしょうか。

小学校3年生のときの先生がきっかけです。生徒に友達のように接してくださる先生で特に国語の授業が楽しくて、引っ込み思案の自分も自分の気持ちを外に出してみたくなるような授業でした。そこから人前で表現をする楽しみを感じ始めました。先生はいつも生徒に対して一緒に学ぼうという姿勢や、同じ目線で接してくれていたように思います。

子どもたちのありのままを見て、受け止めてくれる先生でした。

美しさに圧倒!心を撃ち抜いた『応援団』との出会いと挫折

──応援団に興味を持たれたのはいつ頃でしょうか。

進学した高校に応援団があって、新入生に向けた部活紹介で見た、先輩たちの応援があまりに美しくアートだと感じたんです。もうパンクロックなんですよ。僕は聴くと心がゾクゾクするブルーハーツが大好きでした。応援団の先輩たちの応援がまさにその感覚を引き起こしました。

雷が落ちたようでした。

「僕は応援団をするためにこの高校に来た」というくらいの直感がありました。

 

──運命的な出会いとして響いたんですね。

僕の高校は爽やかな校風の学校だったんです。でもその中で応援団だけが、まるで『魁!!男塾』のような少年漫画の世界でした。これはアツいと衝撃を受けてすぐに入部を決めたんです。

 

──著書を拝読しますと、高校で応援団を辞められたそうですね。それだけ好きだと感じたものを辞めたのはなぜでしょうか。

部活には仮入部期間があって、どの部活に行ってもいいんですが僕はもう応援団に決めていました。説明会で応援団に行くと、先輩から一言「お前は凄い。自分から応援団に来た奴は初めてだ」と褒められました。僕以外にも何人か新入生がいたので僕は「コイツらと男塾のような熱い青春生活を過ごすんだ」くらいに思って翌日練習に行ったら、僕しか来ていないのです。よく聞いてみると他の新入生は説明会だけでもと無理やり連れて来られていたようでした。

そしてたったひとりの新入団員となった僕に、3年生が「この部の将来はお前にかかっている」って言うんです。すごいプレッシャーを感じました。

仮入部の期間、3年生が部活を見に来るんですが、3年生が来ると2年生は明らかに態度が変わるんですよ。2年生は3年生にビビっていて。どうやら3年は1年にやさしく、2年は1年に厳しくというアメとムチのシステムになっているようでした。お試しの2週間の仮入部期間が終われば、僕の環境も大変過酷なものになるだろうなと容易に想像できました。

練習の体力トレーニングが厳しいのは勿論の事、精神面の練習もとてもハードでした。一番恐ろしいと思ったのが、1年団員は文化祭で全校生徒の前で好きな人に告白するという伝統行事です。学校を盛り上げるためならなんでもやるというスタンスです。

思春期で、好きな人、その人に告白するだけでも勇気がいるのに、なぜそれを全校生徒の前やらなければならないのか?(笑)と思ってビビりました。

 

応援団に心が動いたのは事実ですが、頭で考えるとやめた方が良い理由ばかり思いつくのです。友達や母に相談しても「やめた方がいいんじゃない?」と言うのです。

特に母は僕がやることにたいして普段は反対するような人ではないので、その母が止めた方が良いと言った事は衝撃でした。応援団をやりたいと思っている自分の感覚は何かおかしいのかもしれないと自分を疑ってしまい、応援団をやめることにしました。

逃げてしまった自分がくすぶる中で気づいた人を励ます原点

──応援団を辞められて、何部に入ったんでしょうか。

軟式野球サークルです。

応援団をやめてからは、学校内で応援団の先輩を見つけたら逃げるという日々でした。先輩に見つかると連れ戻されると思ったからです。勧誘はその後おさまりましたが、できるだけ先輩達が使う廊下は使わないように気をつけていました。

 

──それからは我武者羅應援團を始めるまでは応援団と関わることはなかったんでしょうか。

僕はアメリカの大学に進学したので、いわゆる日本的な応援団はありませんでした。

応援団をやめてしまったので、僕の人生には何か困難を乗り越えて感動するという『少年ジャンプ』のような体験がなくなってしまいました。それを経験したくて、大学では野外冒険教育という分野を学びました。一度高校でやりたい事から逃げ出してしまった自分は、アメリカの過酷な環境で乗り越える体験が必要と思ったんです。

 

──アメリカの大学卒業後日本に戻られてどんな活動をされたんですか。

ハードなアウトドア(登山 ロッククライミング カヤック等)を通じて、挑戦をして自分の限界を乗り越える体験をしてもらう活動をしていました。自分の力で己の限界を超える体験をすると「俺も本気を出したらいろいろできるかも」って思える。体験学習法に基づく活動です。

アウトドア活動をすると本気じゃないと死んでしまうかもしれないというわかりやすく危険な場面に遭遇します。足を踏み外すと死んでしまう場面で気を抜く人はいないじゃないですか。

そういう本気の体験を通じて、人は変わっていける。自分自身がアメリカでそれを体験して、人が変わっていく環境に身を置きたいと考えました。

挑戦して乗り越える姿が美しい。逃げてしまった自分と再び向き合う

──人が挑戦を通して変わっていく場所でインストラクターをされていたんですね。そこから今の我武者羅應援團を始めることになったのは、どのような経緯ですか?

指導者として子どもたちを教えていると、彼らが無茶苦茶に頑張る姿を目の当たりにします。20メートルの岩山を登るとか、それを乗り越えていく姿は見ているこっちの方が感動するんですよ。自分の限界を越えていく姿が美しい。挑戦して乗り越えていく彼らを見ていると、自分は今、こんなふうに挑戦して乗り越えているだろうかと思うようになりました。

そこで高校のときに応援団から逃げた自分がリンクしたんです。

(DAY2に続く)

インタビュー・ライター:久世薫

 

武藤貴宏(むとうたかひろ) プロフィール:

我武者羅應援團 團長。

我武者羅應援團公式チャンネル(You Tube)https://www.youtube.com/@gamusharaoendan20

公式サイト:https://www.gamushara-oendan.net/

我武者羅應援團公式ブログ:https://ameblo.jp/gamushara-oendan/

X:https://twitter.com/gamusharaoendan

インスタグラム:https://www.instagram.com/gamusharaoendan/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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